エルコンドルパサー 単語

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エルコンドルパサー

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98年 ジャパンカップ

エルコンドルパサー、戦のライバルたち。

らは、ひとりでは強くなれない。

2011年ジャパンカップCMより

エルコンドルパサー(El Condor Pasa)とは、1995年生まれの競走馬外国産馬であるが、配合を考えたのはオーナーブリーダーである日本人馬主であった。強いインブリード配合やそのチートな強さ、海外遠征での好走など「リアルダビスタ」とか呼ばれた名である。名はサイモン&ガーファンクルの有名曲にもある「コンドルは飛んでいく」の日本語題で知られるペルー民謡の曲名に由来し、名からの連想(マンボ→南米音楽)で付けられている。

通算成績11戦8勝[8-3-0-0]

な勝ち
1998:NHKマイルカップ(GI)、ジャパンカップ(GI)、ニュージーランドトロフィー4歳ステークス(GII)、共同通信杯4歳ステークス[1]
1999:サンクルー大賞(G1)、フォワ賞(G2)

1998年JRA賞最優秀4歳
1999年JRA賞最優秀5歳以上年度代表馬
JRA顕彰馬

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については
エルコンドルパサー(ウマ娘)」を参照して下さい。

概要

Kingmambo*サドラーズギャルSadler's Wellsという血統のアメリカSadler's Wellsの曾祖母でもあるThongの牝系を付けていた渡邊オーナーが、同クロスを持つ*サドラーズギャルを購買してKingmamboを付けて生まれたのがこのである。*サドラーズギャルはセリを欠場した後に直接牧場サイドコンタクトを取って購買したということからも、その熱意が伺い知れるところであろう。
ただしこの配合はNorthern Dancerの3×4を始めとするかなりの近配合で、ダビスタでさえ「危険な配合です」と言われかねない血統だった(血統詳細)。やや重苦しい欧州の一流種牡馬血統表に並んでおり、同ヨーロッパ競馬に適応出来たのはこのためだったのかもしれない。

まだ体が出来上がっていないということでダートデビューすると後の京成杯勝ちマンダリンスターに7身差をつけ圧勝、年明けの500万条件でも勝利した。ちなみに500万条件出走時、休み明けの事もあってエルコンドルパサーはそもそも大きなおでっぷが付き、毛ボーボー。ロバだかだか分からないような酷い体だった。新聞ではグルグルマークが一杯付いていたが、こんなん走るいと思ったら、ダート1800mしかも中山で9身差圧勝。が点になったものである。

これは強いぞということで芝への挑戦。共同通信杯に登録したらなんとこれがダート変更。当然圧勝して次走ニュージーランド4歳ステークスへ向かう。今度こそ芝適性が試されたが単勝2.0倍の断然人気に応えてあっさり勝利した。

この年のNHKマイルカップは前年の2歳チャンピオングラスワンダーで仕方がいというレースだったのだが、なんとグラスワンダー先に骨折して戦線離脱。ならばもうこのしかいないよねということでエルコンドルパサーは1.8倍の1番人気。そして勝。なんというか、この時点での様に強いな、とみんな思っていた。

誇らしく飛べ

あらゆるを乗り越えて
坂をいくつも登り切って
見なれぬ
難局に耐え強敵を撃ってこそ
獲得できるがある

勝ってなお学べ
すべての経験を糧として
次なる戦いに備えよ

そして羽ばたけ
誇らしく飛んでゆけ

JRA「名馬の肖像」エルコンドルパサーexit

に入り、営は大標をなんとジャパンカップに設定する。これは年度代表馬争いを見据えたものだった(当時のジャパンカップは年末表を受ける上で特に重要なレースとされている)。また、馬主である渡邊氏の個人的な理由もあった。渡邊氏は時の中川昭一相と交があり、農産賞典であるジャパンカップの表式に参加する農相と同席したいというものだった。エルコンドルパサーはここまで2000m以上の距離を走ったことがなかったが、渡邊氏が二ノ宮調教師に、ジャパンカップではなく実績のあるマイルGIマイルチャンピオンシップに出た方がいいのかと尋ねたところ

どちらに出ても勝ちます、どちらがいいですか?

との答えが返ってきた。この答えに納得し、前述の理由と将来の欧州遠征をも見据えてジャパンカップへの出走を決め、その前戦として毎日王冠へ挑戦する。

しかし、まだ朝日杯で驚異のレコード叩き出したグラスワンダーとは対戦したことがなかったため、「どっちかというとグラスかな?」と思っていたファンがいたことも事実である。両の手綱を取っていた的場均騎手が悩みに悩んでグラスワンダーを選んだこともして、初の直接対決となったこのレースではグラスワンダー人気で遅れをとっていた。二転三転を経て本の新たな騎手蛯名正義騎手となり、引退まで手綱を執り続けることとなった。

