第二一駆逐隊 単語

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第二一駆逐隊(だいにじゅういちくちくたい)とは、

  1. 大日本帝国海軍における駆逐隊の一つである。第2代末期編成を除き佐世保鎮守府所属艦により編成。
    1. 初代。21駆としては1918年4月1日1932年4月1日
      駆逐艦()樺駆逐艦(樺・)による第17駆逐隊(初代)の称による編成。
      第一艦隊第一水雷戦隊(旗艦:音羽、出雲)のち第二艦隊第二水雷戦隊(旗艦:吾妻)
    2. 二代。1933年9月30日1945年5月10日
      初春型駆逐艦(初春子日若葉初霜)により編成。第一艦隊第一水雷戦隊(旗艦:阿武隈川内阿武隈)
      44年11月15日白露型時雨」編入。11月20日、第二艦隊第二水雷戦隊編入(旗艦:矢矧初霜)。45年2月10日夕雲型朝霜」編入。同3月10日満潮」編入。同5月解散。
      → 第21駆逐隊(第2代) 記事参照
  2. 1.の第2代を元にしたブラウザゲーム艦隊これくしょん~艦これ~」におけるキャラクター(艦娘)グループの1つ。
    本隊に属した艦娘初春」「子日」「若葉」「初霜」「時雨」「朝霜」「」(臨時編入で「薄」「島風」)のうち、初期所属の4人(太字)をす。
  3. (2.の生1)同駆逐隊昭和19年11月15日現在の編成。第一水雷戦隊(同年11月20日一水戦解散に伴い第二水雷戦隊)所属の「初霜」「時雨」のグループ名。隊として所属艦が共に行動する機会はなく昭和20年1月24日、「時雨」がヒ87団護衛中潜による撃により戦。(→「第二一駆逐隊(後期)」
  4. (2.の生2)同駆逐隊昭和20年3月10日現在の編成。同年4月坊ノ岬沖海戦戦艦大和に随伴した編成で「初霜」「朝霜」「」のグループ名。(→「第二一駆逐隊(最終)」)

第2代「第21駆逐隊」概要

第二一駆逐隊(「第二一駆逐隊」が正式ではあるが、縦書きである海軍報では誤読を避けるためか「第二十一駆逐隊」と表記されていたりと、表記には揺れがある。ニコニコ動画内では後者のほうがタグが多いようである。exit_nicovideo)は、帝国海軍において佐世保鎮守府[1]に所属した駆逐隊の一つで、特に大東亜戦争において、初春型駆逐艦初春」「子日」「若葉」「初霜」によって結成された。(開戦時「第一艦隊第一水雷戦隊第21駆逐隊」のち、第一水雷戦隊は第五艦隊に異動。また、第21駆逐隊昭和19年1月8月の期間聯合艦隊直属となっている)。

初春型駆逐艦がその特型駆逐艦以上の”詰め込み”による復元性不良正工事による性低下により6隻しか建造されなかったこともあり、初期編成が初春型駆逐艦のみで構成された一の駆逐隊である。残る2艦(有明・夕暮)は次級白露型との混成部隊となっている。(第九駆逐隊、のちに第二七駆逐隊)

大戦中、一時的に連合艦隊附属となる以外一貫して一水戦(第一水雷戦隊)の所属であり、一水戦解隊まで所属し続けた。(初期所属艦のうち一水戦解散時まで健在したのは「初霜」のみ。)多号作戦による第二水雷戦隊の壊滅による再編成で一水戦第十戦隊を解体して再編成された最終二戦にも所属。あの菊水作戦(坊ノ岬沖海戦)にも参戦した数少ない歴戦の駆逐隊である。昭和20年5月解隊。

初霜を除く初春型駆逐艦が全艦喪失した昭和19年末以降、再編によって姉妹艦を失った「時雨」(白露型)や「朝霜」(夕雲型)「」(朝潮型。戦定により満潮)も所属した。(同様に広義吹雪型最期の生存艦(潮・)によって第七駆逐隊が維持されていた。マニラ襲以降坊ノ岬沖海戦直前まで「」は同隊に所属している。)

