総括(そうかつ)とは
元々は左翼の団体において、政治活動が一段落した際に、それまでの活動を振り返って成果や反省点を確認し、次に活かす事を目的とした活動報告を「総括」と呼んだ。
この段階では上記「1」の用法に他ならず、今でもこの意味で「総括」が使われることがある。特に公立学校など管理側に左翼傾向の強い団体で使用される傾向が見られる。
1960~70年代、共産主義を理想とする政治運動・活動が盛んだった時代の話である。
理想に燃える学生を中心とした新左翼はその活動を活発化、かつ先鋭化させていった。穏健路線に向かいつつあった従来の左翼の活動に背を向けるように、彼らは「よど号ハイジャック事件」や企業や警察関係者を対象とした爆弾テロを決行。これにより大衆からの支持は急速に失われていった。
1971年頃から新左翼の一つ「革命左派」は銃砲店を襲撃して強奪した銃で武装、銀行強盗により活動資金を獲得し、警察に対する「殲滅戦」と称した攻撃を行うなど、過激さは更に増していく。これに「赤軍派」が合流したのが「連合赤軍」である。
当然ながらテロ実行犯である彼らは指名手配によって活動が制限されていた為、山岳地帯に拠点(ベース)を構えて合同で「軍事訓練」を行うようになった。
1971年12月20日、群馬県・榛名山中の「榛名ベース」において両派のメンバーが集合。しかし閉鎖され追い詰められつつあった状況、リーダー・森恒夫の独裁によって「総括」が始まる。「総括」本来の意味、次につなげる為の反省としてメンバーは仲間に対する批判、自己批判を繰り返すが、「総括」(反省)できているかの判断は完全に森の一存によって決められ、指導者メンバーを含めて誰も止められる者がいなかった為に次第にエスカレートしていった。
「総括」により「共産主義化された真の革命戦士となる」事を目指した結果、当初は作業から外されるなどの軽微な仕置きで済んでいた。しかし徐々に長時間の正座、絶食といった虐待的な行為が始まる。そして森がかつて学生時代に剣道の試合で気絶した際、目覚めたら生まれ変わったような気分になった、というエピソードを根拠に「気絶させて生まれ変わる」という名目で遂に暴力が振るわれるようになる。森はこの暴行はあくまで「総括」を援助する為に行っていると自己正当化していた。迂闊に脱走者を出さない為、メンバー全員で暴力を振るう事を強要された。なお、名目に反して気絶した者はひとりも出なかった。
「総括」の対象者は日を追って増え、遂に死者が出るまでになったが、森は「総括できなかった結果の『敗北死』である」として切り捨て、その後も死者が続出。弟が兄を、恋人が恋人を殺すという悲惨なケースも起きた。また「処刑」として「総括」抜きに殺害される例もあった。
森に一度目をつけられると、難癖をつけられて「総括」を要求される → どんなに反省の態度を見せても森が「総括」出来ていないと判断すれば縛られたり食事制限が課せられる → 「総括」の援助を名目にリンチ → 以下繰り返し…という構図が完成し、メンバー達は「縛られたら殺される」という恐怖心が植えつけられることになる。
例を挙げれば上記の通り、全て森の気分しだいで総括と暴行が行われている始末であった。幹部の中にも森のこうした「総括」には疑問を抱く者がおり、下位メンバーも同志をリーダーの命令で暴行する事には辟易していたが、逆らえば死が待っているために口にする者は誰もいなかった。
こうして29名中12名(うち1名が妊婦)が「総括」によって殺害され、残る17名は死体を隠蔽して逃亡。このうち5名が「あさま山荘事件」を起こすが、最終的には生き残った17名は全員逮捕された。
この凄惨な殺人事件、いわゆる「山岳ベース事件」は、「あさま山荘事件」の終結後、逮捕されたメンバーを取り調べている最中に発覚した。現場に向かった群馬県警機動隊は、供述通り地中に埋められていた遺体を次々と発見する。
身元を隠すために衣服を剥ぎ取られ、両手両足を縛られていた犠牲者は、人相の区別もつかない程顔面を殴られ、全身が赤黒く腫れ上がっていた。ちなみに当時の報道では死体の写真に対する規制は特になかった為、遺体のどアップが紙面に掲載されている。当たり前だが興味本位で探さないこと。
司法解剖の結果、犠牲者の大半の死因は凍死だった。ズタボロのまま屋外の木に縛り付けられて真冬の山中に放置され、苦痛のあまり自ら舌を噛み切った者もあり、妊娠8ヶ月だった妊婦は腹をかばうような姿勢で発見されている。変わり果てた我が子と霊安室で対面した母親は絶叫して泣き叫び、あまりに壮絶な惨状に、現場に慣れている筈の警察官も絶句したという。
機動隊員2名、民間人1名の犠牲を出した「あさま山荘事件」の後でも「彼らを追い詰めた警察が悪い」「1400人の警官相手に良くやった」などと連合赤軍のことを擁護・称賛していたマスゴミや自称知識人たちの面目はこれで丸つぶれとなったが、途端に彼らは手のひらを返して連合赤軍を叩き始めた。
ちなみに上記の腐れ発言を行ったのは、日本社会党の高津正道衆議院議員である。時代錯誤なアジテーションによって自らの首を絞めた高津は政治家生命を絶たれ、2年後に80歳で死去した。ザマァ。
この事件で「良かった探し」をするとしたら、この事件の発生と発覚のおかげで左翼の中でも過激派は大幅に勢力を減少させ、残った左翼も同士討ち(内ゲバ)にかまけた結果民間人に誤爆、世間の支持を決定的に失った事だろう。
こうして日本における左翼運動が完全に失速したのは、現在の視点から言えばリベラルにとっても幸いといえるかも知れない。
まったく皮肉な(そして僥倖な)ことに、日本での革命を目指した連合赤軍は自らの手で完膚なきまでに革命の芽を叩き潰したのである。
なお、この一連の惨事を引き起こしたリーダー・森恒夫は山岳ベース事件の途中で逮捕されたが、他メンバーに黙秘することを命令していたにも拘らず、当の本人は裁判所宛てに事件の全容を記した書類を提出していた。本人は「警察に出したわけではないから問題ない」と考えていたようだがはたから見れば完全な自供であり、それを知った他メンバーを大いに失望させる事になった。そして森は裁判が始まる直前に首吊り自殺するという身勝手な最期を遂げた。
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最終更新:2024/11/24(日) 07:00
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