スノーフェアリーとは、以下のことを表す。
以下、1の競走馬について記す。
伝統と文化
つつしみと礼儀
この国が誇れるものは
確かに多いだが自己満足に陥って
多様性を否定すると
成長も進歩もなく
時代に取り残されてしまう
スノーフェアリー(Snow Fairy)は、2007年アイルランド生まれ・イギリス調教の元競走馬で、現在は繁殖牝馬。
主な勝ち鞍
2010年:オークスステークス(GI)、アイリッシュオークス(GI、エリザベス女王杯、香港カップ(G1)
2011年:エリザベス女王杯(GI)
2012年:アイリッシュチャンピオンステークス(G1)
父Intikhab(インティカブ)、母Woodland Dream(ウッドランドドリーム)、母父Charnwood Forest(チャーンウッドフォレスト)という、日本ではあまり馴染みのない血統。父はGI未勝利ながら1998年のレーティングで2位を獲得した無冠の名マイラー、母父もマイルGIで2着3回と結構マイラー寄りの血統という印象を受ける。
幼い頃はセリ市では買い手がつかず、1800ユーロ(約23万円)という低価格で主取り(生産者の買い戻し)となった。デビュー後は父インティカブがマイラーだったこともあってか、後から見れば明らかに距離適性外だったであろう6ハロンから7ハロンのレースを使われ続け、2歳時は6戦1勝。騎手も6戦すべて異なり、期待が小さかったことがうかがえる。
ところが、3歳の初戦で9ハロン192ヤード(1986m)のリステッド競走を使うと、それまでのパッとしなさが嘘のように3馬身差で快勝。その勢いで英オークスに追加登録を行い、更なる距離延長となる12ハロンのこのレースに歩を進めると、7番人気という低評価の中、後方2番手の位置から直線だけでゴボウ抜きして勝つという圧巻のパフォーマンスを見せた。
続く愛オークスでは中団後方から一気にぶっこ抜いて残り400m付近で先頭に立つとそのまま独走し8馬身差の圧勝、史上13頭目の英愛オークス連覇を達成。古馬相手のヨークシャーオークスで4歳馬ミッデイの3馬身差2着とした後、英セントレジャー(日本での菊花賞にあたる)では牡馬相手に4着の成績をおさめた。
2010年11月、次の目標を日本のエリザベス女王杯に定めて来日。昨今では欧州と日本の芝・馬場は質が全然違うので、「日本馬が欧州に行っても勝つことは難しいし、欧州馬が日本に来ても勝つことは難しい」という認識が既に広まっており、現に英愛オークス馬という栄誉があるにも関わらず、4番人気(8.5倍)という評価だった。日本馬には当年の三冠牝馬アパパネ、京都大賞典で牡馬相手に快勝したメイショウベルーガといった実力馬が揃っていた。
しかしレースでは、残り300mで誰もが驚くようなとんでもない末脚を繰り出し、2着に4馬身つける圧勝。レース後の検量前にライアン・ムーア騎手が不注意で上腹帯を外してしまった(軽微な重量変動のため厳重注意にとどまった)ことが波紋を呼んだが、そんなゴタゴタが軽く吹っ飛ぶレベルの衝撃的な切れ味であった。
そのすんごい脚により、某掲示板ではスノーフェアリーについてのスレッドが何個も立った。だいたいは「今年のエリ女は糞レース」などといったスレッドが立つものだが、今回ばかりは誰もが舌を巻き「スノーフェアリー強すぎワロタwww」というスレが伸び続けた。ちなみに、スノーフェアリーという名前だけあって「チルノ」を想像した人もパラパラいたとかいなかったとか。
さて、次走はジャパンカップを予定していたが、中1週と厳しいローテーションで馬体重が回復せず、目標を翌月の香港カップに変更。このレースを後方2頭目から差し切り勝ちしたことにより、エリザベス女王杯の末脚が「まぐれ」ではなく「真の実力」であることを証明した。
2011年は始動戦の予定だったドバイシーマクラシックを脚部不安で回避。6月のプリティーポリーS(GI)も荒天による馬場悪化のため回避した結果、始動は7月のエクリプスステークス(G1・9f209y≒2002m)となり、勝ったソーユーシンクから9馬身差を付けられた4着に敗れた。その後はナッソーステークス(牝馬G1・9f197y≒1991m)をミッデイの2着、アイリッシュチャンピオンステークス(G1・10ハロン≒2012m)をソーユーシンクの2着、凱旋門賞(G1・2400m)を*デインドリームの3着、英チャンピオンステークス(G1・9f212y≒2004m)を*シリュスデゼーグルの3着と勝ちきれないレースが続いた。もっとも、どのレースも欧州の超一流馬が顔を揃える大レースばかりであり、健闘を讃えられこそすれ評価を落とすものではなかった。
11月、エリザベス女王杯に2年連続で挑戦。去年のインパクトもあり1番人気に支持されこそしたものの、この年1度も勝ってないのと、7月に始動してこれが6戦目というスケジュールもあって、流石にキツいのではと思われていた。
