浦和レッドダイヤモンズとは、埼玉県さいたま市を本拠とするJリーグのサッカークラブである。通称浦和レッズ。
概要
日本プロサッカーリーグ | |
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浦和レッズ | |
基本情報 | |
創設 | 1950年 |
クラブカラー | レッド |
所属 | J1リーグ |
本拠地 | 埼玉スタジアム2002【さいたま市緑区】 |
ホームタウン | 埼玉県さいたま市 |
前身クラブ | 三菱重工業サッカー部→三菱自動車工業サッカー部 |
プロサッカークラブテンプレート |
Jリーグ発足時より参加しているオリジナル10の一つ。クラブの前身は三菱自動車工業サッカー部(1950年創部)。[1] ホームタウンは埼玉県さいたま市(旧浦和市)。
チーム名は「ダイヤモンド」の最高の輝き、固い結束力に由来し、クラブカラーである「レッド」と組合わせたものである。
クラブのマスコットは1992年3月31日当時の浦和市生まれのレディア(Redia)。[2]
浦和という土地が元々サッカーどころということもあってか、熱狂的ファンが多い。アウェイゲームですらホームのような雰囲気にしてしまい、ホームゲームでは文字通り12人目のフィールドプレイヤーとしてチームを鼓舞する。反面、何かと揉め事や規則違反を犯すことがあり、良くも悪くもサポーターの一挙手一投足が取り上げられがちである。それ故に同じさいたま市(旧大宮)を拠点とする大宮アルディージャとはライバル関係にある。
Jリーグ発足当初はお荷物クラブと揶揄されるほど弱く、1999年にJ2降格も経験しているが、2000年代に入ってタイトルを獲得するようになり、Jリーグのクラブで初めてAFCチャンピオンズリーグに優勝したチームであり、唯一複数回優勝したことのあるクラブである。
所属した主なプレイヤーは、福田正博、ギド・ブッフバルト、岡野雅行、山田暢久、小野伸二、マルシオ・エメルソン・パッソス、長谷部誠、田中マルクス闘莉王、原口元気など。
ホームスタジアムは埼玉スタジアム2002および駒場スタジアムである。Jリーグ創設時は駒場スタジアムをメインとしていたが、埼玉スタジアムが完成して以降はこちらをメインのホームスタジアムとして使用している。現在営業収入など日本最大規模のサッカークラブチーム。
歴史
1991年に「オリジナル10」としてJリーグ初年度参戦チームに入った。Jリーグ前哨戦でもあった1992年ナビスコカップでは5位。
そしてJリーグが開幕したが、初期の頃は「Jリーグのお荷物」と揶揄される弱小チームで初年度の1993年は両ステージともに10チーム中最下位、1994年も1stステージ最下位に終わり3ステージ連続最下位という不名誉な記録を作ってしまう。2ndステージは最下位こそ逃れたもののそれでも12チーム中11位という有様だった。それでも、1990 FIFAワールドカップ優勝メンバーであるギド・ブッフバルトとウーベ・バインが加入、"野人"岡野雅行が台頭したことで改善の兆しは見えていた。
1995年にホルガー・オジェックが監督に就任。厳格な指導でチームに欠けていた規律を与え、躍進を遂げるようになる。特に元ドイツ代表コンビの存在は大きく、ブッフバルトの活躍によって守備は見違えるように安定し、何よりも司令塔バインのパスによって「ミスター・レッズ」福田正博が点取り屋として覚醒。シーズン32得点を挙げ、日本人初のJリーグ得点王に輝く。チームも1stステージで3位、年間で4位と飛躍する。
1シーズン制となった1996年も優勝争いに絡み、第22節では初めて首位に立つが、終盤戦に勝ち切れない試合が続いて失速。最終的に6位に終わる。1997年は堅守速攻のオジェックから攻撃的サッカーへの転換を図ってホルスト・ケッペルを監督に招聘するも、成績は振るわず1年で頓挫する。この年を最後にブッフバルトが退団。
1998年はクラブOBの原博美が監督に就任。この年、高卒ルーキーとして注目された小野伸二がチキ・ベギリスタインと共に攻撃の中心として躍動。2ndステージでは3位に入るなど躍進を遂げる。なお、期待以上の活躍を見せた小野は高卒1年目ながらリーグのベストイレブンに選出され、新人王も受賞する。
