ウインザーノット 単語

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ウインザーノット

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ウインザーノットとは、

  1. ネクタイの結び方のひとつ。ウィンザー公爵エドワード8世)に由来すると言われる。
  2. 1から名前を取った1980年生まれの日本競走馬。ここでは2について述べる。

ウインザーノットとは、日本の元競走馬・元種牡馬である。

種牡馬時代の「2000mで2分を6回切った」というキャッチフレーズが知られている快速
挫折だらけの苦労人のおぼっちゃまである。 

*パーソロン*サンサンボールドイーグル

な勝ち
1984年:函館記念(GIII)
1985年:函館記念(GIII)

齢表記は当時のものに合わせて旧表記で記載しています。

超良血のおぼっちゃま

このの血統をる時、外せないのはのことであろう。
フランス牝馬三冠の最終戦ヴェルメイユ賞世界最高峰のレース凱旋門賞を勝った名・*サンサンに持つのである。(ちなみに、勝った凱旋門賞には天皇賞メジロムサシが参戦して最下位に沈んでいたりする)

日本競馬に輸入されたの中でも屈の名の1頭だと言えるし、さらに際的に日本競馬の地位が低かった80年代ということを考えれば、アメリカの名牝・グッバイヘイローの子日本で走るよりすごいことだと言えるだろう。
さて、そんなサンサンだが、初子のリキサンサン(4勝)と第2子のスピードサンサン(3勝)が共にながらもそこそこ走って、さすが凱旋門賞と思われた。
とうとう生まれた待望の、しかも数々の活躍を輩出した*パーソロンに持つウインザーノットに多大な期待がかかったのは当然のことである。

貧弱で気難しいおぼっちゃま

ところが、競走年齢に達した時点でウインザーノットはその期待に応えるような成長を果たしていなかった。
3歳に入厩した時点で脚長でヒョロッとした体つきで、ウインザーノットを見た厩舎スタッフが「2頭ぐらいは走るんじゃないかなあ……それ以上? 理じゃね?」と思うようなだったという。

そして悪い予感は的中してしまい、明け4歳のデビュー戦で追走するだけでいっぱいいっぱいになり5着。しかも脚部不安が出て一息入れるはめに。
なんとか立て直してレースに出すが、ここでは掲示板すら外す7着に終わる。

じゃあ今度こそ、と思った次走は直線で内ラチ沿いから大外までブッ飛んでいって16着。4ヶの休養を挟んでの4歳9月、もう未勝利戦すらくなるような時期になって函館で復帰するが、今度はゲートで立ち上がって3着、さらにゲート再審
気性難、虚弱体質に加えてどころか2頭にすらで笑われそうな成績に、厩舎スタッフ一同頭を抱えたという。 

ゲート再審と発走調教も終わり、未勝利戦がないからと出た400万以下条件でやっと初勝利を上げるが、世間はミスターシービー三冠達成が果たされるかどうかに注をしている時期。
その同期で名の産んだ不肖の息子になんても注をしているわけもなく、本当にひっそりとした勝利だった。 

ひっそりと快進撃を始めたおぼっちゃま

しかし、世間に無視される中で気性難が治りつつあったウインザーノットは、休養を挟んで明け5歳から快進撃を始めるのである。
小倉競馬場に遠征して、初勝利から数えての3連勝を飾る。虚弱体質はまだ治っていなかったため疲労がたまり、温泉治療のためここで一旦戦線離脱。
その後、函館に向かって2000mの900万以下条件戦を勝って4連勝と連勝を伸ばすのだが、2000m戦は重賞でも2分かかるのが当たり前だった時代に、ウインザーノットは2分を切るタイム叩き出した。

当然、営は良血の開に期待した。次戦は格上挑戦で、重賞初挑戦となる函館記念ハンデ戦のため53キロで出られるという好条件である。
「ウインザーノット? ああそんなのいたね」という空気の中、ここも2分を切る好タイムで快勝。同じ2000mで行われる秋の天皇賞へ向け、打倒ミスターシービーす有の中にウインザーノットが名を連ねるようになったのだ。

