ケーニヒスシュトゥール(Konigsstuhl)とは1976年生まれのドイツ産の競走馬。
現在に至るまで、独2000ギニー、ドイチェスダービー、独セントレジャーを独国三冠路線とするなら唯一の独国三冠達成馬である。また種牡馬としても成功し、大種牡馬Monsunの父となった。
名前はドイツ語で王者の椅子、つまり「玉座」である。stuhlは糞って意味もある。
なお、文字入力の関係上、ドイツ語のウムラウトは表記しない。
父Dschingis Khan、母Konigskronung、母父Tiepolettoという血統。読めん。
父「ジンギスカーン」は現役時代ドイツで走り、独2000ギニーなどを勝利した名マイラー。
種牡馬としてはドイチェスダービーを12馬身千切ったOrofinoなど、独リーディング2回。
母「ケーニヒスクレーヌング」は現役時代11勝を挙げたらしい。
名前は「王者の戴冠式」とかそんな意味、偉そう。
母父「タイポレット」はフランスの伝統ある2歳戦グランクリテリウムの優勝馬である。
因みにサイアーライン(父父父……)を遡ると、種付けが嫌いな上命中率も低かったのに種牡馬として大成功したBlandfordに行きつく。なお本馬が産まれた当時からBlandfordの系統は衰退傾向にあった。
あと、本馬の血統表を見て貰えば分かると思うが、両親の牝系(母母母……)には同じアルファベットから始まる名前ばっかりである。これはドイツのルールで、馬は母親と同じイニシャルから始めなければならないという規則があるためである。ちなみによそに持って行ったりしたら別。ビワハイジとか。
ちなみに5代母Katinkaはフランス生まれで、第二次世界大戦の時にフランス降伏後の競馬資源の接収によりドイツに移され、そこで土着牝系と化した。
本馬が1歳の時、生産者であるツォッペンブロイヒ牧場の代表者が死去。未亡人は管理が行き届かなくなる可能性があるということで本馬含む1歳馬を全て売ろうとしたが、手続きを任されたスフェン・フォン・ミッツラフ調教師が「この馬だけは売らない方が良い」と勧めたことで売却されず、牧場所有のまま同調教師の管理馬となった。
2歳の6月と早めのデビューを果たし、初戦は2着に敗れたが、2ヶ月空けて再戦すると勝利。
ここで2歳戦は終了。フォン・ミッツラフ調教師曰く「成長途上だし切り上げよ」とのこと。
3歳3月に実戦に戻ると、初戦2着の後2連勝を飾る。ここでヘンケルレネン※1(G2、当時の独2000ギニー)に挑むと後続に2馬身つける快勝を収める。こりゃ逸材誕生だ! と次にウニオンレネン(G2、ダービートライアル)に挑んだが、ここで馬生のライバルNebosと邂逅。ここでは直線壮絶な叩き合いに発展し、写真判定の結果ケーニヒスシュトゥールが勝利! と思いきや再判定の結果Nebos勝利に変更となった。
原因は装置の調整ミスであり、ドイツ競馬では前代未聞の公式着順訂正が大きな物議を醸したことは言うまでもない。
続くドイチェスダービー(G1)もNebosとの激闘となるが、今度はウニオンレネンの借りを返すかのようにアタマ差残して勝利を収める。これで晴れてG1ホース、ドイツ二冠馬となる。続くドイツ夏の風物詩アラルポカル(G1)も古馬混合戦ながらまたNebosとの一騎討ちとなり、今度は1馬身半差つけて勝利した。
続くドイツ最大のレース、バーデン大賞(G1)にドイツ総大将として挑むが、海外からの遠征馬(愛セントレジャー馬M-Lolshan)の2着に敗れる。次に独セントレジャー(G2)に三冠候補として挑む。
Nebos? 同時期開催のオイロパ賞(G1)行ってます(勝ちました)。ライバルが居ないこともあり、ドルトムントの2800mを悠々と勝利し、ここにドイツ初の三冠馬が誕生した。
え? 釈然としない? だって独セントレジャーの時期に国内外で大レースやってるもんだから有力馬とか距離が長いと思った連中はみんなそっち行ってるよ。菊花賞は全然ましな方。ドイツ競馬は今も昔も海外遠征に積極的である。だって海外遠征といっても基本地続きだし。
この年9戦6勝、2着3回、G12勝、G22勝でこの年の年度代表馬に選ばれた。
三冠獲ったし、選ばれないわけは無い。Nebosは古馬混合G12つ勝ってたけど3歳の軽斤量だったし。
堂々三冠馬になった彼だが、ここで優駿に課せられた義務としてハンデキャップ戦の斤量が増加。
ハンデキャップ出なけりゃ良いって? 日本だと大レースは悉く定量戦や馬齢戦なので実感が湧きにくいが、海外ではG1級競走でも普通にハンデキャップ競走がある。エクリプス賞設立前の米国では「最優秀ハンデ馬」もあった。
そのせいか初戦のゲルセンキルヘン市大賞(G3)は普通に勝ったが、2戦目のバーデン経済大賞(G2)で61.5kg(前走から+6.5kg)という斤量を課せられ、4着に敗れる。
実はここまで12戦完全連対(8勝、2着4回)で、初めて連を外した。
3戦目のデュッセルドルフ大賞(G2)では58kgを背負い2着。1着はライバルNebosである。
4戦目にベルギー開催の国際競走・プリンスローズ大賞へ出走。斤量62kg。1着Argument(53kg、3歳馬で後のワシントン国際S優勝馬)から10馬身以上離された5着に敗北。結局この年はここで切り上げた。
結局4歳時は4戦1勝。年度代表馬はベルリン大賞、バーデン大賞を優勝したNebosに与えられた。
Nebosは年度代表馬を手土産に引退したが、本馬は現役を続行し5月に復帰。
