三菱自動車水島FCとは、岡山県倉敷市を本拠地とする、中国サッカーリーグ所属のサッカークラブである。
略称は「三菱水島FC」で、Wikipedia側の記事タイトルはコチラになっている。
ホームスタジアムは、倉敷市のお隣にある笠岡市の岡山県笠岡陸上競技場である。JFL所属時代は倉敷市内にJFLの規格を満たせるスタジアムが無かったため、このスタジアムを使用していた。そして、その名残やリーマンショック時に笠岡市からクラブ存続を求められた経緯もあってか、現在においてもホームスタジアムとして使用している。
概要
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第二次世界大戦後の1946年、ヴィッセル神戸の前身である「川崎製鉄水島サッカー部」も本拠地としていた倉敷市水島地区の三菱自動車工業水島製作所に、サッカー愛好家であった複数の工員が集まって創設された。1946年の創設ということは、後に三菱自動車工業本社のサッカー部ともなった浦和レッドダイヤモンズよりも創設が早く、歴史が古いことになる(レッドダイヤモンズは1950年に中日本重工業(後の三菱重工業)サッカー部として創設されている)。
その後クラブは、1979年に中国リーグへ昇格、しかし3年後には岡山県リーグに降格してしまう。その後、1990年に中国リーグへ復帰した後は、JFL昇格を決める2004年までの間に5度のリーグ優勝を成し遂げる。
さて、ここまでにおいて、特にネット上での国内サッカーファンの間でクラブの存在が知れ渡るようになったキッカケと言えるのが、第28回全国地域サッカーリーグ決勝大会である。この大会ではファイナルラウンドまで進み、見事優勝を飾る。また、翌年のJFLへ、大学連盟の推薦で参加した2位の流通経済大学サッカー部と、ある事件により繰り上げ昇格が決まった3位のホンダロックSCと共に昇格することになる。
JFL昇格後、クラブはリーグを自主退会(リーグから降格)する2009年まで、大きな苦しさを味わい続ける破目となった。その理由は選手達の本業における労働環境にある。本業は2交代勤務+1週間毎に夜勤も行われる労働環境であったため、ベストメンバーを組むことが出来ない状況で臨まなければならない試合が多かった。中には夜勤明け直後のリーグ戦に出場する選手もいたので、チーム全体のコンディションは他チームと比べて低調であった。なお、選手は全員期間工である。
それだけでも大変だったのに、2008年のリーマンショックの影響で、親会社である三菱自動車工業水島製作所からは予算を削られることになる。ちなみに水島製作所は後に、直営の三菱水島病院を閉鎖している。そして、2009年、毎年支払うJFL加盟料(1000万円)を含む、全国リーグで戦う年間予算が事実上捻出できなくなり、リーグ終盤にJFL退会届を出し、受理され、下位リーグに自主降格することになった。ただ、全国社会人連盟の規約上から、中国リーグから受け入れを拒否されたため、2010年は2カテゴリ下の岡山県リーグ1部から再出発することになった。JFLへの所属経歴があるクラブが県リーグにまで降格した例は、2010年3月に解散したクラブチーム「エストレーラ宮崎」以来となる。
2010年、岡山県リーグ1部で闘うことになったクラブは、降格の影響で戦力ダウンは必至であったが、同年のリーグ戦で上位争いをしていた2位のR.K.クラシックに勝ち点9もの差をつけて優勝を果たし、中国リーグ昇格をかけた中国地域県リーグ決勝大会へ、R.K.クラシックと共に進めることとなる(天皇杯については、岡山県予選でR.K.クラシックに敗れため、出場はならなかった)。そして、決勝大会で準優勝を飾り、優勝した富士ゼロックス広島SCと共に中国リーグへの昇格を決め、1年遅れながら中国リーグ復帰を果たした。
地域密着型実業団クラブ
三菱水島FCは他企業からのスポンサードも受けている実業団クラブである。スポンサーの殆どが岡山県内の企業である一方で、三菱グループ内からのスポンサーは、(一応)三菱自動車工業本社と西日本三菱自動車販売のみである。また、スポンサーには、フジテレビ系列局の岡山放送も加わっており、ファジアーノ岡山FCとの岡山ダービーも行われたJFL時代からユニフォームの胸スポンサーともなっている。これら複数のスポンサードを受けたことが縁となり、リーマンショック後の不況で期間工をクビになってしまった選手が、スポンサーの下で再就職することが出来るようになったなど、ある意味社会人野球における「広域複合企業チーム」のような面も持ち合わせている。
また、クラブとしてサッカーの普及活動も行っており、現在は各々の少年団サッカークラブへの出前形式によるサッカースクールを行っている。過去には、小学生女子を対象としたクラブ直営の少女サッカーチーム「レッドアダマントFC」を所持していた(決して「ロリコンが生じて作った」わけじゃないぞ)。
その他、JFL時代に使用したホームスタジアムの所在地である笠岡市からは、リーマンショックでの不況時、存続を求められたことがあった。
チーム愛称
チーム愛称は「レッドアダマント」で、佐川印刷SCと同じく「チーム愛称を持つ実業団クラブ」としても知られている。アダマントはギリシャ語でダイヤモンドを意味し、由来は浦和レッドダイヤモンズと同じく、三菱グループのロゴマークである「赤色のスリーダイヤ」だと思われる。なお、現在のところ、この愛称をチーム名称に加える予定は無い。
Jリーグへの道
クラブ公式サイトには「Jリーグへの道」という項目がある。コレは初めてJFLに昇格した頃には既に掲載されていたことが確認されており、2010年現在でも削除されていない。JFLに昇格した当初、この項目のお陰で、将来的には倉敷市を本拠地にJリーグ昇格を目指すのではないかと、一部の国内サッカーファンの間では思われていたが、その後の流れもあって、現在そのような噂は聞かれていない。
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関連項目
クラブ公式サイト
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