- 和名はトルコユウレイヒツジ。現在のトルコ・アルメニア・アゼルバイジャン周辺が原産。人間により家畜化される以前の羊に一番近いとされる。気性は荒いほうであり、飼育は羊の中でも特に難しい。そのため飼育しやすく毛や肉、乳がよく取れるほかの品種の羊に押され、現在では飼育個体数が少なく、トルコで食用でない保護のための飼育がされている。
- オーストラリア陸軍の特殊部隊の愛称。1.の羊とは無関係。正式名称は「陸軍特殊偵察隊」というそっけないもの。
本稿ではこちらについて触れる。
編成まで
ゴーストシープ編成のきっかけは、日本軍の仏領インドシナ進駐により、東南アジア一帯の軍事緊張が高まったことによる。今後この地域での日本軍との戦闘を予想した英国は、オーストラリア政府に対しジャングル戦部隊の創設を提案。提案を了承したオーストラリア政府は陸軍歩兵部隊より志願を募り、英軍コマンド部隊・グルカ部隊の指導・訓練のもとで、ジャングル戦に特化した部隊を作り上げることとなる。
指導にあたった、ネパールの高地民族グルカ(ゴルカ)族からなるグルカ部隊は、すでに英軍屈指の勇猛な兵士として知られていたが、豪軍兵士のなかには(自ら志願したとはいえ)非白人から戦闘訓練を受けなければならないことに苛立つ者も、少なからず居たという。
1941年12月7日(米時間)の日本軍による米ハワイ・真珠湾軍港への攻撃により太平洋戦争(大東亜戦争)開戦。
香港・米領フィリピン・マレー半島・シンガポール要塞・蘭領インドネシアが電撃的に占領される。翌年1942年2月にはオーストラリア本土・ダーウィンへの空襲を受け、ダーウィンは軍港としての機能を喪失。
連合軍不利の状況下、日本軍のオーストラリア上陸の噂も流れる中で、彼らは祖国防衛のため結束。厳しい訓練に耐え特殊部隊として完成されていった。
戦闘
1942年3月、日本軍は連合国の拠点「ポート・モレスビー」攻略のため、パプアニューギニアに上陸。終戦まで過酷な戦いが繰り広げられることとなる。
オーストラリア軍もこの新設の特殊部隊を「第42陸軍特殊偵察隊」と命名(数字は偽装のためで、意味はないとされる)。パプアニューギニア防衛のための戦いに投じた。
ニューギニア防衛に失敗すれば、本国とアメリカとの連絡が遮断され、それが敗北に繋がることを理解するかれらはこの瘴癘の密林で日本軍との死闘に明け暮れることとなる。
実戦の中で、当初想定していなかった事態に直面することもあった。
軍では喫煙や雑談、香料入りの石鹸の使用をとくに禁じていなかったが、これらタバコや香料、人の話し声が敵側(日本軍)の索敵にかかり、狙撃や(奇襲)攻撃の標的となった。また戦闘回避行動をとられ掃討作戦失敗の原因となることに気づかされた。やがてジャングルの中での喫煙禁止や、香料入り石鹸(とうぜん香水・整髪料も)の使用禁止、ハンドサインによる無言での意思疎通などが決められ、堅く守られた。
また現地人(原住民)の取り扱いにも当初とまどった。日本軍にも連合軍にも友好的であったり、敵対感情をみせたり、といった扱いにくい存在であったが、医薬品や食料、タバコ、酒の提供といった「おくりもの」で信頼されるようになっていった。末期には連合軍優勢と見て積極的に協力する現地人も数多く居た。
けして少なくない犠牲を払って得た教訓は、その後のベトナム戦争でもベトコン掃討戦のため生かされることになる。
伸びきった日本本土からの補給線を連合国に断たれた日本軍は、分散し持久戦に突入。
「死ぬまで抵抗を止めない」日本軍将兵を指して、「もし友軍であったなら、どれほど心強かったか」と漏らす隊員もいたという。(余談だが、ビルマ戦線で日本軍と戦ったグルカ族部隊の一兵士は、「世界最強と称される我々グルカと互角に戦える正規軍兵士は、彼ら日本軍をおいて他になかった」と日本軍将兵の健闘を讃えた。)
しかしながらオーストラリア国内には、戦後長らく根強い反日感情や対日警戒心(日本が軍事大国になって、また攻めて来ると本気で思っていたらしい)があったのも事実である。
第二次大戦後
