ポリネシアン(競走馬)単語

ポリネシアン
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ポリネシアン(Polynesian)とは、1942年生まれの米アメリカ合衆国競走馬である。

な勝ち
1944年:サガモアステークス
1945年:ウィザーズステークスプリークネスステークスサラナクハンデキャップ、ヴァロラスハンデキャップ
1946年:トボガンハンデキャップローズベンハンデキャップラムゾンハンデキャップページェントハンデキャップ、ターフ&フィールドハンデキャップスカースデイルハンデキャップ、リグスハンデキャップ
1947年:アトラティックシティイノーギュラルハンデキャップウィルミントンハンデキャップオーシャンポートハンデキャップロングブランチハンデキャップオムニバスハンデキャップ、キャムデンハンデキャップジャニーハンデキャップ


1947年米国最優秀スプリンター

概要

UnbreakableBlack PollyPolymelianという血統

アメリカの名士ジョセフ・E・ワイドナー氏の所有するエルメンドーフファームによって生産され、1943年ジョセフ氏が死去するとガートルード・T・ワイドナー夫人(ジョセフ長男)が所有した。

ポリネシアンという名はポリネシア(太平洋)の原住民という意味だが、単純に名前から連想したと思われる。のちにこのネーミング世界競馬に大きなを与えるようになるとは・・・

ポリネシアンは生後3か母親くなり、牛乳で育てられた。「このことがポリネシアンの頑固な性格の原因かもね」とスポーツライタージョーパーマーは語っている。

さらに幼少期に重度の高尿酸血症煩い、その痛みで精神的ショックを受け、病気が治った後もど動こうとしなかった。しかしオーナー息子スズメバチの巣を荒らしたことでスズメバチに襲われ、それ以降は走れるようになったという。

筋肉の付きもよくバランスがいいという評価だったが、幼少時代のにより頑固で調教嫌いの性格のとなっていた。

2歳時(1944年)

1944年4月デビューしたが、最初の3戦は3着・3着・4着と勝ちきれなかった。初勝利を挙げたのは8月未勝利戦だった。

3着を挟んでアローワンスを3連勝すると、11月サガモアSでも優勝し4連勝を飾った。同のエンデュランスHでは2着に敗れこの年を終えた。

この年のみの成績で10戦5勝。

3歳時(1945年)

営はポリネシアンマイラーだと見ていたので、この年は三冠レースで一番距離が短いプリークネスS標に定めスケジュールを組んだ。
5月に復帰し3着・4着に敗れた後ウィザーズSで優勝した。そしてプリークネスSではケンタッキーダービーHoop Jr.に2馬身半差で快勝した。
その後は短距離マイル路線に戻りこの年にサラナクH、ヴァロラスH優勝を含む10戦3勝、2着4回となった。

この年のみの成績で14戦5勝。

4歳時(1946年)

この年は勝ったり負けたりしながら20戦も走りトボガンH、ローズベンH、ラムゾンH(レコード)、ページェントH(レコード)、ターフ&フィールドH、スカースデイルH、リグスHを勝利した。リグスH以外の勝利は全てマイル以下だった。負けた相手にはArmed、Stymieなどの名も含まれていた。

この年のみの成績で20戦8勝。

5歳時(1947年)

この年は出だしは2着・1着・2着・3着・4着とややピリッとしない成績だったが、5月アトラティックシティインーギュラルH優勝を皮切りにウィルミントンH、オーシャンポートH、ロングブランチH(レコード)、オムニバスH(レコード)と5連勝を挙げた。モンマスパークHでは4着に敗れたがこのレースは10fで仕方ない所もあった。その後キャムデンH(レコード)、アローワンスジャニーHとさらに3連勝を挙げた。

この年のみの成績で15戦9勝。そしてこの年の最優秀スプリンターに選定された。

そしてこの年で引退種牡馬入りとなった。

通算58戦27勝。

種牡馬として

ポリネシアン298頭の産駒から185頭もの勝ち上がり(勝率62.1%)を出し、36頭のステークスウィナーを出した。種牡馬リーディングでは1953年Native Dancerなどの活躍により最高4位となり、また1952年には2歳リーディングで首位となった。またとしても優秀で、ブルーメアサイアー最高4位となっている。

代表産駒は何と言っても22戦21勝2着1回のグレイゴースト渾名で知られたNative Dancerであろう。Native Dancerを通して、子孫は現在でも世界中で広く根付いている。

また、Native Dancerの子の*カウアイキングのプリークネスS優勝により、ポリネシアンNative Dancer - *カウアイキングによる史上初の3代によるプリークネスS優勝を果たしている。

ポリネシアン1959年に疝痛で17歳死亡した。奇しくもUnbreakableと同じ死亡年齢で、また偉大なる子のNative Dancerも同じ年齢死亡している。

血統表

Unbreakable
1935 黒鹿毛
Sickle
1924 黒鹿毛
Phalaris Polymelus
Bromus
Selene Chaucer
Serenissima
Blue Glass
1917 鹿毛
Prince Palatine Persimmon
Lady Lightfoot
Hour Glass Rock Sand
Hautesse
Black Polly
1936 鹿毛
FNo.14-a
Polymelian
1914 栗毛
Polymelus Cyllene
Maid Marian
Pasquita Sundridge
Pasquil
Black Queen
1930 黒鹿毛
Pompey Sun Briar
Cleopatra
Black Maria Black Toney
Bird Loose
競走馬の4代血統表

クロス:Polymerus 3×4(18.75%)、Sundridge 4×5(9.38%)、Sainfoin 5×5(6.25%)、St. Simon 5×5(6.25%)

主な産駒

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関連項目

脚注

  1. *この年の年度代表馬は10戦10勝のTom Fool

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ポリネシアン(競走馬)

1 ななしのよっしん
2022/12/29(木) 14:20:38 ID: EQHWojgM4x
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