208
181 ななしのよっしん
2024/01/27(土) 22:32:08 ID: g9xNXvpmQk
もう上村合戦って西上作戦の途中だったって話が通説になっているけどね
少なくとも2年前は完全に否定されている
182 ななしのよっしん
2024/01/28(日) 11:23:12 ID: qgijwBOPGd
>>181
その説だと、武田方の秋山虎繁は「1572年末に」上村合戦で大勝した後、ほどなく小田子合戦で織田方の明智光廉に敗れて信濃に兵を引く。
その一方で、秋山虎繁は1572年10月の西上作戦開始後、山県昌景とともに奥三河を侵攻し奥平氏や菅沼氏を取り込み、1573年2月には東美濃の遠山景任の未亡人、おつやの方と婚姻し岩村城の城代に収まった、という状況になるんだよな。
183 ななしのよっしん
2024/05/01(水) 11:12:00 ID: Otgu+P3XWr
1568年で三河一国(奥三河衆がまだ服属してなかった可能性あり)の家康と、尾張美濃近江の大大名で義昭政権の後ろ盾の信長が当時は対等の付き合いしてたなんて、信玄はじめ外から見た大名には分からなかったのだろうな
徳川織田の当主だけでなく家臣雑兵でさえ、上洛作戦の乱取りで殺しあうくらいだから上下の意識なんて無かっただろうが
その誤解のまま今川攻めを始めてしまい、途中で家康から抗議を受けると驚き慌てて秋山を下げて家康に詫びを入れ(信玄からすると先ず武田が誠意を示したのだから次は徳川の番と思っただろう)、しかし信長なら家康を制止できると思い込んだまま信長に仲裁を頼むすれ違い
家康は家康の都合で勝手に動いていて、当時の信長がどうこうできる相手ではなかった
184 ななしのよっしん
2024/05/01(水) 23:32:59 ID: qgijwBOPGd
>>183
織田はかつての今川のように嫁や子を人質にとったりしてない
信長からの偏諱もない
今川と縁がある築山殿と離縁させて、織田と繋がりがある嫁をあてがうこともない
当時の感覚からしても、これは対等な同盟関係としか見えない
これで信玄が信長と交渉して家康を大人しくさせるって、どうみても無理筋だわ
185 ななしのよっしん
2024/05/06(月) 00:19:36 ID: Otgu+P3XWr
>>184
どう見ても無理筋なのだが、信玄は今川攻めの下準備の段階で家康を信長に従う三河の国衆と見なしていた疑いがあり(手紙で徳川を織田の手先扱いしてる)、家康・信長から「メンドクサイ奴…」と思われたかもしれないな
まあ将軍の後ろ盾と言えばそれまでは細川大内三好といった超大物だったから、信長の地位向上で織田徳川の関係が変化したと信玄が早合点したのかもしれない
そもそも大名が娘を傘下の有力国衆に嫁に出すことも珍しいことではなかったし
三河衆にコネ作って調べるなろ織田によく確認しておけよという話ではあるが、取次の織田信広も林秀貞も都の仕事が入ってきて多忙になってたから、彼らから十分な情報を引き出せなかったのかもしれん
あるいは北条氏康に今川領分割を提案して拒否られたことでもう引き返せないし時間も無いと焦ったのかもしれないな
186 ななしのよっしん
2024/05/06(月) 00:24:32 ID: Otgu+P3XWr
あとこれは見落としがちだが、家康は三河平定の過程で織田家に従属する水野信元や織田家臣の佐久間信盛から多大な支援を受けた一方、当時の信長に対して家康は支援を行った形跡がなく、それが誤解を生んだのかもしれない
上洛作戦は足利義秋への奉公だしな
187 ななしのよっしん
2024/05/06(月) 17:53:23 ID: qgijwBOPGd
>>185
義信事件で武田家中がゴタついて、京都の三条家との関係も微妙になったろうし、外向きの情報収集が弱くなるのも致し方ないんだろうが・・・
188 ななしのよっしん
2024/05/13(月) 17:35:06 ID: 6yNezxcYKe
長年ぶつかりあった上杉と武田、信長と本願寺ですら何回か和睦してるのに武田・徳川間は全く休みなく10年も戦争してるし、家康の信長への信用の篤さも武田へのヘイトも物凄いよな
そんだけ領土問題で絶対に許せなかったともいえるし信玄側にとっても大身国衆クラス(高く見積もって水野よりちょっと偉いくらいの格?)の若造如きに詫び入れないといけない恥辱味わったし
今川義元辺りから信玄の愚痴聞かされてたんかレベルに全く信用してない(秋山虎繁の支援を受けて武田傘下に入ってた美濃遠山氏が菅沼と組んで三河の奥平氏攻撃と一応前科はある)
189 ななしのよっしん
2024/05/13(月) 22:37:38 ID: qgijwBOPGd
>>188
甲斐武田と徳川で、和平の誓紙を取り交わしたりはしてたんだけどね
結果だけみると全く和平とならず、単なる紙切れだった
徳川にしてみれば、甲斐武田が全然信用ならないことを再確認しただけ
190 ななしのよっしん
2024/05/26(日) 17:34:45 ID: vESepObY8E
家康は氏真許したり武田の許しなく好き勝手やって調子乗ってたからな
見事に三方ヶ原で倍返しされてけど
191 ななしのよっしん
2024/12/14(土) 22:22:05 ID: qgijwBOPGd
>>190
いや、甲斐武田は今川との同盟を裏切っといて何言っとんねんって話し
信玄の言動は、信長や家康を笑い殺すつもりだったとしか思えん
192 ななしのよっしん
2025/03/11(火) 21:59:21 ID: 78JYMWrV5v
>>191
甲斐武田が今川との同盟を破棄したのは事実だけど、一方的に裏切ったって言うのは違うんじゃない?