今では伝説となっているこのレース、エルコンドルパサーはっ向勝負で挑み、サイレンススズカに詰め寄る2着に入る。グラスワンダーは直線前に息を入れるサイレンススズカに並びかけ、叩きあいに持ち込むという作戦に出たが不発に終わり、直線最後に失速した。グラスワンダーに先着したことで3歳外国産馬最強の座を明したのであった。
なお、結果的に内で一後を拝した相手となったサイレンススズカは続く天皇賞(秋)で故障・予後不良になっている。後に判明したことだがこちらもジャパンカップへの挑戦プランがあり、もし事だったら辱の機会が訪れていたことになる。

ジャパンカップでは*チーフベアハートを筆頭とする海外勢よりも同世代のダービースペシャルウィークらの内勢が強いという前評判だったが堂々とした走りっぷりで優勝。特にスペシャルウィークをねじせたことで、今度は世代最強を高らかに宣言したのであった。
その後は有馬記念へは出走せずにこの年を終える。これは馬主の方針によるもので、「本当の名は出るレースを絞る」「内的には有馬が一番馬券の売れるレースだが、世界的な評価はジャパンカップの方が上。そこを勝っているのだから理に有馬に出る必要はない」という考えだった。なおこの年の有馬記念を制したのは毎日王冠で先着したグラスワンダーであった。
年末は最優秀4歳(当時は旧表記)を受賞したが、年度代表馬選考ではジャック・ル・マロワ賞を制するなどしたタイキシャトルに大差をつけられた。

エルコンドルパサーは翌年、凱旋門賞して欧州遠征を決断する。この前年、シーキングザパールタイキシャトル欧州GIに勝っており、日本海外遠征する機運がかつてく盛り上がっていたのである。海外遠征と言っても1レースか2レース使って帰ってくるのが普通なのだが、エルコンドルパサーの場合は半年もの間ヨーロッパに滞在して調教を積むという現在でもあまり見られない取り組み方をした。しかしこれが奏功し、向こうで過ごすうちに欧州馬場に合うように走法も体格も変わっていった。ここでも前述の方針の通り「2走、2走」とレース数を絞っていた。もちろん最後に走るのは凱旋門賞である。

果たして、1999年5月に行われたイスパーン賞(GI)は直線実況が「これは勝ちます!」と言っちゃった程惜しい2着。次走、伝統あるサンクルー大賞(GI)は前年の凱旋門賞Sagamixや前年のカルティエ賞年度代表馬*ドリームウェルを61kgという斤量をものともせずにねじせて勝。これには当地の競馬マスコミも仰し、本番の凱旋門賞ではアイリッシュダービーMontjeuキングジョージの勝ちDaylamiと並ぶ三強の一と評価された。凱旋門賞直前には滞在していた調教場全体から応援されていた程で、状態のいいコースを優先的に使わせてもらっていた。

しかし凱旋門賞の本番当日までは悪が続き、コースが非常に柔らかい状態になっていた。コースの硬度の計測を始めてから最も柔らかい数値を出したのはこの日である。このためDaylami営は最終的に出走するものの、当日の競馬開始後になっても出走取り消しを検討していた。

凱旋門賞本番。スタートポンと飛び出したエルコンドルパサーはマイペース逃げ続け、そのまま直線中ほどまで手ごたえ十分なまま先頭。「勝ったか!」と日本中が思った間、Montjeuがそこまでやらんでもというような脚で外から差し切ってしまった。Montjeuは重馬場を得意としており、をも味方につけた勝利だった。Montjeu調教師も「晴れててコースが硬かったら敵わなかった。これだけこちらへの好条件がっていながら勝者が2頭いるも同然のレースをされたのだから」とっている。

結果的に負けこそしたもののモンジューとは斤量差もあったし、3着は5身もちぎったことから、現地でのレース評価は「今年は勝ちが2頭いた」というものになり、この年のワールドサラブレッドレースホースランキング距離部門において日本調教で歴代最高の134ポンドという破格の評価を受けた[2](MontjeuDaylami135ポンド)。ちなみに、2006年ディープインパクト127ポンドの評価であった。

エルコンドルパサーはこのレースをもって引退種牡馬としての受け入れ先やファンからはジャパンカップ有馬記念に出走してほしいという要望が多く届けられたが、馬主営はこれを固辞している。後になって考えてみれば、長い時間をかけて欧州に適応させた身体を日本に適応させなおすには時間が足りなかったと考えられる。引退式はジャパンカップ開催日の昼休みに行われた。

通算成績11戦8勝2着3回の連対率100%を達成しており、これはシンザン(19連対)、ダイワスカーレット(12連対)に次ぐ記録。もちろん長期の外遠征を含めてこの記録を達成したはエルコンドルパサーが一である。1999年内で走っていないにも関わらず、あまりに衝撃的なその活躍から年度代表馬に選ばれスペシャルウィークグラスワンダー涙目になった。これにはかなりの論争が巻き起こり、顕彰馬への選出まで15年もの時間がかかることになる。

