横溝正史ミステリ&ホラー大賞とは、KADOKAWAが主催するミステリー小説・ホラー小説の公募新人賞。大賞賞金500万円。
2018年に横溝正史ミステリ大賞が日本ホラー小説大賞を吸収して現在の形になった賞であり、歴史・通算回数も横溝正史ミステリ大賞のものが引き継がれているので、本項では「横溝正史賞」時代および「横溝正史ミステリ大賞」時代についても記述する。吸収された日本ホラー小説大賞については当該項目を参照。
概要
1980年、当時の横溝正史ブームの流れを汲んで、長編ミステリーの新人賞「横溝正史賞」として設立。設立当時はまだ横溝正史は存命であり、存命作家の名前を冠した賞が出来るのは異例のことだった。横溝は第1回の選考委員にも名を連ねていたが、既に体調は思わしくなく、選考会は欠席。第1回の受賞作決定後、1981年12月に死去した。
当時はまだ長編ミステリーの新人賞は江戸川乱歩賞ぐらいしか無かったこともあり、乱歩賞の対抗馬として設立当初は話題を集める。第1回受賞作の斎藤澪『この子の七つのお祝いに』は松竹で映画化。第2回では超売れっ子作詞家であり小説でも既に『瀬戸内少年野球団』で直木賞候補にもなっていた阿久悠が『殺人狂時代 ユリエ』で受賞するなど、初期は話題作を送り出していた。[1]
しかし第3回以降はこれといった話題作が出ず、『このミステリーがすごい!』の匿名座談会では「新人賞番外地」とか言われる始末。第10回では鈴木光司『リング』が応募されてきていたが「さすがにこれはミステリーじゃないよね」ということで最終選考で落選している[2]。90年代までの受賞者で広く活躍したと言えるのは姉小路祐、柴田よしき、山田宗樹が挙がる程度。他に服部まゆみや打海文三といった通好みの作家もちらほら輩出していたものの、話題らしい話題は第14回で選考委員の夏樹静子の実兄である五十嵐均が受賞して選考会の公平性に疑義が呈されたこと、なんて状況が90年代までは続いていた。
21世紀を迎え、2001年の第21回から「横溝正史ミステリ大賞」に改名。第22回からは大賞・優秀賞のほかに2時間ドラマ枠でのテレビドラマ化を前提としたテレビ東京賞(賞金100万円)が追加される。テレビ東京賞は30回で終了したものの、リニューアル後は川崎草志、初野晴、伊岡瞬、大門剛明、伊与原新、長沢樹、菅原和也、河合莞爾などが受賞しており、超人気作家や各種の賞を獲りまくるような作家こそいないものの、受賞作家の生存率は80~90年代よりだいぶ向上している。
2018年、日本ホラー小説大賞を吸収して、ミステリーだけでなくホラーも対象とする「横溝正史ミステリ&ホラー大賞」にリニューアル。ホラー大賞から「読者賞」のシステムを引き継ぎ、現在に至る。
基本的にはいわゆる広義のミステリーの賞だが、受賞作にはあまり目立った傾向はなく、社会派のサスペンスや冒険小説から、ユーモアミステリや学園青春ミステリまでいろいろ。たまにSF系の作品が受賞することもある(小笠原慧『DZ』とか、逸木裕『虹を待つ彼女』とか)。また、ときたま(本来ならメフィスト賞あたりから出そうな)マニアックな本格ミステリ系の作家(霞流一、鳥飼否宇、白井智之など)が出てくるのも特徴。
大百科に記事のある受賞・候補作
大百科に記事のある受賞・候補作家
関連リンク
関連項目
脚注
- *この第2回の選考会では選考委員の土屋隆夫が阿久悠の受賞に猛反対。しかし結局阿久悠の受賞に決まり、土屋はこの回で選考委員を降板した。そもそも『殺人狂時代 ユリエ』は普通の応募原稿ではなくカドカワノベルズが阿久悠に注文していた原稿という話もあり、角川書店が話題作りのために横溝賞にねじ込んだ出来レースだったのでは、という話は当時から盛んに言われていた。実際、第1回の『この子の七つのお祝いに』は四六判単行本で刊行されているのに、なぜか『殺人狂時代 ユリエ』はカドカワノベルズで刊行されている。
- *その後、鈴木光司が日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞したため『リング』も角川書店から単行本化されたが、このときはさっぱり売れなかった。爆発的にヒットするのは角川ホラー文庫で文庫化されてからのこと。ちなみにもし受賞していたら映像化権などが角川書店に渡っていたため、鈴木光司にしてみれば受賞できなかったおかげで『リング』の映像化権による収入を角川に取られずに済んだという。世の中何が吉と転ぶか解らないものである。
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