ロンググレイス 単語

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ロンググレイス

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ロンググレイスとは、1980年生まれの日本競走馬である。栗毛

グレード制導入当年に現れた、と互に渡り合う古の筆頭。

な勝ち
1983年:エリザベス女王杯ローズステークス
1984年:金杯(西)(GIII)

1984年優駿賞最優秀5歳以上

※当記事では活躍した当時に合わせて旧馬齢表記(現在の表記+1歳)を使用しています。

概要

ゲイルザックスイーブ、テューダーペリオッドという血統。

ゲイルザック日本で活躍した種牡馬ファバージが輸入される前に残した産駒で、ダービーなど8戦7勝。地元イタリアリーディングサイアーを獲得した後日本に輸入された。他の有名な産駒にはマルブツファーストやリュウコウキングがいる。

スイーブは現役時代2戦未勝利と大した成績は残せなかったが、繁殖牝馬としてはロンググレイスを始めファイアダンサーロングシンホニーなど複数の重賞を輩出。また18年連続での受胎など頑健さも群を抜いていた。他にも2006年桜花賞キストゥヘヴン祖母としても名を残している。

テューダーペリオッドは現役時代17戦4勝のイギリス種牡馬として日本に輸入された後は菊花賞ハシハーミット宝塚記念ハマノパレードなどを輩出して活躍した。としての他の産駒には77年の阪神3歳S勝ちバンブトンコートや80年の日本ダービーオペックホースがいる。

1980年4月17日に門別の牧場で誕生。その後「ロング」の冠名で活動していた中井長一氏に購入された後「ロンググレイス」と名付けられ、後にフサイチコンコルド日本ダービー勝利する東の小林稔厩舎に入厩した。

現役時代

1983年1月新馬戦で80年まで小林厩舎に所属していた秋山忠一騎手上にデビューし3着。そこから連闘で末まで2戦したものの3着以内には入ったものの勝ち切れず。ここでいったん休養に入った。小林調教師はロンググレイスに理をさせず。復帰戦を6月未勝利戦とした。ロンググレイスはここで期待に応えて4戦で勝ち上がりに成功。そのまま競馬開催中走り続け、2勝3着1回でく間に800万下を突破。次走は当時牝馬三冠の最終戦でだったエリザベス女王杯の前ローズステークスに決まった。6月頭に未勝利戦を突破した三冠終戦の前戦に有力として現れるという、文字通りのの上りと言える成績だった。

重賞初挑戦ということでこの年牝馬三冠でのお手が居なかった河内洋騎手に乗り替わり、2.7倍のオークスダイナカール、5.6倍の同3着メジロハイネから離されたものの12.1倍の3番人気ローズステークスに出走。中団から第4コーナー前で動き出し、最終直線で4番人気グロバルダイナしい競り合いの末勝利重賞勝利を達成した。
本番のエリザベス女王杯ではオークスダイナカールが回避したこともあり単勝4.6倍の1番人気に支持され、2番人気グロバルダイナと共にトライアル組がそのまま上位人気となり、レースでもローズステークスと同じく中団から第4コーナー前から仕掛け、最終直線で先に抜け出していた桜花賞シャダイソフィアゴール板前で差しきり勝利牝馬三冠の最終戦を制した。上の「河内」こと河内騎手はこれがエリザベス女王杯勝利小林調教師GI級のレースはこれが初勝利だった。年始からここまでで9戦ということもあり有馬記念は回避。これが年内最終戦となった。

5歳時の1984年は新しく田原成貴騎手コンビを組んでグレード制が導入されたばかりの年始のGIII金杯(西)から始動。エリザベス女王杯勝利もあって僅差で1番人気の支持を受け、最終直線で々と抜け出し2番人気ワイドオーを完封する堂々の勝利田原騎手は年末の有馬記念から重賞を連勝した。

しかしロンググレイスはこのあたりで脚部不安が出始めてしまったらしい。小林調教師は元々仕上げを万全にしてからレースへ出走させる方針を取っていたので[1]、以降は出走間隔が長めに取られることになった。