ところが、1999年は小野や福田、外国人勢といった主力が軒並み負傷で離脱。低迷するチームは原を更迭し、2ndステージからア・デモスを監督として招聘するが、結局年間15位に終わり、まさかのJ2リーグ降格という憂き目に遭う。なお、降格が決まった最終節での福田のVゴールは「世界で一番悲しいVゴール」と呼ばれ、人気トップチームの降格は日本中に衝撃を与えた。
J2で迎えた2000年は主力のほとんどが残留したことから昇格は余裕と見られ、序盤は圧倒的な戦力差によって首位を独走していた。だが、重要な中盤戦から終盤戦にかけて勝てない試合が続き、昇格圏から転落した10月に急遽GMの横山謙三が総監督として指揮を執ることになる。こうしたテコ入れによって息を吹き返し、最後まで苦しみながらも2位でシーズンを終え、1年でJ1に復帰する。
J1に復帰した2001年は、監督にチッタを迎え入れ、これまでの欧州路線からブラジル路線への転換を図るもうまくいかず。再びJ2へ降格する危機を迎えるが、何とかJ1残留を果たしている。
2002年に元日本代表監督のハンス・オフトが監督に就任。フロントも社長に犬飼基昭が、GMに初代監督の森孝慈が就任。下部組織の強化、選手補強やクラブハウス改築、親会社依存経営からの脱皮に着手する。さらにこの頃から「さいたまスタジアム2002」を使用するようになる。
オフト就任1年目には、ナビスコカップで決勝まで進出するが、鹿島アントラーズに敗れ初タイトルを逃す。しかし、2003年には再びナビスコカップ決勝まで勝ち上がり、再び鹿島と優勝を争うことになるが、今度は4-0で快勝しリベンジに成功。クラブとしての初タイトルを獲得。結局オフトはこの年で退任するが、長谷部誠や鈴木啓太ら若手を抜擢し世代交代に成功。リーグでも中位にまでは引き上げ、後に強豪へと成長する土台を作りあげた。一方、ベテランの福田、井原正巳が現役を引退。
2004年に白馬に乗ってクラブレジェンドのギド・ブッフバルトが監督に就任。この年、エメルソンが27ゴールを決める活躍で得点王とリーグ最優秀選手を獲得し、チームは2ndステージで初となるステージ優勝を果たす。年間総合勝ち点はリーグ1位だったが、チャンピオンシップではPK戦で横浜F・マリノスに敗れ、惜しくもリーグ年間優勝を逃す。2005年はリーグタイトルは逃したが、天皇杯ではすでに退団が決定していたマリッチが5試合6得点の大活躍を見せ、初優勝を果たす(前身の三菱時代を合わせると25年ぶり5回目)。
ブッフバルト就任3年目の2006年は前年に騒動を起こしてカタールへ移籍したエメルソンに代わる得点源としてワシントンを獲得。さらに5年ぶりに小野が復帰し、初のリーグ優勝へ期待値は高まっていた。田中マルクス闘莉王を中心とする堅い守備をベースにトップ下にコンバートされた山田暢久、ポンテ、ワシントンのトライアングルによる攻撃力で着実に勝ち点を伸ばし、シーズン中盤には首位に立つ。ホームにJ1最高記録の62,241人を動員したリーグ最終節では、優勝を争うガンバ大阪との直接対決をポンテとワシントンの2ゴールで制し、ついに長年の悲願であったJ1リーグ優勝を果たす。
また、天皇杯でも決勝でG大阪を破り、天皇杯連覇とシーズン二冠を達成。クラブに黄金期をもたらしたブッフバルトはこの二冠を手土産に勇退する。
2007年は11年ぶりにホルガー・オジェックが監督に復帰。さらにジェフユナイテッド千葉から阿部勇樹を獲得。リーグでは最終節を首位で迎えながらもすでに降格が決まっていた横浜FCにまさかの黒星を喫し、連覇を逃す。一方、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)では、グループリーグから準決勝までを無敗で勝ち上がる、決勝ではイランのセバハンを相手に1勝1分で勝ち越し、Jリーグ勢としては初となるACL優勝を成し遂げ、アジア王者となる。これによって出場権を獲得したFIFAクラブワールドカップ2007では、準決勝でACミランに敗れたものの、3位という好成績を残す。これらの国際舞台での活躍が評価され、Jリーグのチームとしては初となる日本プロスポーツ大賞を受賞。