主な戦歴

色付きは期間限定域(イベント)史実艦
色付きは通常域史実艦
色付きは遠征任務(のモチーフ)史実艦

ケンダリー攻略戦

第一根拠地隊 旗艦 長良
 ※衝突事故により初霜が旗艦代行

バリ島攻略作戦(19秋E-1)

第一根拠地隊 旗艦 長良

※その後、第五艦隊揮下。
子日が42.7.5トラトン撃により戦、42.10.1初春が大破修理。(43. 原隊復帰)

アッツ島沖海戦

第五艦隊 旗艦 那智 / 摩耶 多摩 木曾 / 薄

キスカ島撤退作戦(3-2)

キスカ組

第五艦隊 旗艦(代行) 多摩 ※第二次に随行

マリアナ沖海戦(補給部隊)

レイテ沖海戦(別動輸送部隊)(17秋E-3)

第二次多号作戦

第三次多号作戦

ニラ襲(44.11.13・20菱餅)にて初春

44.11.15 時雨編入
(この時点で若葉除籍)
(45.1.10 初春除籍)

ヒ87船団(編成は門司出港時)

45.2.10 朝霜編入

北号作戦

完部隊

45.3.10 時雨除籍・編入

坊ノ岬沖海戦(19春E-2)

坊ノ岬組

「艦隊これくしょん~艦これ~」における概要


初期編成(初春子日若葉初霜)

最終編成(初霜朝霜)

ゲームおよび二次創作において特に断りのない場合初期の4隻をす場合が多い。艦2隻が未実装のため、初期21駆と「初春型姉妹」が現状では同一視されることもある。

ゲームにおいて、史実を反映して同一艦でありながら絵師が異なることもあり、当初は編成・出撃任務もなく、あまり人気もなかった。その史実が知られるようになってから徐々に人気も上昇。2014年に「初春改二実装と編成・出撃任務の実装、翌2015年1月に「初霜改二実装イベントで最後に所属した「朝霜実装で所属した全ての艦娘った。(軍隊区分(臨時編入)の「薄雲」(吹雪型駆逐艦)も20年6月実装。)
更に2016年1月に「霞改二」・「霞改二」が実装され最終21駆全員が「坊ノ岬組仕様った。
2019年10月に「朝霜改二」が実装され、2013年11月実装されていた「時雨改二」を含め末期21駆全艦の改二実装が実現した。

艦これアーケード」では、ブラウザ版初期実装組の中で最後となる2017年1月アップデートで実装exit_nicovideo「中の人」も本件について呟いているexit
なお、時雨サービス開始時より実装時雨改二は17年8月朝霜は18年11月実装

編入された艦娘のうち、駆逐艦で3番めの13年11月に「時雨」に改二実装
時雨初霜姉妹艦を喪失した44年11月に21駆に編入したが修理や故障もあり初霜と合流することなく45年1月に戦した。

45年2月時雨の代艦として編入したのが姉妹艦を喪失した「朝霜」。同年3月第七駆逐隊より編入したのが16年1月改二実装された「」である。

坊ノ岬沖海戦に参戦した初霜」「朝霜」「で『第二一駆逐隊(最終)タグも存在する。
は44年10月、損傷した一水戦旗艦阿武隈から木村昌福少将部が移乗し旗艦を継承。のち、一水戦部ごと二戦に異動(同時に一水戦も解散、二戦に編入している)。
45年1月に二官は木村少将から古啓蔵少将に代わるが北号作戦で本土に戻るまで概ねが二戦旗艦であった。(その際、一時的に朝霜も旗艦を務めた。)
より旗艦を継承した矢矧(元第十戦隊旗艦。再編後二戦旗艦となるべく定されていたが旧一水戦部が南西方面で行動中、既に本土に帰還し修理や訓練を行っていた)が坊ノ岬沖海戦で喪失した際、古官を救出した初霜が二戦旗艦を継承。二戦解散式は初霜艦上で挙行された。
なお、「初霜改二」「霞改二」「朝霜」は”坊ノ岬沖海戦参戦組”共通の鉢巻・アシメトリー実装である。(但し、「朝霜改二」は若干その傾向が薄れている。詳しくは「第二一駆逐隊(最終)」記事参照。)