だが、ここで再び虚弱体質が顔を出す。調教中に骨折し、またもや休養に入るはめになった。

皇帝に挑むおぼっちゃま

ウインザーノットが6歳になり骨折から復帰すると、競馬界の勢図は大きく変わっていた。日本トップホースミスターシービーではなく、1歳年下の"皇帝"シンボリルドルフになっていたのだ。
そんな中、ウインザーノットの復帰戦は宝塚記念に決まった。一応は5連勝中でしかもシンボリルドルフが出てないとはいえ、長期休養明けの初GI挑戦である。惨敗のすらありえたが、逃げたウインザーノットは勝ちスズカコバンから0.2差の3着にる。

続く高松宮杯でも3着に入ると、前年に軽ハンデで制した函館記念を今度は58.5キロハンデ・重馬場という悪条件の中でまたもや2分を切るタイムで連覇達成。
初戦の毎日王冠も2着とし、今度こそという思いで天皇賞(秋)に向かった。

そしてこの天皇賞でウインザーノットはシンボリルドルフに次ぐ2番人気、つまり"打倒皇帝"を期待される筆頭格となったのだ。 
その期待に応え、ウインザーノットは直線でシンボリルドルフとの叩き合いを展開。ルドルフの前になんかいた気がするけどルドルフからは僅差、そして"マイル皇帝"ニホンピロウイナーと同着である3着に入る大健闘の結果に終わった。
GI制覇の日も近いと思わせたが、次走のジャパンカップ距離が不向きだったのか15着と惨敗。そしてまた骨折し、休養に入ることになった。 

GIじゃちょっと足りなくて距離伸びるとダメな良血ってどこかで聞いたことがあるかもしれないけど、それには触れてあげない方向で。

おぼっちゃま最後の戦い

7歳になり、ウインザーノットが思い出函館で復帰すると、勢図はまたまた大きく変わっていた。シンボリルドルフ海外遠征へ向かい、古戦線はミホシンザンを筆頭とした群雄割拠の様相を呈していたのだ。

そんな中に殴り込みをかけるべく、ウインザーノットはまず賞をレコード勝ちで復帰戦を飾る。
だが、3連覇を狙った函館記念では60.5キロという前年よりもさらに増えたハンデいて"若き快速"ニッポーテイオーの4着に敗れ、毎日王冠でも"中距離"サクラユタカオーの前に4着に敗れてしまう。

もはや同期もほとんど引退し、"快速"、"中距離"というキャラ被りするようなたちまで現れ、終わったと思われたウインザーノットは本番の天皇賞(秋)でも6番人気に甘んじた。

しかし、古格漂わせ快調に逃げたウインザーノットは直線に入っても失速しない。直線半ばでサクラユタカオーにこそかわされたものの、ミホシンザン以下後続はよせつけず2着と前年よりも着順を上げた。

そしてウインザーノットは同レース引退し、GIこそ勝てなかったものの良血の意地を見せることには成功した。

種牡馬入り後はセントライト記念勝ちのウインフィールズを輩出するなど健闘したが、の勝てなかったGIを勝つは現れなかった。

おぼっちゃまの周辺事情

ウインザーノットのリキサンサンはに英二冠馬サーアイヴァーを持つという以上の良血なのだが、その子供が"3億円がドブに捨てられた"として知られるサンゼウス(トウショウボーイ)だったりする。

また、*サンサンの子孫は、孫(ウインザーノットの甥)にネイティハートひ孫サクセストレイン、マーブルチーフという重賞勝ちを出して活躍しているものの、GIだとちょっと足りないが多い。ウインザーノットがGIを勝てなかったのは宿命だったのかもしれない。

血統表

*パーソロン
1960 鹿毛
Milesian
1953 鹿毛
My Babu Djebel
Perfume
Oatflake Coup de Lyon
Avena
Paleo
1953 鹿毛
Pharis Pharos
Carissima
Calonice Abjer
Colonis
*サンサン
1969 栗毛
FNo.7-c
Bald Eagle
1955 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Siama Tiger
China Face
Sail Navy
1958 鹿毛
Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Anchors Aweigh Devil Diver
True Bearing
競走馬の4代血統表

クロスPharos 4×5(9.38)、Bull Dog=Sir Gallahad 5×5(6.25)、Tourbillion 5×5(6.25)

主な産駒

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