フェルマーの最終定理とは、数学の定理である。
概要
「方程式 xn+yn=zn が n≧3 の場合、 x,y,zは0でない自然数の解を持たない」
というものである。
この定理が産声を上げたのは17世紀。フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーが、彼の愛読書である『算術』(ディオファントス著)の余白に書き込んだメモがきっかけである。 さらに、
私はこの定理について真に驚くべき証明を発見したが、ここに記すには余白が狭すぎる。
とのコメントが記してあった。まるで誰かがそのメモを見ることを予想していたかのように。
『算術』の余白には他にも様々な定理が証明無しで記してあり、彼の死後、遺品を整理していた遺族によって発見され、これらのメモ書き付きで再販された。その後、何人もの数学者によってそれらの定理に証明が与えられていったが、最後まで残ってしまったのがこの定理である。証明は困難を極め、いつしかこの定理はフェルマーの「最終」定理と呼ばれるようになった(この時点では未証明だったので「フェルマー予想」と呼ばれることもあったが、フェルマーが証明したという伝説にちなんで『定理』と呼ばれていた)。
この定理が証明されるまでに、実に330年以上もの歳月を必要とした。
証明したのはイギリスの数学者、アンドリュー・ワイルズである。この為、現在ではワイルズの定理、あるいはフェルマー・ワイルズの定理とも呼ばれる。ワイルズはフェルマー以降に発見された定理や、当時最新の定理を用いてこの難題に対抗。350年もの長い間、多くの数学者を悩ませ続けてきたモンスターも、1995年にようやく沈黙したのである。
ちなみに“n=2”の場合に等式が成り立つ条件について述べたものは(ピタゴラスの定理/三平方の定理)にちなみ「ピタゴラス数」と呼ばれ、まさしくフェルマーの最終定理が書き込まれていたディオファントスの『算術』にて示されたものである。
証明の歴史
1670年
全ての元凶 フェルマーの死後、彼の息子が遺品整理の際にフェルマーの注釈(最終定理は48個中2番目)を含めたディオファントスの『算術』(親父が証明したって言ってるけどその証明が残ってない定理一覧)を出版する。
またこの時、フェルマー自身はn=4の時についての証明を書き残していた。
1770年
レオンハルト・オイラーがn=4を簡略化し、そこに虚数(二乗すると-1になる数)を使いn=3の時の証明に成功する。
そして、その解法はそれぞれの倍数についても同様に成り立つ為 「全ての素数が成り立たないことを証明する」事でフェルマーの最終定理を証明できるとした。
1823-1847年
ソフィ・ジェルマンが「フェルマーの定理が成り立つ時は、x,y,zのいずれかがnで割り切れなければならない」と証明(ソフィ・ジェルマンの定理)
ペーター・グスタフ・ディリクレとアドリアン=マリ・ルジャンドルが、ソフィ・ジェルマンの定理を用いてn=5の時の証明に成功し、ディリクレは「n=14」の時についても証明する。(後にガブリエル・ラメが「n=7」の時の証明に成功する)
そして、1847年に、業を煮やした数学界が「フェルマーの最終定理」に懸賞金を付ける。
これにガブリエル・ラメとオーギュスタン=ルイ・コーシーが競い合って証明を完成させようとするが、証明方法の致命的な欠陥をエルンスト・クンマーに指摘され、断念。
クンマー がその欠陥を直した「ぼくのかんがえたさいきょうのかず」(理想数)を提案するが、同時に「この方法(理想数)を用いてもフェルマーの最終定理は証明できない」とも結論付けた。
(懸賞金はクンマーが受け取った)
1955年
志村五郎が、友人谷山豊の発想を元に「全ての楕円曲線とモジュラー形式は、ゼータ関数が一致するのではないか」(谷山・志村予想)と提唱し、ラングランズ哲学[1]の観点から注目される。
(ようするに、全然分野の違う二つの数式が似てるけど、もしかしたら繋がってるんじゃないか?という予想)
1984年
ゲルハルト・フライが「フェルマーの最終定理を変形させると楕円方程式の形になる」
そして「その変形させた楕円方程式は谷山・志村予想を満たさない」と発表
その後、ジャン=ピエール・セールによって定型化される(フライ・セールのイプシロン予想)
1986年
ケン・リベットが「フライ・セールのイプシロン予想」を証明する
これを整理すると
谷山・志村予想は楕円曲線とモジュラー形式がゼータ関数でラングランズ哲学がフライセールのイプシロン予想で
フェルマーの最終定理のx,y,zに正解があるとすれば、谷山・志村予想は満たされない(谷山・志村予想は間違っている)
↓言い換える(対偶をとる)と、谷山・志村予想が正しいと証明されれば、フェルマーの最終定理のx,y,zを満たす自然数の解は存在しない。
つまり、谷山・志村予想が正しいと証明出来れば、フェルマーの最終定理も証明出来るということになる。
1993年6月23日
当時、岩澤理論における楕円曲線のゼータ関数の一部の証明に成功し、プリンストン大学の教授だったアンドリュー・ワイルズが、ケンブリッジのニュートン研究所の講演会で、証明に成功したと発表。
世間は大騒ぎになるが、のちの論文の審査で欠陥が見つかる。
当初はこの欠陥について、秘密裏に修復しようと沈黙していたが、論文の審査結果も論文自体も公表されないために、世間が混乱する。
1994年9月19日
ワイルズ「もう諦めよう…最後に岩澤理論を見直してみ…………!!!!」
(本人曰く「夢じゃないかと思うような素晴らしい証明」が頭に浮かんだという」)
1995年
ワイルズの証明に不備がないことが確認され、330年もの歴史に決着がついた。
悪魔の証明
この証明は、300年以上もの間証明されなかったことから悪魔の証明とも呼ばれた。
といっても「証明するのが原理的に不可能」という意味の悪魔の証明ではなく、「数々の数学家を地獄に落とした」という経歴がそう呼ばせるのである。
1847年、クンマーが「現代の数学では不可能」と結論付けてから、1984年にフライ・セール予想が発表され具体的な証明方法が見つかるまでの間も、もちろんこの証明に挑戦する数学家たちは多かった。
特に1900年代に、大富豪ヴォルフスケールが10万マルク(日本円で十数億円)という莫大な懸賞金をこの定理の証明にかけた為、フェルマーの最終定理ブームが起こったほどである。
…がしかし、歴史的に見ても、もちろん証明されていないどころか、特にコレといった発見すらない。
つまり「まったくの無駄な時間」を、この問題に挑戦させた多くの人々に味わわせたのである。
無論、未解決問題の証明には長い長い時間を要する。5年10年では足りないだろう。
だがもし、人生の中の10年という時間をこの問題の証明に費やしても成果が出なかったらどうなるか?