そもそも当時の同盟はお互い滅びるまで仲良くしようって言うような関係じゃなくて、お互いメリットを提示して共存共栄をしようって言う関係なんだよね
それで今川から武田に提供する重要なメリットの一つは、甲斐、信濃の南に接する駿河、遠江、三河を抑えて武田の防衛負担を減らすって所があるけど、今川は自身の失敗によってこのメリットの提供が困難になってる
つまり同盟維持に必要な行動を先に失敗したのは今川とも言えるんだよね
そもそも桶狭間で当主義元討死、徳川の独立阻止失敗、三河失陥、遠江不安定化、義信事件後の塩止め、嶺松院帰国要請と今川方の失態や行動も武田今川間の関係悪化に影響してるのに武田のみを一方的に裏切り者扱いするのはどうかと思うんだが
193 ななしのよっしん
2025/03/16(日) 22:12:38 ID: qgijwBOPGd
>>192
それって、信玄の中だけで通じる理屈だろうなあ
当時の感覚からして、婚姻外交ってそんな軽いもんじゃないし、むしろ甲斐武田は傾き掛けた駿河今川を支えるのが当然なんだよ(そしてゆくゆくは傀儡に)
婚姻同盟すら裏切る相手と、何をどうすりゃ信頼関係が築けるんだよって
家康だってそりゃ信玄のこと全く信用しないよね当然だねって話
194 ななしのよっしん
2025/03/18(火) 02:11:54 ID: 78JYMWrV5v
>>193
当時の婚姻外交はそこまで重いものではないよ
まず婚姻外交後に相手と敵対はそんなに珍しいものではないよ浅井、三好、斎藤、太田、水野、徳川、安芸武田、蘆名なんかが例かね。他にもたくさんいるけど
そしてそんなよくある婚姻同盟、友好化の破棄等で、誰からも信用されなくなったなんて事はないよ
実際武田信玄は駿河侵攻後も対後北条として佐竹と同盟したり、氏康没後に後北条と再同盟したりと普通に外交活動してるね
もちろん
195 ななしのよっしん
2025/03/18(火) 03:11:54 ID: 78JYMWrV5v
途中で送信してしまったので続きから
もちろん心から信頼されるなんて事はないだろうけど、基本戦国大名の同盟は利害関係と利益提供を本当に出来るかの信用で成り立つもので、別段信頼構築を求めるものではないよ
当然利害関係が崩れかけている中、武田が今川を絶対に助けないといけないなんて事はないよ
それと桶狭間(1560)〜駿河侵攻(1568)の情勢を考えるとそもそも武田が今川を支えるなんて事はかなり難しいよ
ましてゆくゆくは傀儡にとかはほぼ不可能と考えていいと思う
まず1560年以降上杉家(長尾家)の関東侵攻が始まり、これによってほぼ毎年武田は対上杉の活動を行っているんだよね(信濃北部や上野への進出、越中神保家の支援、本庄等の反乱支援等々)
そうやって実際に侵攻されてる後北条と協力してなんとか上杉に対抗してる状態で今川支援にどれだけ戦力を振り分けられるか
更に織田信長が1565年尾張統一、1567年稲葉山城攻略、1568年足利義昭と上洛と猛スピードで勢力拡大してきて情勢はますます悪くなっていく
そんな中、3国(甲斐、信濃、上野)支配の武田が2国支配の今川助けつつ傀儡化なんてのは無理だと思うよ
196 ななしのよっしん
2025/03/18(火) 08:08:54 ID: 78JYMWrV5v
>>184
家康の嫡男を忘れないであげて
あれは信長からの偏諱のはず
197 ななしのよっしん
2025/03/19(水) 08:37:42 ID: qgijwBOPGd
>>196
それで信長と家康で従属関係が出来たって説もあるけど
あくまで松平信康は次の世代で、両家が代替わりすると、織田信忠と松平信康は義兄弟で、まだまだ対等な関係といえる
織徳に明確に上下関係が出来たのは、1579年信康切腹事件の辺りでしょ
198 ななしのよっしん
2025/03/20(木) 09:50:47 ID: qgijwBOPGd
