うちが夕雲型駆逐艦、その十八番艦「秋霜」よ。
秋霜烈日、そんな言葉のような厳しい戦局を駆け抜けたの。
うちのことも覚えておいてね。忘れないでね。
艦隊これくしょん~艦これ~における「秋霜」は、2019年末発売の「艦これ公式カレンダー2020」の3月[1]のページにて掲載された新艦娘であり、史実での進水日にあたる12月5日にビジュアルが初公開された。紹介文に「再編された新編第二駆逐隊」とあり、同ページ(紹介画像)には既存艦娘の「朝霜改二」「早霜」「清霜」がいたため、早速この新艦娘が「秋霜」と特定された模様。(参考:↓tweet)
ブラウザ版ゲームでは、2019年秋イベント「進撃!第二次作戦「南方作戦」」第5海域第2戦力ボスのドロップ艦として実装された。彼女の実装で夕雲型姉妹は総勢14人となり、彼女が史実で属した「第二駆逐隊」は、第十駆逐隊に次いで【2世代の駆逐隊が全艦揃う駆逐隊】となった。
また、過去イベントのモチーフとなった「レイテ沖海戦」に参戦した【栗田艦隊】所属艦も、秋霜の実装により全艦が揃ったことになる。
艦名が似てる艦は冒頭に掲げたよう多数いるが、初期からいる初霜を除きそれなりのレア艦ではある。が、近代化改修や母港圧迫による除籍操作時にはくれぐれもご注意願いたい。
キャラクターとしては、清霜とは別ベクトルで元気系。掲示板でも指摘されているように、『クールな見た目に、喋れば鬼怒』。口調は若干関西風。(ただ、中の人は別に関西出身ではなさそうなので、コテコテの関西弁という訳ではない。)
水無月同様、僚艦を「ながなが姉」(この場合、長月ではなく長波)、「あさあさ」(史実では秋霜大破着底後に第二駆逐隊に編入した朝霜)「はやはや」(当然ながら早波ではなく早霜)、「きよきよ」(清霜)と呼んでいる。
母港ボイスでは、朝霜が秋霜にイタズラをしかけてくるという勘違いをしてくれるところをみると、ここでも朝霜は普段からやんちゃしてるという認識を受けている。
また、改(Lv.30で改装可能。岸波、朝霜以外の夕雲型で共通。)になると時報がつくが、これによると、早霜の料理の腕前は間宮と比類するレベルとのこと。(おだててるだけかもしれないが、上手であることはこのセリフからも伺える。何気に早霜の株が上がっている気が。)
なお、「新編第二駆逐隊」(夕雲型による戦中2代目の第二駆逐隊。駆逐隊制度開設から言えば5代目)所属艦娘で「第二駆逐隊」を自称するのは彼女のみである。ただ、その言い方も「新編2駆」(図鑑・時報)「夕雲型第二駆逐隊」(19年秋イベ友軍艦隊)「第二駆逐隊」(出撃)と様々。艦これで第二駆逐隊といえば白露型の「村雨・夕立・春雨・五月雨」がおなじみだが、秋霜らの第二駆逐隊は白露型2駆が解散された翌年に編成された戦中2代目となる第二駆逐隊であるため、その差別化が図られた結果と思われる。(余談ながら、5年半前に実装された僚艦「早霜」「清霜」は所属駆逐隊を一切名乗っていない。このことも、秋霜の実装が遅くなった一つの要因かもしれない。)
被弾・入渠時にやたら頭が痛いと訴えるが、史実での第4次多号作戦で1番砲塔から前の艦首を失ったことを受けてのセリフであろうと思われる。
ちなみに、秋霜が図鑑で言っている「秋霜烈日」とは、辞典によると「秋の冷たい霜や夏の激しい日差しのような気候の厳しさのことで、刑罰・権威などが極めてきびしく、また厳かであることのたとえ。」とのことで、現代では検察官の徽章の意匠を示す四字熟語として用いられる語である。本人のキャラクターを踏まえると、単に自分の名前の連想から来る難しい用語を使いたかっただけの感じが強い。まあ、あくまで駆逐艦「秋霜」が世にあった時期が「秋霜烈日」の日々だったという意味で用いられている訳ではあるし…
ということは、ウザガヤ系な仮面を被りながら、一方でマジメな面を持つ子…なのかも知れない。夕方には自分が最期に戦った多号作戦に思いを馳せたりもするし…。ま、お調子者90%な子ですけどね。
2020年2月7日アップデートでバレンタイン差分グラとバレンタインボイスが実装された。
