概要
スペイン宗教裁判、背景
舞台はイベリア半島(現在のスペイン・ポルトガルがある半島)。
事の起こりは8世紀頃にまで遡る。
西暦710年、イベリア半島のほぼ全域を支配していた西ゴート王国が、中東地域で領土を拡大していたサラセン帝国ウマイヤ朝の侵攻を受け、滅亡した。
以来15世紀までの約700年間、イベリア半島ではキリスト教からイスラム教に改宗することが流行。この流れに乗り、ギリシャからアフリカ半島北部を経由してアラブ人が多数流入していた。
また欧州側の、半島の付け根に位置しているバルセロナ周辺には、古くから富裕なユダヤ人(ユダヤ教徒)が多数住みついていた。
西ゴート王国の滅亡から8年後、亡国の貴族はイベリア半島北部の山岳地帯に落ち延び、新たにアストゥリアス王国を建国。初代王に即位したペラーヨの指揮のもと、南方に向けて反攻運動を開始する。
これが世に言う「レコンキスタ(国土回復運動)」の始まりである。
一方、新たにイベリア半島の支配者となったウマイヤ朝も、順風満帆という訳ではなかった。
広大な版図を得た裏で内部分裂を引き起こし、反乱が頻発する中で有効な手段を打てず、750年に滅亡、アラビア半島の支配者はアッバース朝へと移り変わった。残存勢力はアラビア半島からイベリア半島へと落ち延び、後ウマイヤ朝を建国する。
しかしアッバース朝の支持者による反乱に加えて先のレコンキスタの激化により、きわめて多難な状況を強いられる。更に778年にはフランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ)による南下侵攻と、泣きっ面に蜂の戦況が続く。
それでも頑張って持ちこたえた後ウマイヤ朝だったが、1031年にヒシャーム3世の廃位により、ついに滅亡。これによりイスラム勢力は分裂、レコンキスタは激化していったが、ここから長いのでオチまで一気にすっ飛ばす。
時代は飛んで1474年。
イサベル1世がカスティーリャ王国の女王に即位、アラゴン王国国王である夫・フェルナンド2世との共同統治を宣言。ここに両国は統合され、スペイン王国(イスパニア王国)樹立となった。これによりレコンキスタの気運は最高潮に達する。
1482年、最後のイスラム勢力の拠点、イベリア半島最南端のグラナダ王国が攻囲戦に突入。
1492年1月6日、最後の砦・アルハンブラ宮殿が陥落。長きにわたるレコンキスタは終了した。
スペイン宗教裁判、開始
さて、レコンキスタ後に成立したスペイン王国だったが、その宗教事情は複雑なごった煮状態にあった。
グラナダを中心に残るイスラム教徒、バルセロナ周辺のユダヤ教徒、カトリックに改宗しながらイスラム風・ユダヤ風の生活を続ける改宗者(コンベルソ、モリスコ)など、政治的に不安定な要素が数多く残されていた。長きに渡るイスラム勢力の支配により、スペイン王国はヨーロッパでも特異な多民族国家となっていたのである。
反乱で疲弊して滅亡したウマイヤ王朝に習うまでもなく、不安要素たる異教徒を一掃し、イベリア半島をカトリックの元に統一させて政情を安定させる必要があった。
また諾問機関を設置する事により、中央集権機関の発足も期待された。かくしてローマ教皇庁の承諾の下、スペイン王国そのものを対象にして異端審問が開始。
これを差して、「スペイン異端審問」「スペイン宗教裁判」と称する。
ただし実際の動機は、フェルナンド2世のお財布事情が関係しているという。
すなわち、彼は当時から金融業を営んでいたユダヤ人から多額の債務を受けており、返済に苦慮していた。この際異端審問をダシにユダヤ教徒を一掃スレば債務を帳消しにできるという、実にしみったれた理由である。
そんなフェルナンド2世の要請に対し、教皇庁内部でも意見が対立、なかなか許可が下りなかった。キリスト教的にはそのようなことで裁判を開いては威信に傷が付くという意見によるものだったが、フェルナンド2世の要請を受けたスペイン人枢機卿、ロドリゴ・ボルハの巧みな弁舌により、流れは次第に変わってゆく。最終的に教皇シクストゥス4世は不承不承許可を出し、異端審問が開廷されることになった。
