Hi! 待ってた?私がFletcher級駆逐艦
Richad Phillips Learyよ!
Learyでいいわ! よろしくねっ!
Richard P. Learyとは、アメリカ合衆国海軍フレッチャー級駆逐艦"Richard P. Leary(DD-664)"をモチーフとする艦隊これくしょん~艦これ~の艦娘である。艦名は19世紀後半に活躍したリチャード・フィリップス・リアリー少将に由来する。
(担当声優:倉西希奈 イラスト:ZECO 図鑑番号:No.542)
リチャード・P・リアリーはアメリカ合衆国海軍フレッチャー級駆逐艦「Richard P. Leary」として就役し、終戦後日米艦艇貸与協定に基づき日本に貸与され海上自衛隊に編入、護衛艦「ゆうぐれ」としての艦歴を重ね、日本での活躍のほうが長かった艦――をモチーフとした艦娘である。
以下、本人の口上からLearyと呼ぶ[1]が、彼女は2023年及び2025年艦これ公式カレンダーのZECO氏担当ページに彼女が僚艦と言っているHeywood L. Edwardsら既存艦と一緒に描かれていた艦娘で、図鑑番号もHeywoodの隣に配置されている。また、12周年ローソンコラボ商品でHeywood共々ドレス姿を披露していた。
Learyは2025年5月12日の【突入!第二次礼号作戦】終了メンテにて浜波改二と同時に実装された。一般海域の期間限定ドロップにより入手が可能で、南西諸島海域2-3または2-4のボスマスで僚艦Heywoodや今回改二が実装された浜波などとともにドロップする可能性があった。期間限定ドロップで一般海域を初出とする艦娘は2018年5月15日に配備された択捉型海防艦「福江」に続く例となる。
なお、初回の期間限定ドロップは同年5月30日のメンテまでと告知
されており、一旦は新規獲得の機会はお預けとなったが、後述の水着グラ実装に伴い再び臨時ドロップが設定された。
Fletcher級の艦娘としては初となるショートヘアが特徴で、着崩しセーラー服も姉妹と同様となっている。栗色ショートヘアな見た目から「比叡の幼生」との呼声もちらほら。姉妹艦との違いでは袖がなくなってるかわりに長手袋を装備している点が注目される。これはさみすず&海風型姉妹に似た姿である。
FletcherとJohnsonはLv1から対潜水艦先制爆雷攻撃ができるが、Heywood共々その機能はオミットされているのが育成上残念なところ。改になるとFletcherやJohnson同様の青い制服に更新されるのも姉Heywoodと同じである。そのかわり、邂逅時点でSGレーダー(初期型)を持参する。Lv55で改に改装可能だが、姉妹艦同様高速建造材10個、開発資材80個を消費する。持参装備及び改での初期装備はHeywoodと全く同じである。
お触りボイスで「夕暮れまで待ってて」と謎めいたセリフを述べ、午後五時の時報で何とキスしてくる。ミネアポリスといい押しが強すぎる(同じ中の人同士ではあるが、担当声優自身も「あざとい」との認識)。時報での時間の呼び方もHeywood&ありあけ同様米軍(xx o'clock)パターンに続いて日本軍パターン(ex:マルヒトマルマル)の2種類で読み上げる。米軍流or自衛隊流どちらの食事でも対応可能とのこと。(これもHeywoodと同じ。)時報で登場する他の艦は姉のHeywoodと西村艦隊のようだ。
2025年6月4日夕方のオンメンテにて初となる梅雨グラが実装された。また、梅雨ボイスではスリガオ海峡海戦で対峙した西村艦隊生存艦からその生存艦の僚艦である第27駆逐隊のある艦娘の紹介を受けている[2]。
同年6月末のアップデートにて、カレンダーに登場していたのと同様のビキニ水着グラが実装され、同時に2度目となる限定ドロップが解禁となった。今度は2-4と2-5でドロップする模様。
USS DD-664: Richad P. Learyはボストン海軍工廠で1943年7月4日に起工した。同工廠の隣のドックでは姉のDD-663: Heywood L Edwardsが同日起工していた。進水もHeywoodと同日の同年10月6日。竣工こそHeywoodに遅れを取り1944年の2月23日だったが、就役後はHeywoodの所属先でもある第56駆逐戦隊(DesRon56)に配属された。同時期、Learyの名を含む駆逐艦が他にいた[3]ため、Richad P. LearyはArpy[4]というニックネームでも呼ばれていた。
1944年9月にはパラオ諸島の戦いに参戦し、ペリリュー島上陸とアンガウル島上陸の支援を行う。
1944年10月のレイテ沖海戦に先立つ10月20日、ともに行動していた軽巡洋艦ホノルル(Honolulu, CL-48)が航空魚雷が被弾した際にはその救援に当たっている。スリガオ海峡海戦では第56駆逐戦隊第1分隊に属し、僚艦とともに放った魚雷のうち2本が日本海軍第1遊撃部隊第3部隊旗艦・戦艦「山城」に命中したとされる。
1945年に入ると硫黄島の戦いや沖縄戦でも砲撃支援任務に従事し、8月にアリューシャン列島に派遣された後日本側が停戦に合意すると9月に大湊に到着。同月末カリフォルニア州サンディエゴに向かい不活性化措置を受けた。米軍としての退役は1946年12月10日。(※除籍は日本から返還を受けた後の1974年3月18日)
1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効し主権を回復した日本だったが、その海上防衛力を担う海上自衛隊は終戦後7年間の空白により建艦能力や艦の運用能力が大幅に削がれていた。サンフランシスコ平和条約と同時に米国との間で締結された日米安全保障条約、更に日米艦艇貸与協定により米海軍から数隻の艦艇が海上自衛隊に貸与されることとなった(ガトー級潜水艦「ミンゴ」やリヴァモア級駆逐艦「エリソン」「マコーム」など)。その中でフレッチャー級駆逐艦も2隻貸与された。これがDD-663 Heywood L. EdwardsとDD-664 Richard P. Learyであり、それぞれ自衛隊で「ありあけ型護衛艦」DD-183ありあけ、DD-184ゆうぐれと命名された。
アメリカのロング・ビーチで引き渡されたHeywoodとRichadは曳船で太平洋を渡り、Richadは1959年3月10日に「ゆうぐれ」と命名された。「ゆうぐれ」東京石川島造船所にて再就役に向けた工事を受け、工事は1960年12月17日に完了した。
その後数次の用途変更やそれに伴う改装を受けながら1974年3月9日まで日本での任務を全うして海上自衛隊を退役し翌10日アメリカに返還された。返還を受けた米軍は同年3月18日に除籍し、本土に戻ることなく1976年7月1日に台湾にスクラップとして売却され、その30年の生涯を終えた。
以降「ゆうぐれ」の名を冠する護衛艦は2025年現在就役していない。
「夕暮」の僚艦とのちの「ゆうぐれ」
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最終更新:2025/12/28(日) 07:00
最終更新:2025/12/28(日) 07:00
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