フォルリ 単語

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フォルリ

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フォルリ(Forli)とは、以下のものをす。

  1. 伊イタリア北東部、エミリア=ロマーニャ州に所在する都市名。
  2. 1を名の由来とする1963年爾アルゼンチン生まれの競走馬敗でアルゼンチン四冠を達成し、種牡馬としても今なお世界に大きなを残す成績を収めた。

以下、2について詳述する。

南半球では四季が逆なので1シーズンが年を跨ぎ、の繁殖期やシーズンの変わりになる。本項でもこれを踏まえて記述する。

な勝ち
アルゼンチン
1965/1966シーズン:モンテビデオ大賞
1966/1967シーズン:ポージャ・デ・ポトリージョス大賞、ジョッキークルブ大賞、ナシオナル大賞、カルロス・ペジェグリーニ大賞
アメリカ
1967年:コロナドS


1965/1966シーズン アルゼンチン最優秀2/3歳
1966/1967シーズン アルゼンチン年度代表馬

概要

AristophanesTrevisaAdvocateという血統。
アリストファネス二冠馬Hyperionと英オークスCommotionを両に持つ良血で、イギリスで18戦8勝だがメジャーレースではロイヤルアスコットでのジャージーSで2着の成績になった程度の成績だったが、南米に渡ってから1960/61シーズンアルゼンチンリーディングサイアーを獲得した当時の有種牡馬
トレヴィサは1勝だが、フォルリの全にあたるTirrenoは5月革命インターナシオナル大賞など10戦5勝を挙げ、またその牝系から本を皮切りに南米での活躍を多く送り出している。祖母Venetaからのラインを見ると南米以外にもCrow(1976年セントレジャー1978年コロネーションカップ)やTexas Red(2014年ブリーダーズカップ・ジュヴェナイル)といった他地域での活躍が出ている。
アドヴォケイトは現役時代イギリスで18戦5勝。本が生まれた1963/64シーズンおよび本が四冠を達成した1966/67シーズンアルゼンチンリーディンブルーメアサイアーを獲得している。

当時のアルゼンチンの巨大牧場の一つオホ・デ・アグア牧場で生産され、こういった血統背景と均整の取れた栗毛だったこともあって、1歳セールでUSドル換算で2万3324ドルという当時の最高価格でジョルジュ・アゼヴェド氏に取引された。

アルゼンチンの競馬の歴史

ここでアルゼンチン競馬歴史について簡単に解説する。アルゼンチンが西洋によって開拓されてから1826年にイギリス競馬が最初に行われたと謂われ歴史は深い。またパンパと呼ばれる大草原を持つことで資産たちがここに牧場を構え、サラブレッドの生産が盛んにおこなわれるようになり、OrmondeDiamond JubileeBahramといった英国三冠馬も輸入され種牡馬として供用されていた。そのうちアメリカにも競走馬を輸出されるようになり、アメリカオーストラリアに次ぐ、世界有数のと育っていった。現在日本で行われているG2レースアルゼンチン共和国杯はブエノスアイレス郊外アルヘンティ競馬場との交換競走となっている。
そのアルゼンチンで生産され世界に最もアピールしたが本記事で解説するフォルリである。

アルゼンチン時代

※本節での馬場種別は特記されていない限りダートとする。

フアンラピストイ調教師の管理となった本は、2歳シーズン後半の1966年4月に迎えた1400mのデビュー戦をスタートから逃げて12身差で圧勝した。続く1500m戦でも17身半差で勝ち、2歳の大レースである6月のモンテビデオ大賞(1500m)も5身差で勝利した。戦を務めるロドルフォ・サパタ騎手三冠競走を見据えて楽に走らせた上でのこの着差なので、実際のところ着差以上の勝だったと言えるかもしれない。

さて、シーズンが変われば最大標は三冠、そしてその先には四冠が視野に入るところである。当時のアルゼンチン三冠8月のポージャ・デ・ポトリージョス大賞(の場合は代わりに限定のポージャ・デ・ポトラカス大賞)、9月ジョッキークルブ大賞、10月のナシオナル大賞から成り、これらを制して三冠を達成した上で3歳で11月カルロス・ペジェグリーニ大賞を勝てば四冠の栄誉に浴するところとなる[1]
シーズンの起点を考えるとカルロス・ペジェグリーニ大賞は宝塚記念キングジョージVI世&クイーンエリザベスS辺りに近い位置づけのレースとなり、後者同様に3歳で勝ったも少なからずいる。ただし四冠となると話は別であり、日本で例えると弥生賞皐月賞日本ダービーくらいの日程で三冠を制した上で、斤量差があるとはいえの古相手の大競走を勝たなければならないのだから非常に難しい挑戦であるのは間違いなく、四冠は1978年に本以来の三冠馬となったTelescopicoが達成したのが最後、更に言えば三冠1986年のEl Serranoと1996年のRefinado Tomが増えるのみである。