ところがレースでは、最後の直線でアヴェンチュラとアパパネが2頭で競り合っている中、突然内から何かが飛び出てきた。それがスノーフェアリーだった。アヴェンチュラにクビ差の勝利だったが、そのパフォーマンスたるや、前年の衝撃とはまた異なる凄まじいものであった。当然のように某掲示板では「スノーフェアリー強すぎワロタwww」というスレッドが1年ぶりに伸び続けた。
あれは妖精
お集りのレディたちに告ぐ
麗しき美貌への嫉妬も
女王の寵愛に対する猜疑心も
捨て去るのが身のためだあなたたちの意趣返しなど
通用するはずもないのだ
むしろあの艶やかな力に
たちまち魅入られるだろう
その後、前年同様ローテーションの厳しさを考慮してジャパンカップを回避。次走は香港ヴァーズの予定であったが、調教中に左前肢屈腱炎を発生したため回避することになった。
香港での故障は重く、2012年は上半期を全休し、8月に行われるジャンロマネ賞(仏G1・2000m)から始動した。怪我からの休み明けということもあって関係者は無事に走り終えればよいと思っていたのだが、これを快勝。……したのだが、3ヶ月後の11月末になって薬物の陽性反応が出たことが発覚、一転失格となった。
ただしこれは不正の目的で使用したわけではなく、香港ヴァーズ直前に発症した屈腱炎の治療のために使用した抗炎症剤の成分が抜けきらないうちにジャンロマネ賞に出走した結果、その成分が体内から検出されたという経緯であり、調教師が謝罪をしている。
この間、2度目の挑戦となった9月のアイリッシュチャンピオンステークスでは、ナサニエルやセントニコラスアビーといった有力馬相手にレコード勝ちを収めるなど、屈腱炎明けとは思えぬ強さを見せつけていた。
アイリッシュチャンピオンステークスでの勝利後、陣営は凱旋門賞への参戦と今年限りでの引退を表明。凱旋門賞の後はBCターフorBCフィリー&メアターフを経て、ジャパンカップで引退するというプランであった。しかし、凱旋門賞の1週間前に脚部不安を発生。かなり重いものであり、凱旋門賞だけでなくその後のプランも白紙に戻ってしまうことになった。翌年も現役を続行する予定だったが、7月になってかつて負傷した左前肢に再び屈腱炎を発症し、現役引退が決定した。
通算成績は21戦8勝、うちGI6勝。獲得賞金は買い戻し金額の2600倍以上にもなる391万1804ポンド(約5億8677万円)に達した。
引退後はアイルランドの牧場で繁殖入り。アイリッシュチャンピオンステークスが行われるレパーズタウン競馬場には2014年に銅像が建てられており、引退後もその功績が讃えられていることが伺い知れる。ちなみに銅像のお披露目に際しては実際に競馬場に来場し、銅像とともに写真に収まっている。
Intikhab 1994 鹿毛 |
Red Ransom 1987 鹿毛 |
Roberto | Hail to Reason |
Bramalea | |||
*アラビアII | Damascus | ||
Christmas Wind | |||
Crafty Example 1987 栗毛 |
Crafty Prospector | Mr. Prospector | |
Real Crafty Lady | |||
Zienelle | Danzig | ||
Past Example | |||
*ウッドランドドリーム 2002 青鹿毛 FNo.1-k |
Charnwood Forest 1992 黒鹿毛 |
*ウォーニング | Known Fact |
Slightly Dangerous | |||
Dance of Leaves | Sadler's Wells | ||
Fall Aspen | |||
Fantasy Girl 1994 黒鹿毛 |
Marju | *ラストタイクーン | |
Flame of Tara | |||
Persian Fantasy | Persian Bold | ||
Gay Fantasy | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Roberto 3×5(15.63%)、Northern Dancer 5×5(6.25%)、In Reality 5×5(6.25%)
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掲示板
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最終更新:2024/12/31(火) 00:00
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