「TAM」とは、スペイン語の「Tanque Argentino Mediano(アルゼンチン製中戦車の意)」の略。
区分としては74式戦車と同じ戦後第二世代戦車の最後期に当たるのだが、その実「戦車」というより「戦車駆逐車」、あるいは昨今流行の「装輪戦車」に近い性格をもつ車両である。
開発までの経緯
アルゼンチン陸軍は第二次世界大戦終結後、余剰となったM4シャーマンやM3A1ハーフトラック、ファイアフライなどを連合国から調達・配備し、南米のもう一つの大国・ブラジルとの熾烈な軍拡競争を繰り広げていた。しかし、1960年代になるとさすがに旧式化・老巧化が目立つようになった為、アルゼンチン陸軍はこれらの装備の更新を決定。さっそく西側の盟主国・アメリカにM41ウォーカーブルドック 50両とM113装甲兵員輸送車 250両の調達を打診した。
しかし、当時アメリカはライバルであるブラジルの軍事独裁政権を支援していた為、この打診は拒否されてしまった。
だが、アルゼンチン陸軍も拒否されることは織り込み済み!こんなこともあろうかと、米国以外の西側諸国製戦車の可能性を模索する計画である「プランB」…… もとい、「プラン・エウロパ(ヨーロッパ)」を発動!西欧各国に次期主力戦車トライアルへの参加を呼びかけ、そのプランの提出を求めた。(また、次期MBT選定までの繋ぎとして、フランスからAMX-13軽戦車 80両を購入した。)
トライアルには、ドイツとフランスが名乗りを上げ、それぞれレオパルト1とAMX-30を提案した。二両の性能は非常に似ており、どちらも105mm砲を搭載し、高度なFCSを備え、良好な機動性・航続距離を持っていたものの、AMX-30は機械的信頼性が低く、レオパルト1は要求した戦闘重量をはるかにオーバーしていた。
またこの頃、トライアルに一枚噛みたいと思ったアメリカが遅れながらもM60パットンを提案したが、M60はアルゼンチンが運用するには余りにもコストが掛かりすぎた。
この結果を受けてアルゼンチンは、既存戦車から次期MBTを選定することは不可能だと判断し、トライアルの中止を決定。これに代わる計画として1973年に「アルゼンチン中戦車開発計画」を発足させた。ここでいう中戦車とは、前大戦での区分における中戦車という意味ではなく、AMX-13と既存の第二世代戦車の間に位置する中級重量の戦車という意味だと思われる 。
しかし、かつてM4シャーマンと同等の能力を持つナヒュールを作り上げたアルゼンチンとはいえ、当時最新の第二世代戦車を一から設計・開発する能力は持っていなかった。
そこで、今度は新型戦車の設計案のトライアルを実施、各国企業にプランの提出を求めた。
トライアルにおいては、
- 105mm砲、または120mm砲を搭載していること
- 最大時速80kmを発揮すること
- 外部燃料タンク無しで、路上での航続距離500kmを持つこと
- 戦闘重量が35トンを越えないこと
- 近代的なFCS、および暗視装置を搭載すること
- 4500mの高地、熱帯雨林、砂漠、平野などアルゼンチンのあらゆる地理的条件化で動作すること
- IFV・自走砲などの派生車両の開発が容易であること
このトライアルには、ドイツのティッセン・ヘンシェル社、フランスのGIAT社、アメリカのクライスラー社が名乗りを上げ、それぞれプランを提出した。
そして1974年にアルゼンチン国内への技術移転などにも好意的だったヘンシェル社のプランが選定された。
TAMの特徴
TAMの一番の特徴は何と言っても、同じくヘンシェル社が開発したドイツ連邦軍の歩兵戦闘車「マルダー」の車体をほぼそのまま使っていることである。戦車から歩兵戦闘車に派生したものはあれど、歩兵戦闘車から戦車に派生したものはおそらくTAMくらいだろう。これによる長所・短所が各種性能に影響を与えている。
火力
TAMは主砲に西側第二世代戦車としては標準的な105mmライフル砲を搭載している。
初期生産型には、英国のロイヤルオードナンス製 L7A3が搭載されており、第二ロットにはL7のドイツ製ライセンス生産品であるLTA2が、それ以降のロットではアルゼンチンでライセンス生産されたFMK.4 Mod.1Lが搭載されている。また、極一部の車両にはL7のフランス製ライセンス生産品であるCN-105-57が搭載されているようである。原型が同じとはいえ、ロットごとにここまで違う砲を積んでいては、整備員はさぞ大変であろう。
乗員配置は砲塔右前方に砲手、その後ろに車長、左側に装填手、車体左前方に操縦手が配置されている。
射撃管制装置(FCS)には、6000mまで測距できるYAGレーザー測遠器や弾道コンピュータ、スタビライザーが組み合わせられた当時の西側戦車と同等の高度なシステムを搭載しており、良好な命中精度を期待できる。
砲弾は、APFSDS弾、APDS弾、HEAT弾、HESH弾、キャニスター弾、HE弾、白燐弾が使用可能であり、砲塔内に20発、車体に30発の計50発を搭載することができる。これに加えて主砲同軸と車長用キューポラにFN MAG7.62mm汎用機関銃(車内に6000発を搭載)が装備されてほか、砲塔後部の左右に4つずつ計8発の発煙弾発射機を装備している。
このように、TAMは西側第二世代戦車としては標準的な火力を有しているのである。
機動力
前述の通り、車体はほぼマルダーのままなので戦闘重量30tと第二世代戦車としては非常に軽量である。