この時の活躍により、ロドリゴ枢機卿はスペイン王国の後押しを得ることに成功、権威を拡大。
彼の名はイタリア語で「ロドリゴ・ボルジア」。後に教皇に選出され「堕落した教皇」「史上最悪の教皇」と批判されたアレクサンデル6世である。
彼をはじめとしたボルジア家の一族については血で血を洗うがごとき陰惨な物語が知られているが、それは別項に譲る。
さて、そもそも「異端審問」とは「キリスト教徒でありながら正しい信仰をしていないもの」が対象であって、他の宗教の信仰者は対象ではない。
しかし「ユダヤ教・イスラム教からの改宗者(コンベルソ、モリスコ)が異教の因習を守っている」というこじつけめいた理由に乗っかる形で、彼らは容赦なく審問の対象になった。
この状況に流石に教皇庁も抗議の声を上げたが、当時の地中海周辺はいまだイスラム勢力による不穏な情勢にあり、国土をカトリックの手に戻した「英雄」スペイン王国の軍事力は必要とされていた。最終的にフェルナンド2世の要求を飲まざるを得なくなり、正式な「お墨付き」を無理矢理もぎとった頂いた事で、異端審問はさらに拡大する。
このようなひどい状況下で開催されたので、異端審問の裁判期間中は異教徒に対する検閲や拷問、死刑などが当然のように横行。
更に告発者は匿名が許された事もあり、個人的な恨みから、あるいは報奨金を目当てに密告が相次ぎ、財産は国家に没収されるという陰惨な状況を作り出した。
特にフェルナンド2世の意図を徹底的に隠すため、ユダヤ人は不意を打って審問され、改宗しないとみるや直ちに火刑に処されたという。中には「豚肉を食べなかった」という理由だけでユダヤ教徒と疑われ、拷問にかけられた者もいたという話が伝えられている。
スペイン宗教裁判、裏事情と終焉
ただしこういった裁判の実情は当時のスペイン、特に上述の理由で無理やり宗教裁判を開廷させたことに対し、教皇庁や異教徒によるネガティブキャンペーンによるイメージが強い。
実際に捕まった12万人のうち死刑が宣告されたのは2000人程度、残りは警告や誤認逮捕後に釈放されたという。これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれだろう。
またヨーロッパを吹き荒れ、一説には数万人が犠牲となったという「魔女狩り」については、スペイン国内ではほとんど扱われなかった。魔女なるものは迷信の産物であり異教徒には含まれず、悪魔憑き自体も精神疾患として処理されたのである。
「魔女が集会を開いた」という告発を受け、わざわざ事件現場に赴いて現地を調査。物的証拠がないとして告発を退けたばかりか、罪のでっち上げと越権行為を理由に裁判官を処罰、没収された財産を被告に返還するという、驚くほどまっとうな処分を行った記録が残っている。
1517年、後にキリスト世界を激変させた「宗教改革」が起きると、宗教裁判は弱体化してゆく。
1808年に「英雄」ナポレオン・ボナパルトがスペインを支配すると、宗教裁判が禁止されたこともあって権力の弱体化が急速に進み、1834年に宗教裁判は正式に廃止された。
スペイン宗教裁判、お笑いへ
以上の歴史上の流れを踏まえ、イギリスのコメディグループ、モンティ・パイソンによるスケッチ(コント)が「スペイン宗教裁判」である。
徹底的な検閲、自白・改宗をしなかった際の苛烈な拷問、さらには当時の理不尽な理由により行われていた異端審問そのものをネタにしている。
BBC『空飛ぶモンティ・パイソン』第2シリーズ第2話で放送。「スパム」「死んだオウム」と並び、屈指の知名度と人気を誇るスケッチである。
番組を通し、パートはおおまかに3つに分かれている。
前半では、1912年の大晦日が舞台。
工場労働者のレッグ氏(グレアム・チャップマン)が編み物をしている女性(キャロル・クリーブランド)と会話をするが、訛りもあってまるで話が通じない。あまりの通じなさにレッグ氏は思わず「まるでスペイン宗教裁判みたいだ!」と口にする。
その瞬間、
ジャーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!!!
