鳳翔(ほうしょう)とは、ゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する日本海軍の航空母艦「鳳翔」をモデルにした艦娘である。艦これでの艦種は軽空母[1]。
概要
艦これでの鳳翔
レアリティが最も低いランクであり、最初の海域である鎮守府海域(1-3・1-4)でもドロップする数少ない軽空母なので、運が良ければ序盤で入手する事も十分可能。ただし、全体で見るとドロップする海域が限られる部類に入るため、序盤で手に入れ損ねると一転して軽空母収集最後の艦になっていた、というケースもある模様[2]。
入手時期的に、ほぼ一番始めに入手できる軽空母であるため、その後に控える難所1-4を突破する際の切り札として投入される事が多い。この時点だと入手できる空母は千歳型(ただしレベル15まで育てる必要あり)と任務達成報酬の赤城しかなく、非常に少ない空母戦力として新米提督の1-4突破を支える。建造も視野に入れれば他の空母も入手できるが序盤の資材で空母レシピを回すのは困難である。
燃料・弾薬の消費が軽空母の中で最も少ないのが最大の強み。その為、資源の心配をそれほどせずに編成に組み込みやすい[3]。ステータス面では耐久が他の軽空母より低めな反面、終戦まで健在であったことを反映して運が高めに設定されている。
低コストの代償として、初期状態では装備スロットが2つしかなく、艦載機の積載数も史実を反映して無改造の空母としては最低の19機。この問題点は改造(レベル25で可能)を行う事で改善される。装備スロットが3つになり(ただし他の軽空母は4つになるので、1つ少ない点は変わらない)、搭載数は龍驤改に1機及ばないが千歳航・千代田航を上回って他の艦と比べてもそれほど見劣りしない。更に、3スロットではあるがそれぞれに艦載機を2ケタずつ搭載できるため、レア艦載機が揃っていない鎮守府では運用しやすいであろう。また、史実では14cm単装砲を装備していた時期もあるが、ゲーム内では他の正規空母・軽空母同様装備不可となっている[4]。逆に、飛行甲板が短すぎて史実では運用・搭載が不可能だった流星等を使用する事が可能である。
艦載機の開発に関しては正規空母に何ら劣る点はなく、提督が愛と資源を投入すれば流星改だろうが烈風だろうがホロ艦載機を量産し、ゆくゆくは流星や零戦52型、彗星といったレア機種ですら艦隊から駆逐してくれる。また、艦載機乗換任務にもかかわっており、鳳翔さんがいないと達成できない任務も存在する。マンスリー任務やクォータリー任務では多くの熟練搭乗員が鳳翔さんから巣立っていくだろう。
艦娘としての外見は弓道着を連想させる服装をした、落ち着いた包容力の高そうな女性として描かれている。弓矢を持った艦娘の中では唯一矢羽がオレンジ色であるが、これは当時の海軍の訓練用飛行機の塗装にオレンジ色が多用された事に由来すると言われている。
艦これのお約束である損傷時のグラフィックもしばふ型の例に漏れずどちらかと言えば控え目な描画となっており、良妻賢母なイメージを持つ艦娘として人気がある。
公式4コマでは遅すぎる14話で初登場し、空母寮の寮母的なポジションを担っている。提督たちの間での「お艦」というイメージが公式にも逆輸入されている印象を受ける。2014年1月のアップデートでは改造後の放置ボイスの追加と補給・クリック時ボイスの差し替えが行われている。
長らく期間限定グラフィックの実装は無かったが、2017年1月に初の期間限定グラフィックが実装された。割烹着を身につけて熱燗のお酌をしてくれるその姿はまさに料亭の若女将であり、中破時の色気はさらに増している。同月には艦これコラボを行っている三越百貨店のオンラインストアにて巫女姿の鳳翔さん掛軸が発売された。
彼女を艦娘の年長者と思っている提督も少なくはないだろうが[5]、仮に竣工からの年月=年齢とすると終戦時点でも22歳でありKさん(大正2年/1913年)やHさん(大正3年/1914年)の方が8~9歳ほどおばs……