4本のラッピングされた艤装サイズのチョコレートを持っているが、実寸サイズの55cm魚雷チョコを抱える神風に驚いている様子である。
2024年元旦オンラインメンテにて艦娘【晴着】modeが実装された。夕雲型からは風雲(2020年正月)に続き2人目の実装となる。(運営X通知)
秋霜は夕雲型であるにも関わらず、綾波型「曙」に言及する。「ぼのぼの」呼びは提督間ではよく用いられている呼び方ではあるが、公式で「ぼのぼの」と呼ぶ事例はこれが初だった。(後に曙改二が実装された際の第七駆逐隊各艦の期間限定ボイスで朧・漣も「ぼのぼの」呼びをした。)
曙との関わりは、艦歴末期の多号作戦(1944年11月5日のマニラ湾空襲で損傷した曙の代理として第4次多号作戦に加わった。)と戦没時にマニラ湾カヴィテ港で並んで係留されていたため、空襲で共に斃れた仲であったことが特筆される。
また、両艦とも駆逐艦建造で西の雄とされる藤永田造船所で建造され、配属された鎮守府(艦籍)も同じ横須賀鎮守府であった。
レイテ沖海戦や秋に戦没した艦娘の多くが「秋は嫌」「物悲しい」等の期間限定ボイスを語っているが、この2人は秋刀魚漁と秋刀魚料理の提供に忙しい曙と表題の通りの秋霜という状態であり、秋に戦没した艦としては珍しい存在でもある。
一等駆逐艦、夕雲型「秋霜」は、姉妹艦「朝霜」就役直後の1943年12月5日、藤永田造船所にて進水し、翌44年3月11日に竣工。直ちに第十一水雷戦隊に編入され瀬戸内海に回航、訓練に従事した。
艤装員長で初代艦長の平山敏夫少佐(前任は同じ藤永田造船所で建造され前年同地で修理を受けていた吹雪型「白雲」駆逐艦長。)はこの時姉の「早霜」駆逐艦長に転任し(早霜戦没後「涼月」駆逐艦長となり、坊ノ岬沖海戦に臨み生還)、後任には同年2月に戦没した「海風」駆逐艦長の中尾小太郎少佐が着任している。
5月10日、姉の早霜、第六駆逐隊の響・電と共に第一機動艦隊に編入されタウイタウイに向かう。響らと補給部隊に配属された。この時、浜風・白露・時雨らと行動している。(彼女が実装された2019年秋イベントE-5のモデルとなった作戦でもある。)渾作戦やマリアナ沖海戦に補給部隊護衛艦として参加。
8月15日、早霜・秋霜・清霜の3隻で第二水雷戦隊隷下に第二駆逐隊として編成された。
レイテ沖海戦では、第二駆逐隊は清霜が第一遊撃部隊第二部隊、第十戦隊隷下の第3隊(臨時編成で、第四駆逐隊「野分」とペアを組む)となった他は第一遊撃部隊第一部隊、第二水雷戦隊隷下の隊の一員として参戦した。秋霜は「浜波」と共に落伍した「能代」乗員を移乗させ救出した。(司令部は浜波に移乗し同艦を臨時旗艦とした。)
レイテを生き残った秋霜は多号作戦に投入された。第4次多号作戦(指揮官:木村昌福第一水雷戦隊司令官。霞(旗艦)・秋霜・潮・朝霜・長波・若月が警戒隊、占守他海防艦4隻が護衛部隊として参加)に参戦中に損傷を受け、潮に護衛されながらマニラに先発して退却。残余の艦が作戦を終え退却中に第3次多号作戦警戒部隊とすれ違った際、事前の打ち合わせ通りに長波・朝霜・若月が再びオルモックに向かうべく第3次多号作戦警戒部隊に加わった。(これが、冒頭にある「歴戦のながなが姉も還って来なかった」の指し示す史実と思われる。)
マニラ湾で修理を受けるべくカヴィテ港に、11月5日の空襲で損傷した曙と並んで係留されたが、11月13日のマニラ湾空襲で木曾・初春・曙・沖波と共に大破着底。(秋霜への直撃弾が火薬庫に引火し、隣りにいた曙共々の大破着底となった。)1945年1月10日に除籍された。
戦後、戦時賠償事業として日本から派遣された業者(播磨造船所。旧呉工廠の施設を継承した。)により現地で浮揚解体を受けた。
2019年秋イベント【進撃!第二次作戦「南方作戦」】新規実装艦娘 | ||
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最終更新:2024/11/28(木) 14:00
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