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田島慎二(たじま しんじ、1989年12月21日-)とは、愛知県出身のプロ野球選手(投手)である。現在は中日ドラゴンズに所属。
概要
中日ドラゴンズ #12 | |
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田島慎二 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
生年月日 | 1989年12月21日 |
身長 体重 |
181cm 84kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2011年ドラフト3位 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
中部大学第一高校では1学年上に朱大衛がおり、朱が引退した2年の秋に捕手から投手に転向。3年夏は県大会準決勝で伊藤隼太擁する中京大中京高校に敗れた。
東海学園大学に進学し、2部リーグながら2年からエースとして活躍。4年次に故障してプロ入りが遠のきかけたが、復帰後はリリーフに回ってアピールし再びドラフト戦線に浮上した。
JR東海への入社が内定していたが、2011年のドラフト会議で地元の中日ドラゴンズに3位で指名され入団。背番号45。指名直後の会見では喜びでボロ泣きしていた。
中日時代
2012年(1年目)から開幕一軍入りを果たし、リリーフとして起用される。6試合目の登板となった4月14日の阪神タイガース戦で先発の雄太が2回で降板したため、2番手として4回0/3を投げ1失点(自責0)に抑え、プロ初勝利を挙げた。浅尾拓也の不調と離脱により4月下旬からセットアッパーに回る。6月に1ヶ月ほど離脱したが、ほぼシーズンを通してセットアッパーとして活躍し、56試合に登板。5勝3敗30ホールド、防御率1.15という好成績を残した。
2013年は、開幕から岡田俊哉や武藤祐太とともに、接戦、大差のリード、ビハインドと場面を全く問わずに登板させられる。4月17日に3回2/3・51球を投げ、中1日で3連投という起用をされてからは完全におかしくなり、見るからにボロボロにも関わらず5月6日から狂気の6連投。5連投目の試合で満塁のピンチを作って降板したあと、酷使している張本人の高木守道監督から「球がお辞儀しとる」と理不尽極まりない説教を受け、その上で翌日も登板して大炎上。39試合中22登板という無茶使いの結果、0勝5敗、防御率7.66という成績で5月14日に二軍落ち。多くのファンがこの二軍落ちを「これでやっと田島が休める」と安堵から祝福するという異様な光景がそこにはあった。ところが、2週間も経たずに一軍復帰していきなり4連投と再びファンを暗澹たる気分にさせる。6月に入ると鈴木義広や辻孟彦の昇格でようやく登板機会が減り、6月17日に再び抹消された。今度は首脳陣が何を思ったのか、7月に先発として起用。しかし先発では2試合投げて抹消される。8月下旬に再び復帰したあとは中継ぎに戻ってその後は閉幕まで投げたが、最終的に50試合で5勝10敗12ホールド、防御率4.76という数字に終わった。現時点で先発を務めたのはこの年のみとなっている。
2014年から背番号12を背負う。開幕を一軍で迎えるが、4月29日に4失点、5月1日に5失点と横浜DeNAベイスターズ相手に大炎上、防御率は8点台後半まで悪化し、二軍落ち。7月4日に再登録され、その日の読売ジャイアンツ戦で7回に登板したが、村田修一、レスリー・アンダーソン、長野久義にプロ野球史上2人目となる三者連続死球を与えるなど不安定な内容だったが、後続をしっかり絶ち無失点に抑えた。
2015年は開幕時こそビハインドでの登板が目立ったが、5月になると4月の安定感を買われてかセットアッパーとして登板する。以降は6月20日の巨人戦で3失点、7月21日の広島東洋カープ戦で4失点と時折炎上を見せることもあったが、これ以外の試合では大きく崩れることも無かったためか、9月に入ると今度は不調で二軍に落ちた福谷浩司に代わる抑えとして起用され、この年は自己最多となる64試合に登板してチームを支え続けた。
2016年は開幕戦から無失点投球が続き、5月21日には2012年に岡島秀樹が記録した26試合を越える開幕27試合連続無失点という記録を作り、その後6月7日のオリックス・バファローズ戦で失点するまで無失点記録を継続し、記録を31試合連続無失点にまで伸ばした。
その後は前年同様に不調の福谷浩司に代わって抑えを任されるようになり、9月最後の巨人戦で連続して打ち込まれて防御率を爆上げしたが、最終的に59試合に登板し18ホールド、17セーブを記録した。
2017年は1年間抑えとして登板し、自身初の30セーブを記録した。
2018年は30試合の登板で防御率7.22、2度の二軍落ちと不振に陥った。
2019年は開幕を一軍で迎えたが、結果を残せず6月中旬を最後に一軍での登板はなく、21試合の登板に留まった。
2020年は2月のキャンプ中に右肘痛で離脱。4月にトミー・ジョン手術を受けることになり、シーズンを棒に振った。
2021年は春キャンプをリハビリに費やし、4月9日の二軍戦で実戦復帰。以後好投を続け、7月に一軍昇格を果たし、8月18日にFA権を取得した。22試合に登板し、2勝1敗8ホールドだった。
プレースタイル
直球の最速は153km/h、変化球はシュート、スラーブ、高速フォークを投げる。
東京ドームを苦手としている。
人物
アマ時代は中央球界では無名のリリーフ投手という経歴は岩瀬仁紀や浅尾拓也に通じるため、ファンからの期待も大きい一方、酷使の影響が多くのファンから心配されている。
同学年の武藤祐太と非常に仲が良い。髪型が同じ、手袋がお揃い、武藤が「TAJIMA/UTOU」と書かれたアンダーシャツを着ているなど、ちょっと仲が良すぎるのではないかという疑惑もある。
成績
年度別投手成績
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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2012年 | 中日 | 56 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | 30 | .625 | 70.2 | 17 | 56 | 10 | 9 | 1.15 |
2013年 | 50 | 2 | 0 | 0 | 5 | 10 | 0 | 12 | .333 | 64.1 | 32 | 60 | 37 | 34 | 4.76 | |
2014年 | 42 | 0 | 0 | 0 | 3 | 5 | 0 | 9 | .375 | 51.0 | 29 | 55 | 35 | 29 | 5.12 | |
2015年 | 64 | 0 | 0 | 0 | 4 | 6 | 9 | 15 | 400 | 75.0 | 25 | 62 | 25 | 19 | 2.28 | |
2016年 | 59 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 17 | 18 | .429 | 59.0 | 25 | 61 | 16 | 16 | 2.44 | |
2017年 | 63 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 34 | 6 | .286 | 62.2 | 25 | 46 | 20 | 20 | 2.87 | |
2018年 | 30 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 15 | 1 | .000 | 28.2 | 18 | 13 | 23 | 23 | 7.22 | |
2019年 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | .000 | 21.0 | 8 | 22 | 16 | 16 | 6.86 | |
2021年 | 22 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 8 | .677 | 18.1 | 6 | 22 | 5 | 5 | 2.45 | |
NPB:9年 | 407 | 2 | 0 | 0 | 24 | 39 | 75 | 105 | .381 | 450.2 | 185 | 397 | 187 | 171 | 3.41 |
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関連項目
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