四字熟語とは、漢字四字を構成要素とする熟語表現である。
よくある国語辞典の語彙解説はだいたい本項先頭のとおりだ。それだけなら簡単明瞭だが、一般常識、とりわけ学校教育においては「四字熟語」の意味範囲には制限事項がある。漢字四字を無理矢理つなげれば四字熟語になるというわけではないのだ。
ぶっちゃけ、ここまでにつかわれている漢字表現は、どれも中間試験や期末試験で「四字熟語」として解答用紙にかいたら減点必至である。いくら漢字四字だからといって「焼肉定食」のようなものまで四字熟語だとするのは牽強付会(←ようやく四字熟語といえそうなのがきた)なのだ。
※注意喚起:本記事中において、要所要所が理路整然とするよう鋭意努力はしましたが、合間合間は冗談半分です。一部例外をのぞいて、すべての漢字表現が四字熟語のかたちをとっていますが、十中八九がエセ四字熟語です。玉石混淆です。「これは四字熟語じゃないだろ」などと本気返信(マジレス)されると九腸寸断です。
閑話休題。
単刀直入にいえば、「故事成語」と「仏教用語」である。古往今来つかわれてきたので、金科玉条とされているものもおおく、温故知新にもつながるであろう。
おもに中国典籍のエピソードにもとづくことば。「朝三暮四」(『列子』黄帝など)や「呉越同舟」(『孫子』九地)などがあげられる。「弱肉強食」(韓愈『送浮屠文暢師序』)や「不老不死」(『列子』湯問 )のように、おもしろストーリーではないけど聖人君子の言行記録からとりだしたことばも故事成語にふくめることがおおい。
ただ、漢字四字でかける故事成語がすべて「四字熟語」とみなされるわけではない。
「他山之石」(『詩経』鶴鳴)や「背水之陣」(『史記』淮陰侯伝)はひらがなの「の」をつかって「他山の石」「背水の陣」とかけるので四字熟語にはカウントされにくい。
また、「先従隗始」(『戦国策』燕策)の場合は「先ず隗より始めよ」と漢文訓読するのがふつうなので、やはり四字熟語とはいいがたい。もっとも「臨機応変」(『南史』梁宗室伝)のように「機に臨んで変に応ずる or 機に臨みてまさに変わるべし」と漢文訓読できるのに音読表現が一般普及しているケースもある。このあたりのちがいは曖昧模糊、というか歴史次第だろうか。
なお、枝葉末節にこだわるならば、中国由来でも近代現代だったらどうするのかという問題提起もできるだろう。「百花斉放」「百家争鳴」は1956年に中国共産党がはじめた政治運動のスローガンであるが、四字熟語としてつかわれることもある。これらを「故事成語」とよぶのは躊躇逡巡してしまう。
仏教経典などからとられた漢語表現。たいていは梵語漢訳(サンスクリットの中国語訳)である。「色即是空」(『般若心経』)、「諸行無常」(『涅槃経』)などがあげられる。「他力本願」(『教行信証』)は日本由来だがここにいれてよいかもしれない。
日本発祥だが一般普及していて(=国語辞典にのっていて)下記条件にあてはまるものも四字熟語といえそうだ。
中世時代の武士階級が先祖代々うけついだ封建領土をいのちがけでまもることから「一所懸命」ということばがうまれ、一字交換して「一生懸命」となった。
このグループは「一」がつく四字熟語がおおくて意味深長だが実際問題どうなんだろう。
ほかにも古代中世や近代日本に故事来歴のありそうな四字熟語は不遑枚挙なのだが、嚆矢濫觴をさがしても不得要領である。隔靴掻痒!