うわなにをすくぁwせdrftgyふじこlp\カーンカーンカーン…/
航空母艦 鳳翔
「八八艦隊」計画の一環である「八六艦隊」の中の“特務艦”として、大正7年(1918年)に予算成立。大正8年(1919年)12月、民間の浅野財閥系の浅野造船所(横浜市)で起工、大正10年(1921年)11月進水。その後の製造は海軍の横須賀海軍工廠に移って、大正11年(1922年)12月27日に竣工した。
日本海軍において初の航空母艦であり、純粋に航空母艦として建造された軍艦としては世界で初めて竣工した艦でもある(起工は英国海軍の『ハーミーズ』が早かったが、製造が遅れたため『鳳翔』が追い抜いた)。なお、元々予定されていた艦名は『竜飛』。
「世界で初めて」が示すように草創期の空母であるため、小型の船体には大き過ぎる島型艦橋(大正13年の改装で撤去)や艦首側へ緩やかな下り坂になっていた飛行甲板の形状(艦橋撤去と同時に平坦なものに改装)が発着艦の支障になったり、起倒式の煙突が重すぎて船体の復原性を低下させたりといった問題を起こしたが、改装を重ねる事でこれらの問題点を解決。後の新空母建造に向けての貴重なデータを提供した。
1923年3月5日、吉良俊一大尉が日本人として初めて着艦に成功。1回目は成功したが、2回目は右舷から海中に転落し失敗している。吉良大尉は傷一つ負わなかったが。
この時に得られたデータから、着艦の際に艦橋が邪魔になると判明。まもなく撤去された。
昭和2年(1927年)、ワシントン海軍軍縮条約(大正11年締結)により「八八艦隊」が中止され、「八八艦隊」で巡洋戦艦になるはずだった『赤城』が空母として完成。空母が2隻になったので戦隊を組めるようになったことから、昭和3年(1928年)4月、初めて「第一航空戦隊(一航戦)」が『鳳翔』と『赤城』で試験的に編成された。
昭和3年3月、同じく「八八艦隊」で戦艦になるはずだった『加賀』も空母として完成。昭和4年(1929年)4月からは連合艦隊第一艦隊所属の常設戦隊となる。
昭和8年(1933年)に『龍驤』が就役すると、翌昭和9年(1934年)からは第二艦隊所属で「第二航空戦隊(二航戦)」を編成。『赤城』『加賀』『龍驤』『鳳翔』で、「一航戦」「二航戦」「予備」のローテーションを回す体制が取られるようになる。
編成年月日 | 第一航空戦隊 (所属:第一艦隊) |
第二航空戦隊 (所属:第二艦隊) |
---|---|---|
昭和4年4月1日 | 赤城 鳳翔 | |
11月30日 | 加賀 鳳翔 | |
昭和5年12月1日 | 赤城 鳳翔 | |
昭和6年12月1日 | 加賀 鳳翔 | |
昭和8年11月15日 | 赤城 龍驤 | |
昭和9年11月15日 | 龍驤 鳳翔 | 赤城 |
昭和10年11月15日 | 加賀 | |
昭和12年12月1日 | 加賀 | 龍驤 |
昭和13年12月15日 | 赤城 | 蒼龍 龍驤 |
昭和7年(1932年)1月、中国で起こった第一次上海事変に対応するため、臨時編成の第三艦隊所属で『加賀』とともに出撃。日本空母として初の艦隊行動を取る。2月5日、鳳翔搭載の十三式艦攻が南京政府軍機を撃墜し、戦果を挙げた。これが帝國陸海軍にとって初の敵機撃墜だった。2月8日、航空隊が上海郊外の呉松砲台を空襲。
1933年1月末、鳳翔は夜間着艦誘導灯のテストを行った。その結果、非常に有用であると判断され制式化。後続の空母に装備されていく事となる。
昭和10年(1935年)9月、演習のために臨時編成された第四艦隊が、岩手県沖で台風に遭遇して多くの艦艇が損傷する「第四艦隊事件」が発生。『鳳翔』も『龍驤』とともに演習に加わっており、飛行甲板を破損している。
昭和12年(1937年)に勃発した支那事変(日中戦争)では、稼働可能な空母3隻で支那方面艦隊に所属するが、12月には戦隊を外れて予備艦となる。