2008年はドイツで活躍していた高原直泰を獲得するもコンディションが整わず、期待外れとなる。大型補強が失敗したチームは開幕から連敗したことで早々にオジェックを解任。後任となったゲルト・エンゲルスは闘莉王をトップ下で起用する奇策で一時は盛り返すが長続きはせず、7位に終わる。
2009年にはフォルカー・フィンケが監督に就任し、これまでのリアクションサッカーからアタッキングサッカーへの転換を図る。しかし、攻撃はともかく守備の整備が一向に進まず、失点を重ねたチームは8連敗を喫するなど低迷。サポーターから続投が疑問視されたフィンケ体制2年目も内容も結果も進歩が見られず、10位に終わる。結局2年間のフィンケ体制で原口元気らユース出身の若手を積極的に起用する収穫はあったものの、フロントとクラブの方針に反発した闘莉王の流出を招くなどマイナス面が大きかった。
順位・観客動員とも伸び悩むようになった2011年シーズンではクラブOBのゼリコ・ペトロヴィッチが監督に就任するが、これが大失敗。大型補強を敢行したにも関わらず疑問に残る采配の連発によって残留争いを繰り広げる順位にまで下がってしまった(結果15位、ギリギリである)。
度重なる監督人事失敗を受け、2012年には「ペ」じゃないほうのミハイロ・ペトロヴィッチ監督(ミシャ)をサンフレッチェ広島から引き抜く。ミシャの教え子である槙野智章を獲得し、広島と同じ「ミシャ式」を導入。取りこぼしも目立ったものの、ここ数年とは違って着実に勝ち点を積み重ね、最終的には3位でシーズンを終え、5年ぶりとなるACL出場権を獲得。1年目で好成績を残したミシャの要望によってその後も広島から教え子を次々と獲得。順調にサンフレッチェ化が進むチームは2013年には興梠慎三、柏木陽介、原口元気の1トップ2シャドーを中心とした攻撃陣は、リーグ1位の66得点をマークする。その反面、複雑な可変式システムの弊害で失点が増えるという問題も抱えていた。
2015年は「Jリーグ・スカパー! ニューイヤーカップ 鹿児島ラウンド」で優勝。2004年以来の2ステージ制となったJ1リーグでは、初試合から17試合連続無敗(12勝5分)と言うJリーグ初の快挙を遂げ、1stステージ優勝。Jリーグチャンピオンシップへの出場を決定した。しかし、2ndステージでは勝ち点2位となり、最終的に3位で幕を閉じる。天皇杯では9年ぶりに決勝進出を果たすが、ガンバ大阪に敗北した。
2016年は1stステージでは優勝を逃し3位に終わったものの、2ndステージで巻き返し、2ndステージ優勝および年間首位を決めて、チャンピオンシップでは決勝進出を決める。しかし、チャンピオンシップではアウェイゴールの差で敗れ、またしても年間王者の座を逃す。一方、ルヴァンカップ(旧ナビスコカップ)では3年ぶりに決勝進出し、PK戦までもつれ込んだG大阪との激闘の末に13年ぶりに優勝を決めた。
2017年は第8節時点までは首位を走る好調な出だしとなったが、6月に入って3連敗を喫するなど失速。順位が8位にまで低迷した7月にとうとうミシャが解任となり、6年間の長期政権に終止符が打つ。一方、後任となった堀孝史監督のもとACLでは準々決勝で川崎フロンターレを相手に大逆転勝利を飾ると、準決勝では上海上港相手に勝利。そして、決勝ではアル・ヒラルを相手に2試合合計2-1で勝利。この結果、10年ぶりにACLを制し、Jリーグのクラブとしては9年ぶりとなる2度目のアジア王者となった。堀はこの年のAFC年間最優秀監督に選ばれる。しかし、J1リーグではACLとの兼ね合いによる過密日程に苦しみ、終盤に3連敗を喫して7位に終わる。また、FIFAクラブワールドカップ2017では、準々決勝でアル・ジャジーラと対戦で敗れ5位決定戦へ回りそこで勝利した為5位となった。
2018年は開幕5試合1勝もできず下位に低迷し堀監督が解任。次期監督就任まで育成兼ユース監督である組長こと大槻毅を繋ぎとした。第19節(川崎戦)に勝利しJ1通算400勝となる。その後、鹿島以来のJリーグ監督に就任したオズワルド・オリヴェイラにより巻き返し一時はACL圏内まで順位を上げるも最終的には5位で終えたためリーグ戦でのACL出場権獲得はならなかった。しかし、天皇杯では決勝でベガルタ仙台を破り12大会ぶりの優勝を果たしたことでACL出場権を得ている。