答えは決まって「もっとのめりこむ」のであった。だってすでに10年もの歳月を使ってしまったのだから……。
証明しなければ報われない……だがしかし、証明さえすればこの10年は無駄ではなかった!それどころか十数億!さらには数学界における永遠の栄誉まで手に入る!
…そう信じて、死の直前まで理想を抱いたまま倒れたものがどれだけいただろうか……。
そして、このブームに乗っかったのは数学素人の方が多かったとも言われている。
理由は、この問題の悪魔的要素の一つである「理解のしやすさ」である。
難しい専門用語もなく、理解しがたい数式も無い、たった一行の数式を証明するだけである為に「もしかしたらできちゃうんじゃ」と勘違いする人間が数多く存在した。
さらに、フェルマーの一言「真に驚くべき証明」という言葉から「小難しい理論なんて必要じゃないんじゃない? ひらめき一発で解けるような、そんな問題なんじゃないか?」と勘違いを起こさせた。
実際に、数学者達は「誰も解けてないんだから無理だろう」と諦め、まともに取り組もうとしなかったが、一般人はそうは思わず、一人また一人と地獄送りへなっていった……フェルマー…恐ろしい子…!
一方で、この問題の証明を夢見て数学者の道を志した人間も少なくなく、多くの若者を数学の世界に招き入れたという正の側面も存在する。
最終的に証明に成功したアンドリュー・ワイルズもまた、そういった若者の一人であったのだが、数多の天才が敗れていったこの問題に手を出すことを恩師のジョン・コーツに止められ、数学者になってからしばらくは別の研究を続けていた。
……が、自身の専門分野である楕円曲線の研究がフェルマーの最終定理の内容と繋がることに気付き、それをきっかけにこの問題の証明へとのめり込んでいくいことになる。
ワイルズはこの証明に挑戦するために自室に引きこもり、講義や生徒指導など最低限の仕事しかこなさなくなったと言われている。
それどころか、定期的な発表会でさえ他の研究をしていなかったワイルズは未発表の論文を限りなく薄めて引き延ばすという方法をとり、時間を稼いでいた。
当然、彼の評価は「まともに仕事をしない」「大した成果を出さない」と、失墜していき、同僚からは「人が変わったように無能になった」と言われていた。
そんな生活を、彼は7年も続けていた。彼もまた、もしも結果が出ていなければ、一生を台無しにする所だったのかもしれない…。
(因みに、ヴォルフスケールの懸賞金はワイルズが受け取ったが、当時十数億円と言われた懸賞金は、世界大戦によるハイパーインフレにより500万円ほどの価値であった)
その後
ワイルズが証明したフェルマーの最終定理は、あくまでも「谷山・志村予想」の半安定の場合であり、谷山・志村予想の完全な証明ではなかった。半安定の場合だけでもフェルマーの最終定理の証明には十分だったためである。しかしこれにより楕円曲線の研究がさらに進み、2001年にワイルズの教え子にあたるリチャード・テイラー、ブライアン・コンラッド、フレッド・ダイアモンド、クリストフ・ブレイユにより一般の場合における谷山・志村予想が証明され、現在は「モジュラー性定理」と呼ばれている。
別の証明経路として、ABC予想が証明されるとフェルマーの最終定理も証明されることが知られている。この方法についてはABC予想の記事と同記事内の「ABC予想の重要性」の項を参照のこと。
また現在、このフェルマーの最終定理を拡張させた「フェルマー=カタラン予想」という未解決問題がある。これは「am+bn=ckと1/m + 1/n + 1/k <1を同時に満たす自然数の組 (a, b, c, m, n, k) であって、(a, b, c)が互いに素で、(am, bn, ck)の値が異なるものは、有限個しか存在しない」というものである(m>3かつm=n=kの場合がフェルマーの最終定理)。
関連動画
関連項目
- 数学 / 定理
- フェルマー
- 余白が狭すぎる
- 楕円曲線 / 楕円関数
- ブルマーの最終定理
- なるほど、わからん
- 三平方の定理
- ポアンカレ予想
- ABC予想
- ヤン–ミルズ方程式と質量ギャップ問題
- リーマン予想
- P≠NP予想
- ナビエ–ストークス方程式の解の存在と滑らかさ
- ホッジ予想
- バーチ・スウィンナートン=ダイアー予想(BSD予想)
- 数学関連用語の一覧
脚注
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