その後、昭和13年(1938年)に『蒼龍』・昭和14年(1939年)に『飛龍』が就役すると、空母としては低速・小型であり旧式化した『鳳翔』を一線級部隊へ編成することは無くなる。昭和15年(1940年)、『龍驤』とともに第三航空戦隊(三航戦)編成。
昭和16年(1941年)には『龍驤』が第四航空戦隊(四航戦)へ異動したため、太平洋戦争の開戦は空母『鳳翔』『瑞鳳』と駆逐艦『三日月』『夕風』[6]で再編成された三航戦で迎えた。
1941年12月8日、真珠湾攻撃に向かった機動部隊を支援するため柱島より出撃。
そして運命の開戦を迎えた鳳翔は「銃後の護り」を託され、内地に留まり続ける事となる。1942年3月12日、本土に接近してきた米軍艦隊を追跡。4月1日、第一艦隊所属となる。5月29日、ミッドウェー作戦に参加するため、第三航空戦隊の僚艦である瑞鳳とともに柱島を出撃。6月5日のミッドウェー海戦に参加する。
ミッドウェー海戦では『大和』をはじめとする戦艦部隊の随伴で出撃(沈没直前の空母『飛龍』の写真を撮影したのは『鳳翔』搭載機)した以降は、専ら練習用空母として飛行訓練に使用された[7]。
編成年月日 | 艦隊・戦隊 | 所属 (駆逐艦) |
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開戦時 | 第一艦隊 第三航空戦隊 | 鳳翔 瑞鳳 (夕風) (三日月) |
昭和17年4月10日 | 第一艦隊 (附属) | 鳳翔 瑞鳳 (夕風) (三日月) |
7月14日 | 第三艦隊 (附属) | 鳳翔 (夕風) |
昭和18年1月15日 | 第三艦隊 第五十航空戦隊 |
鳳翔 龍鳳 (夕風) 鹿屋海軍航空隊(鹿児島) 築城海軍航空隊(福岡) |
9月1日 | 鳳翔 (夕風) 鹿屋海軍航空隊 築城海軍航空隊 |
|
昭和19年1月1日 | 第十二航空艦隊 第五十一航空戦隊 |
鳳翔 千代田 (夕風) 豊橋海軍航空隊(愛知) 厚木海軍航空隊(神奈川) 築城海軍航空隊 |
4月1日 | 連合艦隊司令部 (附属) | 鳳翔 (夕風) ほか多数 |
昭和20年4月20日 | 長門・伊勢・日向・榛名らとともに警備海防艦に指定[8] | |
6月1日 | 特殊警備艦に指定[9] 対空戦闘要員以外の乗員の多くは退艦 |
ミッドウェー海戦では瑞鳳とともに参戦していたが、あくまで予備戦力の扱いであった。しかし主力空母4隻が被弾・炎上した事により第三航空戦隊に攻撃の命令が下る。鳳翔と瑞鳳には旧式機しか搭載されておらず、魚雷も無いという有様であったが、それでも発艦準備を整えて敵を求めた。しかし会敵する事は叶わず、鳳翔は生き残りの艦艇とともに北上。アリューシャン方面に展開していた第二機動部隊と合流し、6月14日に山口県岩国沖へ帰還した。翌日、呉軍港に入港。以降は艦載機の発着艦訓練に励んだ。排水量約8000トンの軽空母である鳳翔は、次第に大型化していく新型機に対応する事が出来ず、旧式化が否めなかった。たとえ搭載できたとしても、格納庫が狭かったため運用できる機は少なかったという。
1942年10月20日、パイロットの卵たちである訓練部隊が編入される。
航空隊のみに限らず、時には練習潜水艦隊の標的艦となって後進の育成に精を出した。
呉近辺は度重なる空襲を受けたにも関わらず、幸運にも損傷らしい損傷もなく、(燃料があれば、だが)航行可能な状態で終戦を迎える。開戦時に存在した日本空母のうち、作戦行動可能な状態で終戦を迎える事ができたのはこの『鳳翔』のみであった[10]。
戦後は武装および延長甲板を取り外して外洋航行を可能にした後に復員船として使用され、4万人の引き揚げに従事。その後昭和22年(1947年)5月1日までに、大阪の日立造船桜島工場で解体された。同じ工場では、帝国海軍が最後に完成させた空母『葛城』も解体された。