期待を集めながら種牡馬入りしたのだが、2002年に腸捻転で死亡。まだ7歳だった。代表産駒ジャパンカップダートに勝ったヴァーミリアン菊花賞を勝ったソングオブウインドがいる。子供たちは残念ながら種牡馬としては今一つであったが、系自体はヴァーミリアン産駒2018/19年のオーバルスプリントを連覇したノブワイルドソングオブウイン産駒2012年アンタレスステークス2着のアイファーソングらが種牡馬入りしている。彼らの活躍に期待したい。
としてはクリソプレーズからエリザベス女王杯宝塚記念を制したマリアライトや、チャンピオンズカップをはじめとするダートGIJpnI4勝のクリソベリルが輩出され、マリアライトからも菊花賞2着のオーソクレースが誕生するなどしており、この系統を中心に今後も血が受け継がれていくものと思われる。

名前の由来はサイモン&ガーファンクルの歌「コンドルは飛んで行く」から。日本競馬ファンからすると海外へ大きく羽ばたいたまま帰ってこなかったような、そんな感じがするであった。

Fly High!

凱旋門賞愛ダービードイツ年度代表馬
欧州現役屈の強者たちに、さえも踏ませない勝利
どこまで強いのか、どれほど強くなるのか。
世界の頂点へ、コンドルはより高く飛んで行く。

サンクルー大賞優勝記念ポスターより

顕彰馬を巡るいろいろ

さてJRAには顕彰馬という制度があり、エルコンドルパサーはもちろん同期スペシャルウィークらと共に顕彰馬入りが期待される存在となった。
しかし、エルコンドルパサーは日本での実績はGI2勝と顕彰馬としてはやや物足りないが、海外で残した実績は日本としては今でも屈の実績を持ち顕彰馬に相応しいとする意見に説得があるという割と微妙な立場であった。
それでいて6割前後は安定して票数を持っていき、ディープインパクトテイエムオペラオーウオッカというようなもが納得するくらいGIを勝ちまくったり圧倒的な成績を残したでもいない限り何故か該当なしなどの効票が増えるという、一部の選考委員に嫌われているかのような扱いを受け続けていた。
エルコンファンのみならず、顕彰馬選定から漏れそうなギリギリの位置にいたファンからもいろんな意見が噴出したが最終的には「く選ぶなら選んでしまえ選考委員」という結論になった。
WikipediaGI4勝で顕彰馬入りの安を満たしているのにほとんど票を獲得できずにいるマヤノトップガンの項にわざわざ顕彰馬入りについての恨み節的な記事を書かれるあたり、ある種「門番」と化した彼が選考委員のせいでファンに邪険にされてしまったのは事実である。

そんなこんなで彼が逝ってから12年の日が経った2014年、ようやく選考委員も観念したのか顕彰馬に選ばれた。この後にオルフェーヴルジェンティルドンナロードカナロアが続いているが、これ以外で選出に必要な得票を獲得できるは出ていない。ブエナビスタスペシャルウィークは毎年90票前後の「定位置」におり、未だに選出されていない。 令和元年である2019年にはキタサンブラックがあと一歩となる140票を獲得している(この年の選出には145票必要だった)。翌年にキタサンブラックがめでたく顕彰馬に選出されたものの、常連であったスペシャルウィーク引退後20年の規定で2021年より選出除外となるため、後に何かの特例でもない限りは顕彰馬になれないことが確定した。

血統表

Kingmambo
1990 鹿毛
Mr. Prospector
1970 鹿毛
Raise a Native Native Dancer
Raise you
Gold digger Nashua
Sequence
Miesque
1984 鹿毛
Nureyev Northern Dancer
Special
Pasadoble Prove Out
Santa Quilla
*サドラーズギャル
1989 鹿毛
FNo.5-h
Sadler's Wells
1981 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Fairy Bridge Bold reason
Special
Glenveagh
1986 鹿毛
Seattle Slew Bold reasoning
My charmer
Lisadell Forli
Thong
競走馬の4代血統表

クロスSpecialLisadell 4×4×3(25.00%)、Northern Dancer 4×3(18.75%)、Native Dancer  4×5(9.38)

主な産駒

記事のあるは太字

2001年産
2002年産
2003年産

母父として

関連動画

関連コミュニティ

関連項目

JRA顕彰馬
クモハタ - セントライト - クリフジ - トキツカゼ - トサミドリ - トキノミノル - メイヂヒカリ - ハクチカラ -
セイユウコダマ - シンザン - スピードシンボリ - タケシバオー - グランドマーチス - ハイセイコー -
トウショウボーイテンポイント - マルゼンスキー - ミスターシービー - シンボリルドルフ - メジロラモーヌ -
オグリキャップメジロマックイーン - トウカイテイオー - ナリタブライアン - タイキシャトル - エルコンドルパサー -
テイエムオペラオー - ディープインパクト - ウオッカ - オルフェーヴル - ロードカナロアジェンティルドンナ -
キタサンブラック
競馬テンプレート

脚注

  1. *当時の格付けは今と同じく(GIII)だが、積雪ダート1600mへ条件が変わったため、格付けしの重賞として行われた
  2. *最終的に、この134ポンの壁日本調教が上回るのは、2023年イクイノックス(135)を待たなければならなかった。
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