本駆逐隊所属艦娘が関係する「任務(クエスト)」

※再編後メンバー(時雨朝霜)単体に関するクエスト説明は原隊に移動しました。

時雨第二七駆逐隊 朝霜第三一駆逐隊 第十八駆逐隊

※「島風」→「第一水雷戦隊」再突入編成・出撃も

所属艦娘

紹介順は、初春子日若葉初霜は計画番号順。時雨朝霜は編入順。
軍隊区分の薄島風に関する説明はこの節では紹介しない。

新規編成時所属艦

初春型1番艦 初春(はつはる)
在籍:1933.9.30-1945.1.10 (1944.11.13 マニラ湾空襲により戦没)


「わらわが初春じゃ。よろしく頼みますぞ」

初春型駆逐艦1番艦。古な口調と史実を反映したトップヘビーな外見と古な言葉遣いが特徴。一時的に一水戦旗艦も務めた。艦これでは14年改二実装。18年1月時報実装

1933年9月30日、佐世保海軍にて工。
に代わる艦隊決戦駆逐艦として作られた条約駆逐艦。特より小1400t級の体に特とほぼ同数の魚雷を配備した。しかし試試験の際に大幅に傾斜し、転覆寸前となる事態が起き、さらに工直後に友鶴事件が起きた。その結果、兵装を一部撤去、構造物の変更などを行い、復元性は善されたものの速火力が低下してしまい、艦隊決戦には向かない駆逐艦となってしまった。

太平洋戦争開始時は性不足の懸念から内地でのを第二一駆逐隊ともども行っている。その後は団護衛で南方に進出。インドネシア方面攻略部隊へ編入されるが旗艦の長良と衝突し一時入渠。AL作戦でのアッツ島攻略後は北方団護衛することになるが敵機の攻撃を受け、キスカ島撤退作戦終了後まで入渠する。
修理後は若葉南方での団護衛に従事した。レイテ沖海戦後、多号作戦でオルモック湾突入に二度成功しマニラに帰投する。しかし、 1944年11月13日ニラ湾に停泊中、機動部隊襲により被弾。大炎上を起こし、鎮火不能となり初春は戦する。

詳しくは→初春(艦これ)

初春型2番艦 子日(ねのひ)
在籍:1933.9.30-1942.7.31 (1942.7.5 米潜雷撃により戦没)

今日は何の日?ネノヒダヨー」

初春型駆逐艦2番艦。名前が持ちネタの明るい艦娘

1933年9月30日浦賀船渠にて工。
初春と同じ日に工。子日工後兵装や構造物の変更が行われた。
 
 太平洋戦争開始時は内地でのを行っている。その後南方作戦に従事した。その後のAL作戦アッツ島攻略支援攻略後は北方活動を行っていたが、1942年7月5日潜水艦トラトン」により撃沈された。乗員は電に救出されている。初春型、第二一駆逐隊最初の喪失艦となってしまった。

詳しくは→子日(艦これ)

初春型3番艦 若葉(わかば)
在籍:1934.10.31-1944.12.10 (1944.10.26 輸送作戦中に空襲により戦没)

「痛いぞ!‥だが、悪くない。」

初春型駆逐艦3番艦。

1934年10月31日佐世保海軍にて工。
初春子日で見つかった欠陥から起工中に初霜ともども設計変更された。その結果工期の遅れから手直し工程の少なかった初霜のほうが先に工。どちらがか…。艦これでは絵師が違うことで判別ができる。