2019年はリーグとACLの二冠を目標に各ポジションに代表クラスの選手を獲得する大型補強を敢行するも、J1リーグでは開幕から低迷。4連敗を喫したことでオズワルド・オリヴェイラは解任となり、前年に続いて大槻組長が監督に就任する。しかし、過密日程もあってチームは低迷しとうとう残留争いに巻き込まれることになるが、最終節で辛くもJ1残留を果たす。また、ACLでは2年ぶりの決勝進出を果たしたものの、決勝では強力な外国人助っ人を擁するアル・ヒラルの前に完敗し、準優勝に終わる。
2020年は強化体制が一新され、新たに設置されたSDに土田尚史、TDに西野努が就任。目先の勝利に囚われることなくチームを変革させるため2022年度のリーグ優勝を目標とする『3年計画』を掲げる。しかし、攻守ともに結果と内容が伴わず、試合6失点を1年で2度喫するなど守備の崩壊が目立ち、10位に終わる。この年を最後に大槻監督は退任となる。
2021年には徳島ヴォルティスをJ1昇格へ導いたリカルド・ロドリゲスを監督に招聘。さらに前奈良クラブ監督の林舞輝を分析担当に抜擢し、スペイン式のポジショナルプレーを導入しようとする。春そして夏にも積極的な補強を敢行され、監督の戦術に合った選手を中心とした戦略的なチーム作りが進められていく。だが、キャスパー・ユンカーが負傷がちだったこともあって得点力不足が悩みの種となり、シーズン終盤戦は勝ち切れない試合が続き、最終順位は6位に終わる。一方、天皇杯では決勝で退団が発表されていた槙野の劇的な決勝ゴールで大分トリニータに勝利し、3年ぶり4度目の優勝を果たす。また、このシーズンで14年間在籍した阿部勇樹が現役を引退。
「3年計画」の最終年となった2022年は開幕前のスーパーカップを制覇したものの、開幕後はスタートダッシュに失敗し前半戦を12位で折り返す。後半戦に入りやや持ち直しはしたが、結局最後まで波に乗り切れず、9位でシーズンを終え、ロドリゲス監督は退任となる。一方、ACLでは準決勝で全北現代をPK戦の末に破り、3年ぶり4度目の決勝進出を果たしている。
2023年はポーランドリーグを4度制覇したことのあるマチェイ・スコルジャを監督に招聘。前年からの続きとなる5月に開催されたアル・ヒラルとのACL決勝ではアウェイの初戦を興梠慎三の同点ゴールで引き分けに持ち込むと、ホームの大声援に支えられた第2戦ではオウンゴールで得た虎の子の1点を守り切り、6年ぶり3度目のアジアチャンピオンとなる。
天皇杯では4回戦で名古屋相手に敗れ、敗退。試合後、サポーターが起こした前代未聞の暴動によって翌年の出場資格を剥奪されてしまう(下記を参照)。ルヴァンカップではファイナルまで進出したものの、決勝でアビスパ福岡に敗れ、準優勝に終わる。
リーグ戦では開幕連敗と苦しいスタートになったが、第3節以降公式戦13試合無敗と立て直しに成功。守備陣はリーグトップの堅さを誇ったものの、攻撃陣はホセ・カンテ以外に頼れるスコアラーが定着せず、夏場以降は勝ち切れない試合が増え、最終的に4位で終わる。Jリーグアウォーズではリーグ最少失点の堅守が評価され、最多タイの4人がベストイレブンに選出。
2023-24シーズンのACLは前年度王者として出場したものの、第6節で格下のハノイFCに敗れ、2勝1分3敗の成績でグループステージ敗退。
6年ぶりの出場となったFIFAクラブワールドカップ2023では、初戦でクラブ・レオンに勝利したものの、準決勝でマンチェスター・シティ相手に成す術なく完敗。3位決定戦でもアル・アハリに敗れ、4位に終わる。2023年は年間60試合以上を戦う超過密日程となった。
2024年は元ノルウェー代表監督のペア=マティアス・ヘグモが監督に就任。
サポーター問題
1993年のJリーグ開幕当初から熱狂的なサポーターを獲得していることで知られており、フランス誌『So Foot』は世界のサポーター10選を紹介し、その中に日本の浦和レッズが世界9位に選出されるなど海外からも高く評価されている。2017年と2022年のACL決勝では中東でのアウェイにも多くのサポーターが押しかけ、チームに勇気を与えて三度のアジア王者獲得に貢献もしている。その一方で、数多くのトラブルや問題行動を起こしており、Jリーグに悪影響を与えている。
