ミスターシービー(ウマ娘) 単語

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ミスターシービー

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シービー

ミスターシービー(ウマ娘)とは、Cygamesメディアミックスプロジェクトウマ娘 プリティーダービー』の登場キャラクター

実在競走馬ミスターシービー」をモチーフとするウマ娘である。

概要

アニメ版第2R(第2話)に1カットのみ登場したウマ娘。同じくアニメ第1Rで初登場し、実在競走馬名前を持つキングヘイローポータルサイトに追加されたのに対し、長らくポータルサイトに姿を現さなかったが、2021年2月23日の「ぱかライブTV Vol.4」で正式に新ウマ娘として加入することが発表され、同日キャラクター紹介ページに追加された。CV天海由梨奈

毛先の跳ねたロングヘア―で、右の辺りに「CB」の飾りがついた小さな帽子を被っている。勝負服ウエストが大きく開いたスーツタイプ。膝から下は見切れているのでデザインがわからず、演出で炎に照らされていたため正式なカラーも不明確である。

アニメでの活躍

第2Rで描かれた授業の中で、「最近の三冠ウマ娘」としてシンボリルドルフナリタブライアンと共に名前を挙げられた。

またアニメ第2期第1話ではシンボリルドルフマルゼンスキーと共に日本ダービーを観戦しており、シガーブレイドに期待を寄せていた。シガーブレイドミスターシービーに対し「運命レベルの何か」を感じていたが、これはシガーブレイドモデルであるシャコーグレイドが、ミスターシービー産駒であることに由来すると考えられる。同レースにはトウカイテイオーモデルシンボリルドルフ産駒)、リオナタール(モデルレオダーバンマルゼンスキー産駒)も出走しており、三冠ならぬ参観ウマ娘と一部では呼ばれていたり。

コミックでの活躍

漫画ウマ娘 シンデレラグレイ』第1Rでアニメ第2R以来の登場、初めてトレセン学園制服姿と台詞が描写された。シンボリルドルフマルゼンスキーと共にゴールドシチーが出走した日本ダービーを観戦、分析していた。

ゲームでの能力

Coming Soon...

史実

83年 菊花賞

そのタブーを冒した。最後方から、上りで一気に先頭に出る。
そうか。タブーは人が作るものにすぎない。

そのの名は、ミスターシービー
はいつも非常識だ。

日本競馬史上3頭の中央クラシック三冠天衣無縫の末脚で鮮勝利を重ねたターフの偉大なる芸術家

1980年生まれのトウショウボーイシービークイントピオ。は「天馬」と称された後の顕彰馬と同じ新馬戦デビューした同期でこちらも重賞である。シービークインは2頭を死産して以降繁殖を失ったため、ミスターシービーにはきょうだいがいない。

騎手吉永正人デビューから引退まで一貫して手綱を取った。

2歳の11月デビュー戦は先行で勝利したが、3戦で大出遅れをしながら後方から鋭く追い込み2着まで追い上げ、吉永追い込みの才を見出される。3歳時は共同通信杯弥生賞をいずれも後方からの競馬勝利し、皐月賞でも追い込みが決まりにくいと言われる不良馬場をものともせず勝利し最初のクラシックタイトルを獲得。21頭立てで行われた東京優駿(日本ダービー)では、当時存在した「第1コーナーを10番手以内で回らなければ勝てない」というジンクス、所謂ダービーポジションに構わず後方待機から徐々に進出し、最終コーナーで他に接触して吉永騎乗停止になったもののレースの1着は認められ、二冠馬となる。菊花賞戦の京都新聞杯では調整不足がいて離れた4着に敗れるが、菊花賞では当時「ゆっくり上り、ゆっくり下る」ことがセオリーとされていた京都競馬場の坂を、先行をまくりながら上り、加速しながら下る常識外れのスパートで3身差の圧勝。シンザン以来19年ぶり、父内国産馬としては初の三冠達成となった。

3歳ジャパンカップ有馬記念を回避して休養し、元々強くなかった蹄の状態が悪化したこともあり復帰は4歳までずれ込んだ。復帰初戦の毎日王冠は休養中に宝塚記念を制したカツラギエースの2着に敗れたが、上り3Fのタイムは推定33.7と当時より馬場が良い現代でも遜色ない、規格外の末脚で健在を示す。この年から2000m戦に変更された天皇賞(秋)では、直線一気の末脚で復活勝利を果たし、四冠となる。

続くジャパンカップでは同年クラシック三冠を達成したシンボリルドルフとの対戦が注されるが、終始後方のまま10着、シンボリルドルフも3着に敗れ、日本初のジャパンカップ制覇はカツラギエースの手に渡った。有馬記念ではシンボリルドルフカツラギエース追い込み及ばず3着、明けて5歳サンケイ大阪杯ではステートジャガーの2着、天皇賞(春)ではめのスパートを仕掛けるも直線で尽き5着に敗れ、故障のためこのレースを最後に引退した。

引退後は1999年まで種牡馬として活動し、2000年に蹄葉炎により死亡。20歳。晩年は故郷に戻り、シービークインの側で過ごした。

全盛期だった3歳に脚部不安で休養し、が衰えて以降シンボリルドルフ敗したことで三冠馬にも関わらず史上最強に挙げられにくい不遇を被っているが、そ20年ぶりに誕生した三冠馬だったことに加え、常識破りのレーススタイルや端正な容姿で人気は非常に高かった。ミスターシービーの活躍が、後の競馬ブーム下地となったというは多い。

詳細は当該記事へ→ミスターシービー

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最終更新:2024/05/01(水) 10:00

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