余談となるが、2013年に公開されたアニメ映画「風立ちぬ」中に登場する航空母艦が、煙突や14cm砲の搭載位置などから鳳翔ではないかとかなり早い段階で推測されていたが、パンフレットにて正式に判明した。登場するだけでなく実際に主人公が視察に訪れる艦であり中々に目立っているため、興味のある方は鑑賞することを勧める。
MMD艦これ 鳳翔
2013年9月には鳳翔のMMDユーザーモデルが鋭意制作中である事が判明した。ったが、その後長期間制作休止となっていた。その後、2013年12月09日には改変モデルの配布が無事行われた。配布開始を受けてその後は動画作品などが作られつつある。
関連作品
公式公認と言われている「居酒屋鳳翔」。→『居酒屋鳳翔』でニコニコ静画検索
お母さんと扱われる機会も多いけど、「艦娘」なのでたまには「一人の女の子」として接してもらいたい事もありますよ?「私には大袈裟ではないでしょうか・・・」 無茶しやがっていえいえそんな事は。
関連コミュニティ
関連項目
- 艦隊これくしょん~艦これ~
- 軍艦
- 航空母艦
- 空母(艦これ)
- 一航戦 - 赤城と加賀のコンビというイメージが強いが、上述のとおり最初は赤城と鳳翔のコンビで結成された。
- 夕風(駆逐艦) - 大戦中、ずっと鳳翔の随伴をしていた峯風型駆逐艦(艦これ未実装)。終戦時生き残り。
- お母さん
- 艦娘たちの戦後
- 居酒屋鳳翔 - 二次創作から公式へ逆輸入。
- 寮母さん(艦これ) - 公式媒体で実際に寮母をやってる人。
- ホウショウマイワイフ
脚注
- *史実においては書類上正規空母として扱われた。
- *あるいはドロップが4-2以降のボスドロップに限られる瑞鳳か。
- *海域攻略艦隊だけでなく、南方海域やイベント海域における「エコ支援」(支援艦隊として駆逐艦2+軽空母2でボーキサイトを消費しない支援砲撃を行う)要員に最適。
- *空母の運用方法として、各艦の搭載機数が少ないスロット(ex.龍驤改の3・4スロット)に副砲や熟練艦載機整備員を搭載して射程延長+火力向上を図ることがある。ただし、鳳翔さんに限っては、メリットよりもどのスロットに搭載しても搭載機数がほぼ2/3になるというデメリットが大きく、先に行動させてMVPを確実なものにするなどの理由がなければ、熟練度を挙げた攻撃機を搭載したほうが無難であろう。
- *秘書艦にしてクリックすると、新婚三択を仕掛けてくる。これでコロッとやられた提督も少なくないであろう。冗談でも、言っていいことと悪いことがあるんだよ……?この脚注執筆者としては、鳳翔さん新妻説を強く強く主張するものである。
- *『夕風』は三航戦解隊後も一貫して『鳳翔』の随伴艦(トンボ釣り)だった。昭和20年4月に『鳳翔』が予備艦に移されるまで、その任にあったと思われる。
- *甲板を延長し離着艦可能機種を増やした代償として外洋航行能力を失ったため、瀬戸内海から出られない状態であった。また、技術革新に伴い艦載機が巨大化かつ重量化して、発艦にあたって空母自体の高速性が以前にもまして求められるようになると、甲板を延長しても新鋭機の発艦は困難になっていった。皮肉にも、これが『鳳翔』を終戦まで生き延びさせることとなる。
- *アジア歴史資料センター所蔵昭和20年4月27日付海軍公報(Ref.C12070504700 34ページ)による。第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(Ref.C08030147800 36ページ)にはこれらの艦艇を「第四予備艦に指定」したとの記述もあるが、これは作戦行動の見込みのない艦を指すカテゴリである。
- *6月16日付海軍公報(Ref.C12070505300 18ページ)
- *艦これに実装されている中で戦没を免れた空母は他にもあるが、『隼鷹』は機関故障で行動不可能、『龍鳳』は甲板使用不能ならびに航行不能、『葛城』は甲板使用不能であった。
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