- 2008年5月のホームのガンバ大阪戦で、試合前からガンバ大阪のサポーターが水風船を投げて挑発して試合後に大乱闘となり、激怒した浦和サポーターが相手サポーターとの緩衝地帯に突撃していき、1000人のガンバサポーターを3時間ほど監禁する事態となった。
- 2010年5月15日開催のアウェー第12節・ベガルタ仙台戦の試合後に、浦和サポーター20名ほどが立ち入り禁止区域に入ってペットボトルを投げつけて観客を負傷させたうえ、そのうちの2〜3名が仙台のミッドフィールダー・梁勇基に向けて人種差別的な発言を行っており、浦和に対して譴責と制裁金500万円の処分が下される。
- 2013年の清水戦(アウェイ)では試合前に相手チーム選手が乗ったバスに対して爆竹や発煙筒を投げつけた後、入場を制止した警備員に対し暴行を加えた容疑で4人が逮捕された。
- 2014年のホームのサガン鳥栖戦では、「JAPANESE ONLY(日本人以外お断り/日本人に限る/日本人専用)」と書かれた人種・民族差別を想起させる横断幕をピッチとは反対側に向けて日の丸と並べて掲出。クラブは史上初の無観客試合開催という重い制裁を受けた。
- 2022年5月の鹿島戦、7月のガンバ大阪戦で当時新型コロナウイルス禍で禁止されている声出し応援を一部サポーターが繰り返したとして、Jリーグから歴代最高額タイの2000万円の制裁金が科せられる。
- 2023年7月、天皇杯4回戦で名古屋グランパスに0-3で完敗した直後、名古屋サポーターからの煽りにキレた浦和サポーターが暴徒化し、名古屋側の観客席に乱入して緩衝帯を突破し、暴力行為を行う。ついには警察官までが投入されるJリーグ史上最悪の暴力事件に発展。結果、2024年度天皇杯へのクラブの出場資格剥奪という史上稀に見る重い処分が下された。
主なタイトル
国内タイトル
国際タイトル
個人タイトル
- Jリーグ最優秀選手賞
- Jリーグベストイレブン
- 1995年: 福田正博、 ギド・ブッフバルト
- 1996年: 岡野雅行、 ギド・ブッフバルト
- 1998年: 小野伸二
- 2002年: エメルソン
- 2003年: エメルソン、 坪井慶介
- 2004年: エメルソン、 長谷部誠、 田中マルクス闘莉王
- 2005年: 田中マルクス闘莉王
- 2006年: ワシントン、 鈴木啓太、 田中マルクス闘莉王
- 2007年: ロブソン・ポンテ、 鈴木啓太、 阿部勇樹、 田中マルクス闘莉王、 都築龍太
- 2008年: 田中マルクス闘莉王
- 2009年: 田中マルクス闘莉王
- 2013年: 那須大亮
- 2014年: 西川周作
- 2015年: 槙野智章、 西川周作
- 2016年: 柏木陽介、 阿部勇樹、 槙野智章、 西川周作
- 2017年: 興梠慎三
- 2023年: 伊藤敦樹、 マリウス・ホイブラーテン、 アレクサンダー・ショルツ、 西川周作
- J1リーグ得点王
- Jリーグ新人王 / Jリーグベストヤングプレイヤー賞
- Jリーグカップ最優秀選手賞
- Jリーグカップニューヒーロー賞
- AFCチャンピオンズリーグ最優秀選手
現在の所属選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 | 備考 |
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- | 監督 | ペア=マティアス・ヘグモ | 1959.12.1 | 2024 | BKヘッケン 監督 | 【新】 | |
1 | GK | 西川周作 | 1986.6.18 | 2014 | サンフレッチェ広島 | ||
2 | DF | 酒井宏樹(C) | 1990.4.12 | 2021 | オリンピック・マルセイユ | ||
3 | MF | 伊藤敦樹 | 1998.8.11 | 2021 | 流通経済大学 | 【H】 | |
4 | DF | 石原広教 | 1999.2.26 | 2024 | 湘南ベルマーレ | 【完】 | |
5 | DF | マリウス・ホイブラーテン | 1995.1.23 | 2023 | FKボデ/グリムト | ||
6 | MF | 岩尾憲 | 1988.4.18 | 2023 | 徳島ヴォルティス | ||