さて、ポージャ・デ・ポトリージョス大賞(1600m)に出走した本は、結果から言うと2着Antonito以下を全く牙にかけず、1:33.4の南米レコード叩き出して12身差で圧勝した。続くジョッキークルブ大賞(2000m)でも軽快に逃げたが残り400m地点から失速し、Antonitoに2身差まで詰め寄られる辛勝となった。

スタミナへの不安を露呈する結果となったが、それでも更に長い2500mのナシオナル大賞へ二冠馬として出走した。2000m戦でも終いがバタバタになった後だけに少なからず三冠達成に疑いのを向けるもあったが、結果的には脚が鈍って2着Proposalに1身差まで詰められながらも逃げ切り、2年ぶり史上15頭となる三冠を達成した。

三冠馬となったフォルリは四冠をカルロス・ペジェグリーニ大賞に登録した。1980年から芝2400mで開催されている同競走はこの時代は3000m戦であり、なおかつジョッキークルブ大賞がダート戦だった当時、三冠競走以前にも芝を走ったことがい本にとってはこの大舞台が初の芝ということになった。伸びを欠きながらも踏んり通したジョッキークルブ大賞やナシオナル大賞より更に長い距離であったが、フォルリは中競りかけられながらも最後まで素晴らしいりを発揮し、追い込んで2着に上がってきたAllerに2身半差をつけ優勝。これにより1958年Manantial以来8年ぶり9頭(うち1頭)の四冠となった。

このレース後、96万ドルという破格の値段でアメリカの名門クレイボーンファームから購買のオファーがあり、営はこれを了承しアメリカチャールズ・ウィッティガム厩舎に移籍した。なお、1966/67シーズンアルゼンチン年度代表馬に選ばれた。

アメリカ移籍後

移籍初戦は1967年5月16日コロナドS(芝8.5ハロン)となり、このレースではアメリカでの戦となるウィリー・シューメーカー騎手を背に1:41.2のレコードを出して3身差で快勝した。続けて7月8日ハリウッドパーク競馬場ダート8.5ハロンで行われたエキシビジョンレースを楽勝した。

3戦は3週間後のサイテーションH(芝8.5ハロン)となったが、スムーズさを欠いてDominarの1身差2着に敗れ、初を喫した。レース後、左前脚の骨折が判明し引退となった。

通算10戦9勝2着1回。

種牡馬成績

引退後はそのままクレイボーンファームで種牡馬入りし、2世からエクリプス賞年度代表馬を3回受賞した名騸馬Foregoを出した。名登録されたに対する勝ち率は44.9%(323/720)を記録し、59頭(資料によっては60頭)のステークスウィナーを出して成功した。1988年8月、25歳死亡した。

Forego騸馬だったため血を残せなかったが、いずれもイギリスGI勝ちを挙げたThatchとFormidableがサイアーラインを伸ばし、現在でもそこまで勢は大きくないとはいえ本系は維持されている。ただ日本では*ポッセ→*シェリフズスターセイウンスカイラインが一気を吐いた程度で、輸入された種牡馬自体がそこまで多くないこともあり系は定着しなかった。

だが、仮に将来的に本の直系が断絶したとしても、本の血自体が全に淘汰されることはまずいと言ってよいだろう。
それは何故か? 競走馬としては1戦未勝利引退したThatchの全SpecialとしてNureyevFairy Bridgeを産んでいるからである。Nureyevだけでもは小さくないが、血統に詳しい方ならご存知のようにFairy BridgeSadler's Wellsとなり、Sadler's Wellsの血は現在進行形世界中を席巻している。

系の勢こそそこまで大きくはないが、戦後アルゼンチンを代表する名の一頭と呼ぶに相応しいフォルリが残した血は現在世界中に根ざしている。

血統表

Aristophanes
1948 栗毛
Hyperion
1930 栗毛
Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Selene Chaucer
Serenissima
Commotion
1938 鹿毛
Mieuxce Massine
L'Olivete
Riot Colorado
Lady Juror
Trevisa
1951 栗毛
FNo.3-b
Advocate
1940 栗毛
Fair Trial Fairway
Lady Juror
Guiding Star Papyrus
Ocean Light
Veneta
1940 栗毛
Foxglove Foxhunter
Staylace
Dogaresa Your Majesty
Casiopea
競走馬の4代血統表

クロスLady Juror 4×4(12.5%)、Phalaris 5×5(6.25%)

主な産駒

1970年産

1972年産

1975年産

1977年産

1979年産

1983年産

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関連項目

脚注

  1. *現在は上記4競走とも施行時期が概ね1ヶずつ後ろにずらされている。
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