ネヴァービート(Never Beat)とは、1960年生まれの
イギリスの競走馬。栃栗毛の牡馬。
日本競馬界に空前のNever Say Die系ブームを巻き起こした、60~70年代の名種牡馬。
父Never Say Die、母Bride Elect、母父Big Gameという血統。
父ネヴァーセイダイはアメリカ生まれの1954年英国クラシック二冠馬。
母ブライドエレクトは、アスコット競馬場の直線芝5ハロンの牝馬限定2歳重賞・クイーンメアリーSの1954年の勝ち馬。
母父ビッグゲームは当時の英国王ジョージ6世の所有馬で、デビューから無傷の7連勝で1942年の英2000ギニーを制した馬。種牡馬としても一定の成功を収めた。
2代母Netherton MaidがNearco産駒のため、Nearcoの3×3という濃いめのインブリード持ち。
生産者・オーナーははイギリスの馬産家ライオネル・ブルック・ホリデー少佐であった。
さてこのネヴァービートという馬、半兄に1962年のセントレジャー勝ち馬Hethersettを持つ良血馬だったが、はっきり言って自身の競走成績は二流、いや三流である。2歳から3歳までに10戦し、日本とは違って欧州では未勝利でも重賞を走れたりするので、未勝利のまま重賞で何度か掲示板入りはしていたものの、初勝利を挙げたのは3歳の9月の8戦目。結局その1勝のみの10戦1勝で現役引退した。
しかしそんな彼の良血に目をつけた日本の生産者がおり、彼は日本に輸入され、1964年から浦河で種牡馬生活を送ることになった。
血統の良さが買われたか、初年度から毎年50~60頭と、当時としてはなかなかの数の牝馬を集める。そして1967年から産駒がデビューし始めると、さっそく初年度産駒から皐月賞馬マーチスとオークス馬ルピナスを輩出するというホームランをカッ飛ばした。
これで種牡馬として不動の地位を確立したネヴァービートは、以降も続々と活躍馬を出した。2年目からは天皇賞馬リキエイカン、3年目からはビクトリアカップ勝ち馬クニノハナ。さらには5年目の産駒から障害馬唯一の顕彰馬グランドマーチスを輩出。10年目には牝馬二冠馬インターグロリアを出し、1970年・1972年・1977年と3度のリーディングサイアーに輝いたのである(1975年も加えて4度とする説もある)。
産駒の中央通算勝利数は1000勝を超え、2024年現在も種牡馬中央勝利数ランキングの20位に居る。グレード制以前の種牡馬で彼より上位にいるのは*ノーザンテースト、*ライジングフレーム、*パーソロン、*ヒンドスタン、トサミドリの5頭だけ。*トニービン(22位)より上位と言えばこの数字の凄さがご理解いただけるだろうか。
さらに同時期、同じNever Say Die産駒の輸入種牡馬が日本には2頭いた。*ダイハードと*シプリアニである。前者は八大競走を勝つような大物こそ出なかったが多数の重賞馬を出すアベレージ型の種牡馬として活躍し、後者は輸入当初の評価は低かったがトウメイ・ヒカルイマイ・アチーブスターと3頭の八大競走勝ち馬を出した。
こうなると日本の馬産界はこぞってNever Say Die産駒の輸入に動き、日本競馬界に空前のNever Say Die系ブームが巻き起こった。種牡馬として日本に輸入されたNever Say Die産駒は実に16頭。ラフオンテースを出した*フィルモンや、テンポイント・キングスポイント兄弟を出した*コントライトなど、Never Say Die系種牡馬はほとんど根こそぎ日本に連れてこられた格好であった。そのブームの火付け役となったのがネヴァービートだったと言える。
こうして日本競馬にとんでもない影響を残したネヴァービートは、1982年限りで種牡馬を引退。浦河町の荻伏牧場で余生を過ごし、1985年に老衰のため25歳で死亡した。
さて、そうして大活躍したネヴァービート産駒たちだったが……彼らの種牡馬としての扱いはというと、当時の内国産種牡馬の常として、はっきり言ってロクな扱いは受けなかった。マーチス、リキエイカン、グランドマーチスの代表産駒3頭を始め10頭ほどが後継として種牡馬入りしたが、束になっても地方重賞馬すら1頭も出せない惨憺たる結果に終わってしまい、ネヴァービートの直系は早々に途絶えてしまった。
他のNever Say Die系種牡馬の産駒たちも、最大の大物テンポイントが夭折してしまった不運もあったが、ヒカルイマイがサラ系ゆえに敬遠されたりと、種牡馬としては全く重宝されず、70年代に大ブームを起こしたNever Say Die系は、80年代には*ノーザンテーストらに駆逐されてしまうことになる。
じゃあネヴァービートの血自体も既に絶えてしまったのかというと、そんなことは全くない。
なぜなら彼は、むしろ母父としてメチャクチャ優秀だったのである。
母父としての産駒を挙げていくと、「華麗なる一族」中興の祖・イットーを皮切りに、「日の丸特攻隊」サクラシンゲキ、「世界に手を掛けた勇士」キョウエイプロミス、そして史上初の三冠牝馬メジロラモーヌ。さらにはマルゼンスキーの代表産駒スズカコバン、マイルCS馬パッシングショット、「新聞を読む馬」ダイタクヘリオスと、まあ錚々たる顔ぶれが並ぶ。他にもラモーヌの弟「ガラスの重戦車」メジロアルダンとか、阪神3歳S馬ラッキーゲランとか、メジロファントムとかユーセイトップランとか、オグリキャップ・オグリローマンの母ホワイトナルビーとか……。
その中でも現代の日本競馬に最も大きな影響を与えているのは、母父としてサクラユタカオーを輩出したことだろう。即ちサクラユタカオー産駒のサクラバクシンオーが血統表に入っている馬は、全てネヴァービートの血が入っていることになり、その血は母父バクシンオーのキタサンブラックとその産駒イクイノックスまで繋がっているのだ。
キタサンブラック産駒の時点で既に5代血統表からは押し出されてしまうが、ネヴァービートの血が日本競馬から消えることはおそらく当分の間はないだろう。
| Never Say Die 1951 栗毛 |
Nasrullah 1940 鹿毛 |
Nearco | Pharos |
| Nogara | |||
| Mumtaz Begum | Blenheim | ||
| Mumtaz Mahal | |||
| Singing Grass 1944 栗毛 |
War Admiral | Man o' War | |
| Brushup | |||
| Boreale | Vatout | ||
| Galaday | |||
| Bride Elect 1952 鹿毛 FNo.21-a |
Big Game 1939 鹿毛 |
Bahram | Blandford |
| Friar's Daughter | |||
| Myrobella | Tetratema | ||
| Dolabella | |||
| Netherton Maid 1944 鹿毛 |
Nearco | Pharos | |
| Nogara | |||
| Phase | Windsor Lad | ||
| Lost Soul |
クロス:Nearco 3×3(25.00%)、Blandford 5×4×5(12.50%)、The Tetrarch 5×5(6.25%)
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最終更新:2025/12/12(金) 12:00
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