太平洋戦争では大部分の期間第二一駆逐隊駆逐艦として行動する(精鋭21駆編成任務達成ボイス駆逐艦であることを述べている。)。AL作戦後でのキスカ島撤退作戦初霜長波に挟まれる形で衝突。ひどく損傷し、単独で帰投する。(その際、駆逐艦は臨時に島風が引き受けている。)
初春とともに南洋方面の輸送任務に従事。レイテ沖海戦でマニラへの輸送作戦に成功。そのまま志摩艦隊に合流するためレイテ沖海戦へ向かう途中に襲に遭遇し、1944年10月24日沈没する。 

詳しくは→若葉(艦これ)

初春型4番艦 初霜(はつしも)
在籍:1934.9.27-1945.9.30(1945.4.20 17駆に転出、7.30 空襲により戦没)

「私が、護ります!」

初春型駆逐艦4番艦。

1934年9月27日浦賀船渠にて工。
起工は若葉のほうがかったものの、設計変更のから起工が遅れていた初霜が先に工する形となる。進水式の時に支柱を壊すという事故を起こし、前途が懸念された。艦これでは15年1月改二実装。18年2月時報実装

 太平洋戦争序盤は第二一駆逐隊とともに近南方作戦に従事する。北方作戦緒戦に子日を喪失、初春も損傷し21駆はしばらく若葉との2隻体制で行動する。キスカ島撤退作戦では長波若葉と衝突事故を起こすが、作戦自体は成功に終わる。44年初頭21駆は聯合艦隊附属に異動。初霜雪風能代らと南方団護衛に従事した。その際31駆(沖波朝霜ら)の支援も行う。
 マリアナ沖海戦には補給部隊に部署。その後21駆は一水戦に復帰。レイテ沖海戦では21駆は那智戦隊から分され台湾からマニラへの団護衛に従事。初春若葉とともに志摩艦隊へ合流するためにレイテへ向かうも、艦載機襲に遭い若葉が戦。自身も爆弾が直撃する。初春とともに若葉の救助を行い、レイテ突入を断念しマニラへ帰投する。
 その後第2次多号作戦に成功し第5次作戦に備えていたが、マニラ湾停泊中に襲に遭い初春を失う。この時点で初春型初霜のみとなり(喪失した初春より駆逐艦を継承。作戦朝霜に継承。)21駆に時雨を編入する(最期まで別行動となり、共に活動する機会はなかった)。
 第一水雷戦隊は解隊され、第二水雷戦隊に編入される。と共に榛名の護衛や妙高の護衛を務めるが、妙高護衛中に礼号作戦参加のためが分離したため初霜礼号作戦に参加できなかった。
 翌45年2月シンガポールから本土への強行輸送作戦(北号作戦)に参加。伊勢日向大淀初霜朝霜の6隻全艦失うことなく帰投する。21駆は2月朝霜3月を加える。そして大和特攻作戦坊ノ岬沖海戦に参加する。初霜傷で生還するも、朝霜沈没により第二一駆逐隊は解隊。初霜雪風を残すのみとなった第十七駆逐隊に編入される。1945年7月30日宮津襲で対戦闘中に接触。大破着底状態に陥り終戦を迎える。戦後にて浮揚解体。

詳しくは→初霜(艦これ) ゆきしも (=末期第十七駆逐隊北号作戦(艦これ) 坊ノ岬組(艦これ)

再編時編入艦

白露型2番艦 時雨(しぐれ)
在籍:1944.11.15(編入)-1945.3.10 (1945.1.24 輸送作戦中に戦没)

は、いつか止むさ。」

白露型駆逐艦2番艦。第27駆逐隊西村艦隊、そして白露型駆逐艦で最後まで活躍した歴戦の駆逐艦。本隊に関わる艦娘で最初に改二実装された艦娘でもある。子日初霜と同じ浦賀船渠にて建造。