その年2戦は3か後のGIIサンケイ大阪杯で、ここでロンググレイスは古の一線級と初めて対戦することになる。ロンググレイスは間隔が開いたとはいえ金杯(西)勝利もあって2番人気。1番人気カツラギエース。3番人気にはスズカコバンが入り、同期たちとの勝負となった。ここまでが単勝1ケタ台の3強対決で、結果も3着までそのまま人気通りに決着した。3戦函館記念で、期間はいたものの小林厩舎は休み明けに強いことが知られていた為1番人気を獲得したが、斤量の関係もあり同期快速ウインザーノットの5着。4戦京都大賞典は逆に斤量有利となって変わらず1番人気に支持されたが、先輩ヤマノシラギクには先着したものの同期京都大将スズカコバンに4身差を付けられて2着に敗れた。しかし当時の競走馬にしては長い出走間隔にもかかわらず安定した成績を保ち、初GI挑戦となる天皇賞(秋)へと向かった。

1984年に初めてGIに格付けされ2000mの距離に短縮された天皇賞(秋)毎日王冠闘を演じたクラシック三冠ミスターシービー宝塚記念カツラギエース南関東三冠サンオーイが単勝1ケタ台、4番人気スズカコバンが単勝24.8倍という全な三強体制。ロンググレイスはさすがに力不足と思われたか7番人気だったものの、では一1桁人気には踏みとどまった。レースでは最後方から上がって来るミスターシービーに合わせて足を延ばし、大外から来たテュデナムキングにこそ及ばなかったものの内側のをまとめて差しきり3着。ロンググレイスは年末の阪神大賞典シンブラウンの7着とし5歳シーズンを終え、この年の年度表では最優秀5歳以上を受賞。6歳となった1985年は年始の金杯(西)に同厩舎同馬主ロングハヤブサと連覇を狙って出走したが、トップハンデタイ斤量き5kg差のメジロトーマスの5着に敗れ、これを最後に引退した。通算戦績16戦6勝。うち重賞3勝。

引退後

引退後は故郷の牧場で繁殖入りしたものの、スイーブと違い中々出しが悪く、86年の第一子から2000年まで6頭の産駒しか残せなかった。その後2002年に移動先の荻三好ファームで22歳で死去。残された6頭の産駒からは活躍は現れず、一のロングジャッキーが後継の繁殖牝馬となったが、牝系は繋がらず。今ロンググレイスの血を引くは残っていない。

現在日本競馬では天皇賞(秋)で3着と言えば「よくあること」とまでは言えなくても、「あり得ない」と言う程ではなくなっている。しかしグレード制が導入された当時、が中距離以上の距離混合戦でと渡り合うというのは滅多にないことで、GIどころか重賞勝利するだけでも騒ぎになることも多かった。そんな中においてロンググレイスの天皇賞3着という記録は大きな衝撃した。何せ天皇賞(秋)で3着以内に入る次に現れたのは1997年に1着になった「女エアグルーヴである。それまで10年以上ロンググレイスはグレード制導入後の天皇賞(秋)最先着としてその名を残していた。これは当時としては少ない出走数であっても古筆頭として扱われるに十分な実績だった。現代では強いが多く登場したことにより相対的にロンググレイスの知名度は下がってきてしまっているが、エアグルーヴ以前の天皇賞を振り返るときに語られてほしい名の1頭だと思う。

血統表

*ゲイルザック
Gay Lussac
1969 栃栗毛
*ファバー
1961 鹿毛
Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Spring Offensive Legend of France
Batika
Green as Grass
1963 鹿毛
Red God Nasrullah
Spring Run
Greensward Count Turf
Valse Folle
スイーブ
1968 栗毛
FNo.2-r
*テューダーペリオッド
1957 栃栗毛
Owen Tudor Hyperion
Mary Tudor
Cornice Epigram
Cordon
ゴールデンドラゴン
1959 鹿毛
*ヒンドスタン Bois Roussel
Sonibai
第五カナデアンガール *セフト
*カナデアンガール
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah 4×4(12.50%)

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関連項目

脚注

  1. *一の例外がフサイチコンコルド日本ダービー
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