7 | FW | 安部裕葵 | 1999.1.28 | 2023 | FCバルセロナB | ||
8 | MF | 小泉佳穂 | 1996.10.5 | 2021 | FC琉球 | ||
9 | FW | ブライアン・リンセン | 1990.10.8 | 2022 | フェイエノールト | ||
10 | MF | 中島翔哉 | 1994.8.23 | 2023 | アンタルヤスポル | ||
11 | MF | サミュエル・グスタフソン | 1995.11.11 | 2024 | BKヘッケン | 【完】 | |
12 | FW | チアゴ・サンタナ | 1993.2.4 | 2024 | 清水エスパルス | 【完】 | |
13 | MF | 渡邊凌磨 | 1996.10.2 | 2024 | FC東京 | 【完】 | |
14 | MF | 関根貴大 | 1995.4.19 | 2019 | シント=トロイデンVV | 【H】 | |
16 | GK | 牲川歩見 | 1994.5.12 | 2022 | 水戸ホーリーホック | ||
17 | FW | オラ・ソルバッケン | 1998.9.7 | 2024 | オリンピアコスFC | 【レ】 | |
20 | DF | 佐藤遥大 | 1998.9.10 | 2024 | ガンバ大阪 | 【完】 | |
21 | MF | 大久保智明 | 1998.7.23 | 2019 | 中央大学 | ||
23 | DF | 井上黎生人 | 1997.3.9 | 2024 | 京都サンガF.C. | 【完】 | |
24 | MF | 松尾佑介 | 1997.7.23 | 2022 | VCウェステルロー | 【復】【H】 | |
25 | MF | 安居海渡 | 2000.2.9 | 2022 | 流通経済大学 | ||
27 | MF | エカニット・パンヤ | 1999.10.21 | 2023 | ムアントン・ユナイテッドFC | 【レ】 | |
28 | DF | アレクサンダー・ショルツ | 1992.10.24 | 2021 | FCミッティラン | ||
29 | MF | 堀内陽太 | 2004.7.8 | 2023 | 浦和レッズユース | 【H】 | |
30 | FW | 興梠慎三 | 1986.7.31 | 2023 | 北海道コンサドーレ札幌 | ||
31 | GK | 吉田舜 | 1996.11.28 | 2023 | 大分トリニータ | ||
35 | MF | 宇賀神友弥 | 1988.3.23 | 2024 | FC岐阜 | 【完】【H】 | |
38 | MF | 前田直輝 | 1994.11.17 | 2024 | 名古屋グランパス | 【完】 | |
47 | MF | 武田英寿 | 2001.9.15 | 2020 | 水戸ホーリーホック | 【復】【H】 | |
66 | DF | 大畑歩夢 | 2001.4.27 | 2022 | サガン鳥栖 |
※備考欄は【完】=完全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別指定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手
過去に所属したおもな選手
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歴代監督
国籍 | 監督名 | 在任期間 | 備考 |
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森孝磁 | 1992年~1993年 | ||
横山謙三 | 1994年 | ||
ホルガー・オジェック | 1995年~1996年 | ||
ホルスト・ケッペル | 1997年 | ||
原博美 | 1998年~1999年1stステージ | ||
ア・デモス | 1999年2ndステージ | J2降格(1999年) | |
吉田靖 | 1999年天皇杯 | 総監督として指揮 | |
斉藤和夫 | 2000年~2000年10月 | ||
横山謙三 | 2000年10月~12月 | ・総監督として指揮 ・J1昇格(2000年) |
