イエロー・ジャーナリズム(Yellow Journalism)とは、低俗なニュース、消費者の欲望を煽るだけを目的とした報道のこと。
概要
イエロー・ジャーナリズムは、19世紀アメリカで、巨大新聞二紙が、当時人気だった漫画『イエロー・キッド』を奪い合って載せたことに由来する概念。
現代社会は、巨大な人口を抱えており、事実の伝達を行うにも、ある程度の巨大な組織やインフラを必要とする。特に、資本主義社会の場合は、それは営利企業が行うのが一般的になる。ただし、市場原理が強くなりすぎて、国民主権原理や国民の知る権利が軽視されたり、プライバシー侵害への懸念が高まると、まずニュース組織を構成するジャーナリストの自覚に期待が寄せられる。しかし、それが期待できない場合は、社会的制約が要請される。
新聞の先進国であったイギリスは、産業革命の地でもあり、経済的にも先進国であった。ゆえに経済活動を支える市民の手によって君主の権力を制限する自由主義が育まれた。自由に設立された新聞は、情報と思想の自由な流通を「神の見えざる手」によって行ない、真理に達すると考えられていた。
しかし、イギリスの自由主義の流れを組むアメリカでは、大衆新聞(現代でいうゴシップも扱う新聞)が登場して、経営的成功を収めた。そこでは、いわゆるイエロー・ジャーナリズムと呼ばれる、俗悪なニュースが紙面を占めるようになり、自由主義自体に弱点があることが、認識されるようになる。
また、1920年代に発生した世界恐慌も、こういった自由主義自体への反省を促す事に繋がった。そこで、マスメディアもまた市場原理だけでなく、社会的責任があるという考えが積極的になっていった。
ただし、社会の必要性を誰が判断するかについては、判断が分かれる。1つは政府が判断者となる考え方だが、これは当時から言っても、元々政府批判・君主批判を掲げて、自由主義を進めたマスコミ、ジャーナリズムから見て、採れない考え方であった。そこで「社会的責任論」が期待したのは、ジャーナリズムの職業倫理である。ジャーナリズムの相互批判、ジャーナリストと市民との対話、そして世論の動向への注視などが、条件と考えられた。
プライバシー権
19世紀末のイエロー・ジャーナリズムは、個人の私生活を暴くことも助長した。これに対抗して、当時「ひとりにしておいてもらう権利 the right to be let alone」が発展した。そして、各州の判例によって積み重ねられて、現在は世界中で認められる権利となっている。
日本
日本では、戦後に自由主義的な日本国憲法を採用しており、基本的にニュース・メディアの設立は国民の自由に委ねられている。また、戦後間もない時期から、日本新聞協会は「倫理綱領」を掲げて、ジャーナリストの職業倫理の向上を掲げている。しかし、その中心は、商業主義の反省というよりは、軍国主義の反省を中心としており、アメリカとは違う社会的責任論を歩んでいる。
醜聞についての表現規制に関わる判例としては、北方ジャーナル事件がある。前提として、日本国憲法第21条2項で、検閲は禁止されているが、事件で最高裁は、「司法による表現の事前差し止めは、検閲に当たらない」「個別的な私人間の紛争については、網羅的一般的ではなく検閲に当たらない」とした。
日本ではイエロー・ジャーナリズムに相当する言葉として、「赤新聞」がある。これは煽動的な記事で知られていた新聞「万朝報」の用紙が赤みを帯びていたことに由来する。(政治思想的に赤かったからではない。)
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関連項目
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