という謎の効果音と共に、リーダーのヒメネス枢機卿(マイケル・ペイリン)、飛行帽を被ったビグルス枢機卿(テリー・ジョーンズ)、赤い頭巾のファング枢機卿(テリー・ギリアム)の3人が登場。
NOBODY expects the Spanish Inquisition!!
(まさかの時のスペイン宗教裁判!)
とヒメネス枢機卿が叫び、恐怖やら脅迫やら狂信やらのいきあたりばったり的な武器と罪状をひけらかす。
台詞を言い間違えて何度も退場と登場を繰り返す(そのたびにレッグ氏の台詞からやり直し)ヒメネス枢機卿、スコティッシュ訛り(字幕では名古屋弁)で「おみゃーさんは邪教を信じたで好かんわ」と罪を告発するファング枢機卿、「拷問台(Rack)」ではなく「食器の乾燥台(Rack)」を取り出すビグルス枢機卿、被告を威圧する「悪魔的笑い&悪魔的動作」など、適当極まる裁判の様子をギャグにしている。
いくつかのスケッチを挟んだ後、後半がスタート。優しそうなおばあさんと娘が写真を見ながら居間でまったり寛いでいる。たまたま手にした写真に何故か例の3人組が映っているのを「まあ、スペイン宗教裁判だなんて」と娘が口にした途端、
ジャーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!!!
と再び登場。そしてドキュメンタリー調のオープニング「これがスペイン宗教裁判だ!」が入る。
場面は変わり、怪しげな地下室に被告のおばあさんを連れてきた3人組。しかし前半以上に輪をかけて適当な内容で、「お前には3つの罪がある…異端思想、言動、行為、動作。いや4つだ」と後の四天王ネタを見越していたかのようなギャグをかまし、顔に押し付けて窒息させるためのクッションでわき腹をつついて拷問(?)、「安楽椅子(トゲが生えた拷問用の椅子)」ではなく「安楽椅子(アームチェア)」を用意、おばあさんが快適そうに寛いでいる中で「告白せよ!告白せよ!」と絶叫するなどやりたい放題。
番組のラスト近くでは別のスケッチで裁判の様子が描かれる。
理不尽な判決に対して弁護士が「これじゃまるでスペイン宗教裁判だ!」と発言、一同は期待を込めてドアの方を注視する。ところがこの時に限り自宅で寛いでいた3人組、大慌てで家を飛び出してバスに飛び乗り裁判所に向かう。
しかし無情にもスタッフロールが始まり、流れる文字を前に3人組は「やばい!もう照明まで来たぞ!」「プロデューサーまで来ちまった!急げ!」と第四の壁を盛大に突き破る。ようやく裁判所に到着、部屋に飛び込んで「NOBODY expects the Spanish…」とキメ台詞を口にした瞬間に暗転して「The End」と表示、「Oh,bugger!(ああ、クソ!)」と罵って終了するという、メタいオチになっている。
このしょうもなさはおおいにウケを取り、後のゲーム、特に英語を話すイギリス・アメリカ発のゲームでは他のパイソンネタと一緒によく引き合いに出される。
日本でも、かつては一部のコアなゲーマーなどがギャグとして用いるのみだったが、ニコニコ動画やトロステでネタにされたりして色々有名になった。その結果がこの記事だよ!!
関連動画
まさかの時のスペイン宗教裁判。
メル・ブルックスによる、スペイン宗教裁判のパロディミュージカル。
トマス・デ・トルケマダは初代異端審問所長官で、残虐非道の代名詞。どうしてこうなった。
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