時雨が編入された時点で初霜時雨とも同艦はなかったが、初期27駆が初春型白露型混成であったこともあり、準同艦での編成を意図したものだろう。

第21駆逐隊に編入された時点で時雨修理のためマニラ襲を避け帰し佐世保にて修理了後、「雲龍」輸送任務に従事。「雲龍」を潜の撃により喪失、さらにが故障し佐世保に帰投。(この輸送作戦が成功していたら、「初霜時雨」の21駆が実現していたかもしれない。恐らく「礼号作戦」艦隊に組み込まれたものと思われる。)その後、「ヒ87団」上護衛任務[2]中に敵潜水艦によって沈没した。結果として東南アジア方面で作戦行動中の初霜と同じ駆逐隊として行動する機会は得られなかった。

全くの余談だが、「初霜」「時雨」はいずれも10月を意味するである。共に行動することのなかった2人だが、何かしらの縁はあると信じたい。

詳しくは→時雨(艦これ) 第二七駆逐隊 西村艦隊 白露型姉妹

夕雲型16番艦 朝霜(あさしも)
在籍:1945.2.10(編入)-1945.5.10 (1945.4.7 坊ノ岬沖海戦にて戦没)

「あたいかい? でーるよ!」
「第二一駆逐隊朝霜!でるよ!初霜!ついて来な!」

夕雲型駆逐艦16番艦。横須賀鎮守府所属。艦これでは2015年イベント実装された。艦これ実装済みの僚艦では31駆では長波沖波と、2駆で清霜行動を共にする。

2015年12月8日アップデートにて、ついに朝霜を含む編成クエスト実装された。最難関4-5かイベントでの入手しか方法のない朝霜や2駆僚艦の清霜、1-6とイベントでしか邂逅性のない大淀など、レア艦編成任務に阿鼻叫喚・・・かもしれない。(新「礼号艦隊」編成・出撃任務。他必須;足柄)2016年イベント舞台が「礼号作戦」と発表され、前回15年イベントコロンバンガラ島沖海戦」時と同様ルート固定要員として注され、非保有者からは恐怖の対とされている…かもしれない。

編入前の21駆との関わりで言えば初霜とは輸送における支援要請時(雪風初霜)と多号作戦(第3/4次で初春合流・交代)から行動を共にする機会があった。(マニラ撤退、北号作戦など。)

第3次多号作戦長波を二戦旗艦島風共々失う。控えていた沖波もマニラ襲で戦。2駆に編入され礼号作戦に参加する。揮の下作戦は成功するも清霜を失う。

2駆壊滅の時点で隊を成すべき姉妹はなく北号作戦実行直前に21駆に編入。北号作戦で内地に帰還。
帰還後の人事異動で着任した小(前伊勢副長)が駆逐艦として朝霜を選んだことにより21駆最後の駆逐艦となる。

当初坊ノ岬沖海戦に参戦の予定はなく、機関整備を後回しにしたが急遽参戦が決定。21駆駆逐艦として坊ノ岬沖海戦に参戦するが機関故障により隊列から落。敵艦載機に単艦で応戦するも撃墜された。周囲に味方艦もなく全員戦死。夕雲型駆逐艦最後の艦である。

2019年10月25日改二実装。出撃ボイス更新され、坊ノ岬沖海戦における当駆逐隊駆逐艦として相応しいものになっている(タイトル部の下側)。

詳しくは→朝霜(艦これ) 第三一駆逐隊 第二駆逐隊 夕雲型姉妹 礼号組(艦これ)  北号作戦(艦これ)  坊ノ岬組(艦これ)

朝潮型10番艦 霞(かすみ)
在籍:1945.3.10(編入)-1945.5.10 (1945.4.7 坊ノ岬沖海戦にて自沈処理)