1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し連合国側に降伏。
その後一時は部隊の縮小と最終的な解散も検討されたが、インドネシア独立戦争(1945~1949)勃発や、第一次インドシナ戦争(1946~1954)など、ヨーロッパ植民地としての東南アジアの枠組みが壊れ、同地域においてまだ戦乱期は続くという見方が軍部内で支配的となり、部隊は存続されることとなった。
とくに独立インドネシアのスカルノ政権と、第一次インドシナ戦争「ディエン・ビェン・フー」の戦いでフランス軍を下した、ホー・チミンのベトナム共産党という2つの敵を間近に置くこととなった後では、廃止論は鳴りを潜める。
第一次インドシナ戦争の終結とベトナム南北分断の後、1960年末に南ベトナム解放戦線が結成され、自由主義陣営との対立を余儀なくされる。とくにアメリカは共産主義の伝播による、東南アジアの赤化を恐れ介入の度合いを強めだした。
1965年、反共・反社会主義的だったロバート・メンジーズ豪首相は本格的にベトナム戦争へ介入。オーストラリア軍を派遣。「陸軍特殊偵察隊」にもベトナム派遣が下命された。「ゴーストシープ」の異名が付いたのはこのベトナム戦からで、当初アメリカ軍の一般兵からの「蔑称」であったらしい。
米軍人から見て、この特殊部隊は「煙草も吸わず、なにか香りがするでなく、無駄口も叩かない、『修道士か幽霊のようなやつら』」と映ったようだ。
しかしアメリカ軍部隊よりも損耗が少なく、確実に戦果をもちかえる彼ら「ゴーストシープ」への見方は徐々に変わり、本当のプロフェッショナルという評価に変わる。「ゴーストシープ」の呼び名はこのとき尊敬をこめた「尊称」となった。
ところでゴーストシープからみた米軍部隊の評価はどうだったのだろうか。米軍と一時共同作戦にあたったあるゴーストシープ隊員は帰還後、「あいつら(米兵)は死にたがってるとしか思えない。恐怖心を誤魔化そうと大声をだす、煙草は吸う、匂いの強い石鹸を使おうとするバカが居たから殴ってやった。」
しかしオーストラリア軍全体からの犠牲者が出ないわけでなく、増加していく死傷者の数にオーストラリア世論は耐えることが出来ず、オーストラリア軍のベトナム派遣に対する批判の声が増加していったのだった。
参考文献
- 『学翌ひみつシリーズ ゴーストシープのひみつ』(学翌研究社刊 昭和46年初版)
- 『嘲曰噺聞が報じたベトナム』(嘲曰噺聞社刊 平成12年)
- 『1945年8月15日”開戦”』(月経噺聞社刊 平成元年)
- 『ベトナム戦争の戦争犯罪 ~やっぱりイルボンが悪い~』(大東亜曰報刊 1989年 日本語版)
- 『おもしろ大国オーストラリア』(イアン・カーネル著 侮日噺聞社刊 昭和62年)
- 『ベトナムクンフー牙-KIBA-』(民明書房刊 昭和62年)
上記の記事はフィクションです ネタ記事なので本気にしないでください。 |
・・・だが、そんなトルコユウレイヒツジもオーストラリア特殊部隊も実在しない。
本当の概要
「スケープゴート」と言おうとして「ゴーストシープ」と言い間違えてしまい、心無い嘲弄を受ける。そんな経験は誰にでもおありだろう(ネット上で確認できる最古の例は、2006年7月19日に2ちゃんねるのニュース速報板に立てられたスレッド「ゴーストシープにされた山本」のようである)。
そんなときは、この記事を提示して上の方だけ見せれば、ひとまず追及の手を逃れることができる。
ちなみにそういった言い間違いや上記のネタ記事を除くと、
- トレーディングカードを題材にしたニンテンドーDSのゲームソフト『高速カードバトル カードヒーロー』に登場するカード「ゴーストシープ」
- オーストラリア在住のビジュアルアーティスト/動物愛護活動家であるアンジェラ・シンガー(Angela Singer)による2001年の作品「ghost sheep」
などが一応実在している。
関連項目
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