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チッタ | 2001年1stステージ | ||
ピッタ | 2001年2ndステージ | ||
ハンス・オフト | 2002年~2003年 | ナビスコカップ優勝(2003年) | |
ギド・ブッフバルト | 2004年~2006年 | ・J1リーグ2ndステージ優勝(2004年) ・天皇杯優勝(2005年、2006年) ・J1リーグ優勝(2006年) |
|
ホルガー・オジェック | 2007年~2008年3月 | AFCチャンピオンズリーグ優勝(2007年) | |
ゲルト・エンゲルス | 2008年3月~12月 | ||
フィルカー・フィンケ | 2009年~2010年 | ||
ゼリコ・ペトロヴィッチ | 2011年~2011年10月 | ||
堀孝史 | 2011年10月~12月 | 監督代行 |
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ミハイロ・ペトロヴィッチ | 2012年~2017年7月 | ・J1リーグ1stステージ優勝(2015年) ・ルヴァンカップ優勝(2016年) ・J1リーグ2ndステージ優勝(2016年) |
|
堀孝史 | 2017年7月~2018年4月 | ・スルガ銀行杯優勝(2017年) ・AFCチャンピオンズリーグ優勝(2017年) |
|
大槻毅 | 2018年4月 | 監督代行 |
|
オズワルト・オリヴェイラ | 2018年4月~2019年5月 | 天皇杯優勝(2018年) | |
大槻毅 | 2019年5月~2020年 | ||
リカルド・ロドリゲス | 2021年~2022年 | 天皇杯優勝(2021年) | |
マチェイ・スコルジャ | 2023年 | AFCチャンピオンズリーグ優勝(2023年) | |
ペア=マティアス・ヘグモ | 2024年 |
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
- サッカー
- Jリーグ - Jリーグチーム一覧
- J1リーグ(1993年 - 1999年、2001年 - )
- J2リーグ(2000年)
- オリジナル10
- 埼玉県 - さいたま市(浦和市)
- 埼玉スタジアム2002
- 三菱自動車
- テレビ埼玉
- 上野晃
関連リンク
脚注
- *なお、三菱自動車工業自体は2016年までトップパートナーとなっていたが、同年の燃費試験不正問題で公式サイトから削除されている。また、三菱自動車工業は2016年中に日産自動車傘下となる予定であるが、日産自動車は横浜F・マリノスの株式を保有している。このままでは日産自動車が事実上横浜F・マリノスと浦和レッズの株式を保有する状態になるが、Jリーグ規約で公平性確保のため2クラブ以上の株式大量保有が禁じられているため、親会社そのものが変更になる可能性が浮上していた。しかし、2016年10月31日に、三菱自工が三菱重工業と共同出資して持株会社「ダイヤモンドF.C.パートナーズ株式会社」を設立し、同社にクラブの全株式を譲渡することを発表。これにより三菱自工の間接出資比率が19.8%となったことで問題を解消している。
- *他には1997年1月26日にレディアと結婚したフレンディア(Friendia)、Jリーグ王者だけが手にすることのできる優勝銀皿(シャーレ)に由来して2006年12月2日に誕生したシャーレくん(Schalekun) 、同じく2006年12月2日に誕生、父親のレディアと母親のフレンディアの「DIA」と、なでしこリーグの女王に与えられる「TIARA」をミックスさせたディアラちゃん(Diarachan)。浦和レッズのマスコットたちは他チームのマスコットのようにファンサービスをせず、ただプラプラする姿が目撃されるためサポーターからは「ニート」呼ばわりされている。
親記事
子記事
兄弟記事
- 北海道コンサドーレ札幌
- 川崎フロンターレ
- 京都サンガF.C.
- 柏レイソル
- FC東京
- 東京ヴェルディ
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