復帰初戦のゲルリンク賞を前年のアラルポカル優勝馬Wauthiの僅差2着に入り上々のスタートを切ると、続くデュッセルドルフ大賞、ハンザ大賞(G2)を連勝。因みにハンザ大賞は不良馬場で59.5kgを背負った中6馬身ぶっちぎった。
4戦目は夏の大一番ベルリン大賞(G1)。ここでは60.5kgを背負わされる事になり、3歳馬Lydian(53.5kg、前走ミラノ大賞を快勝)の前に1馬身半離された2着に敗れる。一応王者としての力は見せつけた。
アラルポカルやオイロパ賞には向かわずイタリアに遠征し、同地の秋の締めくくりであるジョッキークラブ大賞(G1)に向かう。因みにイタリアは1990年代まで競馬先進国で、国際競走も多数組まれていたが現在は財政難と杜撰な組織運営により見る影も無い。そうじゃなかったらデムーロは日本にいない。
話をケーニヒスシュトゥールに戻そう。当時のジョッキークラブ大賞はイタリアの最強馬決定戦にして当時の名物国際競走(今の香港ヴァーズに近い)であった事から、重賞馬が複数参戦。このレースでは斤量は58.5kgあったが、全く意に介せず5馬身突き放して快勝。これを手土産に引退した。
この年5戦3勝、2着2回。ドイツ産馬としてジョッキークラブ大賞初優勝を収めた。
年度代表馬はドイチェスダービーを12馬身千切った二冠馬、Orofinoが選出された。
通算成績20戦11勝、2着7回。連を外したのは何れもトップハンデを背負った競走であり、重馬場でも成績は特に落ちていない。G1勝利はドイチェスダービー、アラルポカル、ジョッキークラブ大賞の3つ、重賞はG1含めて8勝を挙げ、安定感ある成績を残している。4歳時に満足に行かなかったのが痛かった。
あと、ここまでレースの距離を書いてなかったが、2歳戦を除けば敗北したレースは全て2200以下のレースで、逆に2400以上だと完全連対している。
本馬に続けとばかりに三冠路線へ挑む馬は……独2000ギニーとドイチェスダービー連勝できる馬がいたらバーデン大賞とか海外の国際競走目指すよなあそりゃ。独セントレジャーはG3に落ちた上古馬に解放されたから三歳三冠路線は今んとこ無いし復活も多分無い。二冠馬自体はそこそこいる。というか2000ギニー→ダービー→セントレジャーのヨーロピアンな3歳三冠路線の権威が残ってる日本が異常。
閑話休題、ケーニヒスシュトゥールは1982年から種牡馬入りし、こっちでも三冠馬の名に恥じない活躍を見せた。
その中でも代表産駒がオイロパ賞連覇、アラルポカル優勝馬のMonsunである。この馬は競走馬としても活躍したが、種牡馬入りするとドイツ初の世界的大種牡馬へと変貌。どんくらいかと言えば、絶滅寸前だったブランドフォード系が一気に盛り返した。
他にもドイツを中心に活躍馬を多数輩出し、1988・1994・1996年のドイツリーディングサイアーに輝いた。産駒は仕上がりが早く、ドイチェスダービー優勝馬2頭を輩出した。
1995年に疝痛を原因として19歳で死去。死の翌年にMonsunが種牡馬入りしてスーパー大活躍を見せたことだし、父系母系問わずケーニヒスシュトゥールの血は世界中へと拡散している。戦時中戦後と長く系統を繋げてきたドイツだし、多分大事にしてくれるだろう。
因みに現役時のライバルだったNebosも種牡馬として活躍し、ドイチェスダービー優勝馬をこちらも2頭出し、父の無念を晴らしている。こちらは1999年に23歳で亡くなり、日本に種牡馬として輸入されたMonsun産駒・*ノヴェリストの母母母父としてひょっこり顔を出している。
同期のライバル同士が血統表の端と端でにらみ合ってるのを見ると、競馬の浪漫を感じさせる。
| Dschingis Khan 1961 鹿毛 |
Tamerlane 1952 黒鹿毛 |
Persian Gulf | Bahram |
| Double Life | |||
| Eastern Empress | Nearco | ||
| Cheveley Lady | |||
| Donna Diana 1956 黒鹿毛 |
Neckar | Ticino | |
| Nixe | |||
| Donatella | Allgau | ||
| Blaue Donau | |||
| Konigskronung 1965 黒鹿毛 FNo.5-h |
Tiepoletto 1956 黒鹿毛 |
Tornado | Tourbillon |
| Roseola | |||
| Scarlet Skies | Blue Skies | ||
| Scarlet Quill | |||
| Kronung 1957 黒鹿毛 |
Olymp | Arjaman | |
| Olympiade | |||
| Kaiserkrone | Nebelwerfer | ||
| Kaiserwurde | |||
| 競走馬の4代血統表 | |||
クロス:Arjaman 5×4(9.38%)、Blandford 5×5(6.25%)
掲示板
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最終更新:2025/12/26(金) 04:00
最終更新:2025/12/26(金) 03:00
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