「日進月歩」は起源不明だが、これを四字熟語といったとしても不平不満はすくないとおもわれる。「日進」という二字熟語はあるが「月歩」はないからだ。
「針小棒大」も「針小」と「棒大」を単独使用することはないだろう。
ところが、「青息吐息」は「青息」という二字熟語がないので四字熟語とみなしたいところだが、それは不知案内だぞといわれるかもしれない。大和言葉の「あお」「いき」などをつかっているからだ。これについては三思後行しよう。
欧米諸語の学術用語・ことわざなどの日本語訳である。じつはこれにあてはまる「四字熟語」がおおい。そのタイプも多種多様だ。
「一石二鳥」はイギリスのことわざである Kill two birds with one stone を日本語訳したものだろうとされる。ただし訳者不詳である。
「試行錯誤」は心理学者がつかっていた学術用語で trial and error という英語表現がもとになっている。
「疾風怒濤」はドイツの文学運動 Sturm und Drang を日本語訳した熟語表現。
「二律背反」も独語和訳で、哲学用語の Antinomie から。
「万物流転」はギリシアのヘラクレイトスが自然哲学についてのべた πάντα ῥεῖ から。
「前後左右」や「上下左右」を四字熟語として入学試験の解答用紙にかくのはなかなか大胆不敵におもわれる。でも「東西南北」や「春夏秋冬」になるとマシっぽいし、「起承転結」や「花鳥風月」はいちおう故事来歴があるし、「生老病死」にいたっては仏教用語。つまるところ、構成要素だけをみて杓子定規にかんがえるから無理難題になるわけで、語源由来をみて個別判断したほうがよさそうだ。
「白川夜船」は「ハクセンヤセン」ではなく「しらかわよぶね」と全部訓読みで、「石部金吉」は苗字名前のように「いしべきんきち」とよむ。どちらも江戸時代からつかわれてきた熟語表現だが、これらが四字熟語かといわれると、はて……
「四字熟語」といえば漢語表現だという前提条件が無意識的にあるかもしれない。それゆえ訓読表現≒大和言葉(日本固有のことば)は四字熟語とみなしづらいのだ。「白河夜船」がよくても前段既出の「青息吐息」はどうだろうか?「手前味噌」になるといよいよ疑心暗鬼になってこないだろうか?
このあたりまでくると、四字熟語といいはるのは漱石枕流かもね。
たとえ人口膾炙していたとしても、特定個人・特定事物しかあらわせない固有名詞では四字熟語といえない。もともと四字熟語だったのが商標登録されたりしているケース(「天下一品」など)はまたべつだが……
「東方不敗」とか「忖度御膳」とか、夜目遠目には四字熟語にみえるが、固有名詞である。
現代社会では、「交通事故」「都道府県」「学生運動」などの社会用語、「指数関数」「脊索動物」などの学術用語が大量生産されている。
だが、これらが一朝一夕に百世不磨の故事成語と旗鼓相当たる四字熟語になるとはかんがえにくい。また、こうした四文字語のほとんどは既存表現どうし、とくに二字熟語と二字熟語でできている。分割可能だということも「四字熟語らしさ」をうすれさせている。
ちなみに、「四字熟語」そのものは戦後昭和、それも八十年代にひろまったといわれるので、現代用語のひとつである。それをふまえると、(せまいニュアンスで)四字熟語は四字熟語ではない!
四字熟語における大和言葉にたいして寛仁大度なスタンスをとったとしても、「そりゃ言語道断だろ」というラインがあるはずだ。当て字の「夜露死苦」や「仏恥義理」を四字熟語といいだしたらもはや暮威慈畏(クレイジー)である。
したがって「当て字」は四字熟語にあらず……といいたいのだが、残念無念、特殊事例があった。「笑止千万」だ。かつてつかわれていた「勝時(しょうし)」ということばが当て字で「笑止」になったという仮説提示がなされている。まあ、そうだとしても中世時代にさかのぼることばなので、四字熟語にカウントするひとはおおいだろう。
単語自体が国語辞典にあっても存在理由とかみたいに中二病的な非標準的なよみかたをしたらダメでしょう、たぶん。まあ、四字熟語をやたらつかおうとする姿勢自体が中二病的とみなされるかもしれないが……
とはいえ万物流転。これらが四字熟語だと衆目一致するときもくるかもしれない。
上記項目からもわかるように、「四字熟語」はいまも新規作成されていて、多種多様な独自表現がある。「腹筋崩壊」や「限界突破」などは電脳世界や遊戯文化のなかでうまれたあたらしい四文字語だとおもわれる。
十年一昔なのだから、自分自身で現実世界にあった四字熟語をつくってみるのもおもしろいかもしれない。中二病的といわれてもしらないけど
ここでは「境界線上のもの」も積極果敢にとりこんでいるが、国語辞典・漢和辞典にないもの、「異論続出のもの」はさけた。五十音順。単語右側に故事とあるのは故事成語、仏教は仏教用語、訓読は単語全体か特定部分が漢字訓読、西洋は洋語和訳。
粉骨砕身してつくった熟語一覧ではありますが、画竜点睛をかいているかもしれません。直接記入するなり、本掲示板にて追加指示をいただければ恐悦至極にぞんじます。
あ行
か行 |
さ行
た行 |
な行は行ま行や行ら行わ行 |
現実世界で無闇矢鱈と四字熟語をつかっていると、かえって発言意図が有耶無耶になったり、衒学趣味なヤツだとおもわれたりしかねない。
だが創作世界では四字熟語が多数登場するシチュエーションや四字熟語を常時多用する登場人物がいたりする。才気煥発なこともあれば、無知蒙昧にみえることもあるが、キャラづけに効果覿面なのはたしかだ。
ときとして作品全編にわたって四字熟語が一定役割をはたすことがある。
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最終更新:2025/04/29(火) 01:00
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