>>195
今川との婚姻同盟を切ることは、後北条との同盟も切ることになる。
史実だと、駿河侵攻で徳川・今川・後北条・越後上杉と、織田以外の全方位を敵に回して袋叩きにあった。そっちの方がむしろ無理すぎる。
後知恵だが、後北条と組んで今川に与力して、徳川を牽制する方がよほど安パイだったな。
199 ななしのよっしん
2025/03/23(日) 17:35:22 ID: 6yNezxcYKe
諏訪は同盟相手だった武田と村上の了承無しに独自に敵対中の山内上杉と和睦・領土分割協定したから・今川の場合は義信事件後に妹を返還したけど氏真が『北条にとっても不倶戴天の』上杉と連絡取ろうとした・織田は家康との和睦締結には尽力してないとみなした
って感じで武田視点では明らかに相手側が同盟違反という認識で家中も一定以上納得する形で切ってきてる
三国同盟決裂後に佐竹と同盟+椎名康胤や本庄繁長とも組みつつ小田原を小突いて駿河切り取り、信長と義昭の仲介で信玄・謙信間で和睦と、信玄の外交は切った後のリカバリーも上手いし狡猾
「こいつ(信玄)と組むor組み直すしか道は無いか…」って状況に追い込むのも上手いんよな(ただし家康は最初から最後まで佞人呼ばわりするくらい疑ってかかってる)。最期のアレは純粋に亡くなるタイミングが悪すぎた
信玄が本当に外交下手だったら河東合戦の今川・北条の和睦仲介もできてないと思う
200 ななしのよっしん
2025/04/25(金) 21:48:05 ID: qgijwBOPGd
>>199
>家中も一定以上納得する形で
そりゃま、納得しなかった奴に謀反の濡れ衣着せて、片っ端から粛正したからな
だが次世代を担う嫡男とそれに付き従う子飼い生え抜きを、その「一定以上」に含めなかったのは、最期まで尾を引いた
清華家の娘から生まれた子を幽閉自害させたのは、中央政界の印象は最悪だったろうな
そりゃ朝敵にもなるわ
201 ななしのよっしん
2025/04/29(火) 14:34:11 ID: 78JYMWrV5v
ID: qgijwBOPGdが武田家か武田信玄を嫌っているのはよく分かったが、だからといって根拠が曖昧な事を事実のように語るのはよくないと思う
例えば武田家の方針に納得しなかった為に粛清された家臣とは具体的に誰と誰と誰だろうか?
>>200では嫡男に従う子飼い生え抜きを粛清したように書いているが、まさか信虎時代から武田に仕えている、信玄から見ても義信から見ても、子飼いでも生え抜きでもない処断理由も諸説ありの飯富虎昌の事ではないだろうが誰の事だ
自害した時期的に義信派を疑われる穴山信嘉も状況証拠で疑われるだけで実際の派閥自害理由は不明なはずだが
嫡男義信の幽閉理由も信玄との方針対立説以外の説もあるが、そこを無視するのはどうかと思う
また武田が朝敵とされたのは勝頼時代だよ
しかも甲州征伐直前の時期だから、既に織田と武田の勢力差は決定的で、しかも中央で権勢を握ってる織田信長の働きかけで出されたものだから、義信事件の有無で朝敵化回避は多分無理だよ
あと粛清と粛正は意味が違うけど、文面的に粛清だろうから粛清として読んでるよ
202 ななしのよっしん
2025/04/30(水) 09:31:10 ID: 6yNezxcYKe
朝敵云々言ったら三条殿の父等朝廷のVIP何人も殺害した陶晴賢は朝敵どころか将軍家から栄典と偏諱(?)貰うVIP待遇だからな
義信事件は対斎藤の美濃周りの情勢を清算狙える信長との同盟による外交方針の変動で起きた貰い事故みたいなとこある(当初信玄自身今川とはことを起こす意志はそこまで無かった感じ…ではある)
代替わり徳政を狙ったのか他家と比べて未だに家督が継がれないことに鬱屈としたのか、当時史料は定かではないけど領土拡大によって西周りに気を配る余裕無くなったり、「信玄個人の生え抜き家臣の出現によるグループ形成」とか色んな状況が重なったんかな…?