、出るわ。見てらんないったら!」

朝潮型駆逐艦10番艦。呉鎮守府所属。第18駆逐隊、そして朝潮型駆逐艦で最後まで活躍した歴戦の駆逐艦

艦これ編成任務では「初期18駆」、「末期一水戦」、「礼号旗艦」(2種類)の編成上必須艦である。出撃も含めれば7つの「任務」に関わる。それだけ歴戦の艦であったと言える。16年1月ポスト軍縮条約駆逐艦として初の改二実装され、新たに2つの「任務」が追加された。これにより、任務数トップを一時明け渡した「」に並んだ。
上記「朝霜」同様、2016年イベント礼号作戦」のとなる一人である。「朝潮」「清霜」「大淀」にべ入手は簡単ではあるが「改二(Lv75)」「改二(LV88)」を視野に入れると育成に非常に手間がかかるかもしれない。

戦18駆に編成され、開戦時一水戦に出向。空母随伴戦隊として南雲機動部隊の快進撃を支える。開戦半年後北方域に転戦。北方作戦において潜の撃を受け大破し[3]不知火共々長期の修理を余儀なくされた。戦線復帰は第五艦隊一水戦第九駆逐隊に所属。キスカ島撤退作戦直後であり北方域での地な護衛任務に従事する。9駆はのちに元18駆の不知火を加えた後解散、再び18駆を編成する。44年10月一水戦志摩艦隊の一員としてレイテ沖海戦に臨む。旗艦阿武隈の損傷によりで木村昌福一水戦官らが移乗(阿武隈に伴い一水戦旗艦)。多号作戦(第2次、第4次。いずれも一水戦旗艦)、礼号作戦北号作戦(木村官の異動に伴い二戦旗艦[4])など、末期の数々の作戦において活躍した。

レイテ沖海戦にて姉妹艦を全て失いマニラ襲後7駆(潮・。のちも編入。)に編入された。しかし、潮・とも作戦行動をとれる状態ではなく(潮は修復放棄、修理中)、単独で初霜朝霜らと作戦行動に従事した。礼号作戦時(木村官)及び45年正月から北号作戦による内地帰還(古官)まで二戦の実質的な旗艦であった。[5]

内地帰還後二部を本来の旗艦である矢矧に移譲。坊ノ岬沖海戦直前の編成で21駆に移籍。坊ノ岬沖海戦において機関部を大破。戦直前に異動した前艦長乗艦の冬月によって自沈処理された。

詳しくは→霞(艦これ) 朝潮型姉妹 第十八駆逐隊 第七駆逐隊 礼号組(艦これ)  北号作戦(艦これ)  坊ノ岬組(艦これ)

戦史 第二一駆逐隊

第21駆逐隊(第2代) 記事に移転しました

関連動画

歴史系

ドロンの人による解説

音MAD系

片さんシリーズ

MMD艦これ

モデルについては、以下の記事を参照のこと。

初期21駆(初春子日若葉初霜)
初霜の歴代僚艦たちと踊る
最終21駆(坊ノ岬沖海戦戦艦)


条約駆逐艦の戦い(初期編成+時雨たち)
戦隊旗艦(初霜
戦所属艦(末期21駆が関連)
初霜を軸にする21駆の歴史
一水戦旗艦<阿武隈>の二次創作(時々21駆も))

その他

祝・AC実装


関連静画

関連項目

脚注

  1. *」「薄」は、「朝霜」は横須賀所属。
  2. *途中台湾高雄まで第十七駆逐隊の「磯風」「浜風」・空母龍鳳」と行動を共にした。
  3. *当時の第十八駆逐隊(駆逐艦不知火)は初霜2代目艦長でもあった。
  4. *戦の早川官が第3次多号作戦島風にて戦死。一水戦部がそのまま二部になったため。
  5. *官は艦これwikiでは引き継ぎをシンガポール艦上で行ったとあるがpixiv百科事典では古官は先に内地帰還しており木村官が引き続き乗艦のうえ帰還したと記載されている。本記事では前者を採用した。
  6. *開戦時第三水雷戦隊旗艦
  7. *ほかに、11/29-12/9潮 12/9清霜 12/14-S20.1/1(礼号作戦中を除く)大淀
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