セイウンスカイとは、1995年生まれの競走馬。1998年に皐月賞と菊花賞を制した二冠馬である。実は横山典弘騎手に最初の3歳クラシックをプレゼントした馬である。
父シェブリスター 母シスターミル 母父ミルジョージという血統。・・・誰?シェブリスター?それもその筈。産駒が走らないために、セイウンスカイがデビューした時には、既に種牡馬を引退。どこへとも無く消えてしまっていたのである。
廃用になった種牡馬の仔である。期待なんてされている筈も無い。新人調教師であった保田一隆調教師の元に入厩してもそれほど目立ったところは無かった。もっとも、調教助手だけは「背中が良い」と思ったそうである。
しかしデビュー戦を6馬身差で圧勝すると次第に評価は高まり、ジュニアカップで物凄い逃げ切り勝ちを収めると「クラシックの有力候補!」と呼ばれるようになっていた。
弥生賞で終生のライバルとなるスペシャルウィークと初対戦。2着に敗れると、鞍上が横山典弘騎手に変更になる。一跨りした横山騎手はその手ごたえにご機嫌になり「いつも武豊じゃぁ面白くないでしょう」と不敵に笑ったそうだ。
その言葉通り、皐月賞では4コーナ先頭からまったく衰えない脚を繰り出して、キングヘイローとスペシャルウィークを完封。優勝した。この優勝が意外な事に、横山騎手にとって初めての3歳牡馬クラシックのタイトルだった。
続くは当然ダービー。何しろ父は良く分からないが欧州血統。母の父がミルジョージだし、距離延長は望むところ。横山騎手も皐月賞で指を一本立てたように、この時点では三冠まで意識していたらしい。
しかしダービー。キングヘイロー鞍上の福永祐一騎手の鞭が当たるというアクシデントでやや掛ってしまい、4コーナーで先頭には立ったものの、スペシャルウィークの強襲、そして鞭を落としてまで追い捲った武豊騎手の執念の前に完敗。4着。三冠の夢は破れた。
秋、セイウンスカイは京都大賞典に出走。ここには春の天皇賞に勝っていた、古馬の王者(長距離限定)メジロブライトが出走してきていた。流石にここは相手が強いか、と、思われたのだが。
大逃げして、引き付けて、直線前にまた離すという芸術的なレースっぷりで、メジロブライトを完封。ブライトは狙い通りの物凄い末脚を発揮しており、あれで何で交わせないのかとファンは唖然とした。
最高の予行練習を演じて菊花賞。しかしスペシャルウィークも京都新聞杯を楽勝してきており、一番人気はスペシャルに譲った。しかしこのレースで、セイウンスカイはファンにある意味トラウマになってしまうような強烈なレースを見せるのである。
スタートすると一気に行ったセイウンスカイ。マークをものともせず、ハイペースで逃げる逃げる。前半の1000mを1分を切るハイペースに持ち込む。スペシャルウィーク以下人気馬はハイペースを警戒して控えた。ところがそれを見越して、次の1000mはスローに落とした横山騎手。お手本のような息の入れ方である。しかしながら、息を入れたといっても後続は大きく離れたままだった。ここで無理に詰めたら最後に脚がなくなるのだから当たり前だ。
つまり、ここで既に後続は成す術が無かったのだ。
残り1000mで一気にペースを上げたセイウンスカイ。スペシャル以下の後続馬も手綱をしごいて必死に追走するが、セイウンスカイは更にスピードを上げる。直線に入っても差は詰まらない。詰まる筈が無い。必死に追い込んできたスペシャルウィーク以下の壮絶な2着争いを尻目に、ただ一頭次元の違うレースを展開してセイウンスカイは悠々ゴール。
菊花賞を逃げ切った馬は実に38年ぶり。タイムはレースどころか3000m芝の世界レコード。
レースに勝つには、レースを支配すればいいのだ。こういう風に。直線ヨーイドンの競馬ばかりを見せられていた競馬ファンはセイウンスカイにそう言われた気がしたものである。そしてファンは、前週に夭逝したサイレンススズカに続く、圧倒的な強さを持つ逃げ馬の誕生に熱狂した。
・・・のだったが、セイウンスカイが見せた輝きはここまでだったのである。
有馬記念は逃げたのだが、普通に捕まって、馬群に沈んだ。あれ?
まぁ、日経賞は勝ったが(ちなみに二着は同じ父を持つセイウンエリア)、天皇賞ではスペシャルウィークとメジロブライトに、並ぶ間もなく交わされた。あれ?
札幌記念ではなぜか差し切り勝ち。え~?
挙句に秋の天皇賞ではゲートを嫌がり、5分くらいもめた挙句逃げそこない、5着惨敗。あれ~????
あんなに強かったセイウンスカイはどこへ?とファンは頭の中を?マークで一杯にしたのだった。
しかし問題だったのは、ファンの頭の中に、菊花賞でスペシャルウィークに影をも踏ませず逃げ切った、セイウンスカイの勇姿がこびりついていたことであった。もしもあんなレースをまたされたら誰も敵わない。そう思うと、どうしてもセイウンスカイを馬券で切れなくなってしまうのである。
その最たる物が、一年以上も屈腱炎で休んでの復帰戦。春の天皇賞であった。もう6歳。ライバルだったスペシャルウィークも既にいない。活きの良い4歳馬であるテイエムオペラオーやナリタトップロードがいるここでは、いくらなんでも故障休養明け、一年ぶりのセイウンスカイは苦しい。
そう思っているのに。そう分かっているのに。
切れない。同じ京都のコースであの完璧な逃げ切り勝ちを見せつけたセイウンスカイの姿がちらついて、どうしても切れない・・・。結局、セイウンスカイは6番人気に支持された。結果は逃げたものの、3コーナで終わって惨敗。最下位だった。ああ、やっぱりな。と思う反面、へろへろでゴールしたセイウンスカイを見るのは涙が出るほど辛かったものである。
結局、このレースで引退。GⅠは皐月賞と菊花賞しか勝てなかった。しかしながら、掲示板を外したのはラストランだけという堅実な走りを見せ、廃用となってしまったシェブリスターの名誉を少なからず回復させたのであった。
同時期に活躍したサイレンススズカのように圧倒的なスピードで飛ばすタイプでも、他馬をねじ伏せるようなミホノブルボンのようなタイプでもない。緩急を操って、レースを支配して他馬を翻弄するという玄人好みの逃げ馬であった。ゆえに負けても大崩れしなかったのだろう。しかしながら、ライバルであるスペシャルウィークの切れて長い末脚は、やはり直線が長いコースになると脅威だった。
引退して種牡馬になったが、血統の悪さからかそもそも種付け依頼が極端に少なかったようである。牧場も商売だから仕方が無いのだろうが・・・。
2011年死亡。この馬の仔から芦毛の逃げ馬の後継者が出てくれると信じていただけに、無念である。
GⅠ二勝馬であるし、古馬になってからGⅠに勝てていない。ゆえに、どうしてもスペシャルウィークより上には評価出来ないし、同期のエルコンドルパサー、グラスワンダーにも戦績として劣ると言わざるを得ない。
しかしながらあの菊花賞。レースを完璧に支配し、こんな馬にどうやって勝つんだとファンに思わせたあのレースの時だけは、セイウンスカイは世代どころか史上最高の逃げ馬であったと断言出来る。あの時の衝撃を上回るレースをした逃げ馬はその後、現れていない。
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最終更新:2024/05/05(日) 17:00
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