(参考としてレオパルト1が40t、AMX-30が36t、M60 パットンが52t、我らが74式が38t)
また、エンジンがマルダーに搭載されていた600馬力を発揮するドイツ・MTU製 MB833 Ea501から720馬力を発揮するMB833 Ka501に換装された。これにより出力重量比が15.6kw/tから17.6kw/tに向上し、最高速度も時速75kmと第二世代戦車中最速をマークしている。
燃料は車内のタンクに680L搭載でき、550kmの航続距離を持っている。これに加え、車体背面に補助燃料タンク200L×2を搭載すると、航続距離をおよそ900km(!)にまで伸ばす事ができる。なぜアルゼンチンがここまで長い航続距離を求めたかと言うと、アルゼンチンは国土が広大であるが先進国に比べて交通インフラが非常に脆弱であり、また戦車を輸送するトランスポーターの数も不足していた為、戦車が戦場まで自走して行ける足の長さが求められたのである。
このようにTAMは機動力に関して西側第二世代戦車としては最高とも言える性能を有していることがお分かり頂けただろう。が、しかしこのしわ寄せが防御力に大きく影響してくるのである…。そう、大きく…
防御力
一言で言うなら「紙」である。
ご存知のように「歩兵戦闘車」という車両は、「歩兵を砲火に晒さず安全に戦場まで運び、運んだ後はその火砲によって歩兵の行動を支援する」というコンセプトの車両である。その為、その装甲は重機関銃や機関砲を防ぐ程度のものであり、戦車となぐり合うなどはなっから想定していない。
マルダー、そしてマルダーの車体を流用したTAMもその例外ではなく、TAMの装甲厚は見かけ厚を考慮しても平均して50mm。35~40mm機関砲弾程度を防御できるらしいが、第2世代戦車中でも装甲が薄いと言われるレオパルト1が見かけ厚140mmであるのを考えると薄いと言わざるを得ない。一応、車体正面はエンジンが防御上の足しになると考えられるが、HEAT弾はともかくAPFSDS弾に対しては効果が望めない。
これは前項で述べた通りアルゼンチンのインフラ事情に対応する為には、防御力を犠牲してでも重量を押さえなければならないという苦渋の判断であり、些か仕方が無い事だと言える。
まあ昔、どっかの島国も脆弱なインフラのせいで戦車軽くしなきゃいけなかったし。
また、当時は戦車の均質圧延鋼板の防御力に対して、APFSDS弾やHEAT弾を備えた対戦車ミサイルなど攻撃側の威力が優勢となっており、実用的な重量の範囲内でこれらを防御するのは不可能だと考えられていた。この為、レオパルト1を始めとする西側第二世代戦車は概ね、その機動力によって対戦車ミサイル(当時はまだ射手が誘導するタイプだった)等を回避してしまおうとの思想のもと開発された。TAMもこの思想の下、その良好な機動性と他の戦車と比べて極めて小さなそのシルエットを以て敵の攻撃に対処しようとしていたようである。
まあ、配備が始まった頃には既に第三世代戦車が登場していた訳ではあるが…。
このように、TAMは火力と機動力に特化した(せざるをえなかった?)戦車なのである。
当時、アルゼンチンの仮想敵国であるブラジルやチリ、ペルーにはM51スーパーシャーマンやAMX-30、M41ウォーカーブルドックしか配備されておらず、配備から10年の間は南米における最強の戦車であった。しかし、1990年代半ばからブラジルがレオパルト1A3やM60、チリがレオパルト1V/A5とレオパルト2A4の配備が始まっており、これらの戦車に対してTAMの性能では厳しい戦いを強いられることとなるだろう。
防御力を犠牲にし、高精度なFCSと大口径砲による高い火力と、軽量な車体による高い戦略機動性を併せ持った
AFV…何か思いつかないだろうか?そう、このコンセプトを持ったAFVこそがいわゆる「装輪戦車」と呼ばれる大口径砲を搭載した装輪装甲車である。というか、TAMのコンセプトは装輪戦車のそれと結構似たようなものであったりする。さながら「キャタピラを履いたルーイカット」と言ったところだろうか。
TAMの近代化改修型
TAMには配備されてから2回にわたって暗視装置の搭載とFCS周りの改修が行われたが、さすがに配備から30年も経つと陳腐化の感が否めなくなり、また前述の通り周辺国の機甲戦力の急速な近代化に対して、アルゼンチン陸軍も何らかの対策を講じる必要があった。
しかし、アルゼンチンは1990年代後半から経済状況が悪化の一途を辿っており、2001年にはアルゼンチン経済は破綻してしまった。その後の経済政策などによって、一応の経済再建が進んでいるものの、未だ予断を許さない状況である。つまり、アルゼンチンに新しい戦車を開発したり調達できるような余裕は微塵もないということである。
そこで、アルゼンチンは既存のTAMに対して大規模な近代化改修を行って、周辺国の戦車と渡り合える性能を獲得しようと考えた。
TAMの派生車両
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プラモとかないですよね、そうですよね…
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関連項目
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