NECとは、以下のことを表すが、この項目では電機メーカーについて記述する。
NEC 日本電気株式会社 NEC Corporation 東京都港区芝5丁目7-1 東証1部・大証1部・名証1部・福証・札証 6701 電機メーカー |
日本電気株式会社とは、東京都港区に本社を置く電気機器を主力業務とした企業である。略称は「NEC」であり、正式社名の「日本電気」が使われることは、公的な文章を除きほとんどない。
かつて日本のパソコン市場を事実上独占していたPC-98シリーズや、世界シェアで東芝と1位、2位を競った半導体、IBMなどの海外巨大資本と互角かそれ以上の成果を残しているスーパーコンピューター事業など、半世紀以上前からの日本におけるコンピューター史に必ず登場する企業である。設立時より新技術の研究や開発に優れている。
パソコン・携帯電話などの家庭用電子機器はもちろんのこと、大企業や官公庁向けの汎用コンピュータ、プロバイダー、半導体、宇宙システム、軍事、そしてコンサルティングなどさまざまな分野に参入している。かつては家電機器やゲーム機も製造していた。
1899年、エジソン・マシンワークス(現在のゼネラル・エレクトリック)を退社した岩垂邦彦が「日本でも同じような電灯の企業を」と思い、ウェスタン・エレクトリック(現在のアルカテル・ルーセント)と合弁で日本電気株式会社を設立。その後日米関係の悪化などによりアメリカの企業と提携することが難しくなったため、1920年から資本提携していた住友電線製造所(現在の住友電気工業)との関係より、住友財閥の企業となる。1928年には毎日新聞より依頼された昭和天皇即位の御大典の写真の電送に、独自技術を用いて成功(当時はドイツのシーメンス、フランスのベランなど海外企業の製品が使われていたが、NEC製の機器を用いて送られた写真は、それら海外製の機器に依ったものよりはるかに鮮明であったという)。
戦後、GHQなどの命令によりトランジスタの研究に取り組む。1950年代後半にはコンピュータの研究にいち早く取り掛かる。1960年代には通産省などの後押しによりIBMなどの海外企業の方式・設備によるものではない日本独自のコンピュータシステムの開発を始める。その後「おおすみ」などの日本で初めての宇宙衛星の開発に成功、PC-98シリーズのヒット、半導体のシェアが世界トップクラス、そして飯島澄男によるカーボンナノチューブの発見など1990年代初頭までにNECは日本を代表する電気電子機器メーカーへと発展した。
しかし、半導体分野においてはアジア企業(韓国のサムスンなど)が日本製とほぼ同性能の製品を安価で大量に製造したことによりシェアを大きく奪われ、大企業化したことによる意思決定の遅さや官僚的な構造、不採算事業の放置、そして、PC/AT互換機やマイクロソフトの「Windows」の大ヒットによりPC-98シリーズの終焉などにより、NECは大きな改革を迫られることになった。コンピュータを再び事業の中心にするため、リストラによる人員の大幅な削減や、家電・ゲーム分野などの不採算事業からの撤退などさまざまな改革を行った。それらにより、1990年代中頃の不調期は脱したと言われている。
IT業界(情報処理産業)において多くのシェアを持つシステムインテグレーター(SIer)の一社であり、多重の下請け構造を持つためITゼネコンとも呼ばれる。
NTTデータ、日立、NEC、富士通の四社でIT業界の8割の仕事と受注額を抑えている。
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最終更新:2024/09/20(金) 18:00
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