事件直後当初は北条とは合同で上杉と当たって箕輪城とか東上野の軍事行動やってたりでまだ関係は保持されてたし、今川との破棄には割と納得な反応ではあった …早川殿が着の身着のまま徒歩で逃亡する様を聞いて氏康が激怒したけど…
203 ななしのよっしん
2025/04/30(水) 21:53:13 ID: g9xNXvpmQk
信玄アンチっていつもズレてるよな
あの時上杉にも囲まれたって言ってるけど実際は信長通して裏で和睦してて、実際北条は単独で武田と戦う状況に追い込まれてしまった。正直北条氏康氏政親子の外交と比べたら信玄の外交が何枚も上手
204 ななしのよっしん
2025/05/02(金) 23:03:49 ID: qgijwBOPGd
駿河侵攻をやったら後北条を敵に回しかねないって、子供でも分かるのに、ろくに手当てせず物の見事に後北条とも敵対
普通は戦火を拡大しないように働きかけるのに、自分から火達磨になりに行ってるのかと
信玄ってひょっとしなくても、目の前のことしか見えてない?
205 名無しさんお腹いっぱい
2025/11/11(火) 12:19:58 ID: BwDooTtq6I
甲斐の立地(生産力)を考えれば、確かに肥沃な土地に侵攻はわかるんだけど、駿河に侵攻すれば北条が黙ってない無いだろうし、家臣の反発や最悪周りが敵になるのは分かってたと思うんだけどな。
そこらが良く分からないんだよなあ
206 ななしのよっしん
2025/11/24(月) 11:54:05 ID: Otgu+P3XWr
駿河侵攻のずっと前から今川氏真とその周辺で武田への不信感が高まっていた疑いがある。というのも信玄が今川との盟約は必ず守るとわざわざ今川に伝えたことがあった
1560年代中頃には今川氏真が対徳川のための遠江投資で駿河に増税していて、それで一部の駿河衆が武田に何とかしてくれと頼んだ可能性がある
しかし氏真の武田に対する不信は桶狭間の翌年には始まっていて、信玄が義元に送った援軍が禄に戦わなかったのかも
更に遡ると三国同盟は今川が武田北条に救援されるより今川が武田北条を救援したことが多く、これが氏真時代も変わらない傾向だったため、氏真周辺がブチ切れた可能性もあるな
北条は対織田徳川で地理的に共闘不可で仕方ないが、武田はちゃんと援護に来いよという
もっとも信玄は毎年謙信と抗争していて北条からの出兵要請にも応えているから、実際は三河に出兵する余裕など無かったのだろうけど
それでも今川を救援する際の通路になる奥三河や天野家とは音信したので、これが氏真の疑念を招いた疑いもあるな
兵は出さないくせに今川傘下の国衆と連絡を取り合ってる→調略の下準備か? みたいな
207 ななしのよっしん
2025/11/24(月) 12:01:49 ID: Otgu+P3XWr
まあ天竜川の川運や木曽谷の材木を奥三河経由で販売するために奥三河や天野家と仲良くするのは当たり前ではあったが
穴山信嘉が義信事件と同時期に自害したが、もしかしたら彼は義信に加担したのではなく、そのずっと前から始まった今川の武田に対する不信で両家の板挟みになって自害したのかも
三国同盟は結果だけみれば武田だけ勢力拡大、北条は現状維持、今川だけ割を食ったし
208 ななしのよっしん
2025/11/24(月) 12:32:06 ID: Otgu+P3XWr
武田今川の関係では1564年の武田上杉の抗争が影響を与えた疑いもあって、先ずこの抗争全体の規模では北陸から中部地方に及んだ大規模な抗争の割に名前が付けられていないのだが、
結果として武田が勢力拡大した一方、美濃方面では信玄が信長に譲歩した上にこの後から武田織田の同盟交渉を始めていて、氏真と彼の側近から見たら疑念が確信に変わったとしてもおかしくない結果
背景には永禄の変による情勢激変があり、氏真も家康との和睦交渉を始めて締結はしたのだが、おそらく武田が織田に敗北した上織田にすり寄った結果を受けてのことだろう
この抗争で信玄は謙信に勝ち飛騨北陸の上杉勢力を切り崩して取り込む一方、尾張美濃方面では織田信清を見捨てる結果になった上、信長の勢力拡大で武田傘下の遠山家が信長に寝返りかねず(遠山諸家は信長の家と縁戚)、苦しい状況ではあった
どうも信玄は今川にも影響を及ぼす重大事案について、氏真に相談や事前通達することが無かったようだ
相談はしたが書状が後世に残らなかっただけかもしれないが
あるいは氏真に反対や妨害されないようほぼ決まったところで今川に伝えたのかも。それで穴山信嘉が駿府で針の筵だったのかもね
ほめた!
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ほめるの取消しに失敗しました。