エイシンプレストンとは、1997年生まれの元JRA所属の競走馬・元種牡馬である。
香港国際競走でGIを3勝し、「香港魔王」の愛称で人気となった。
通算成績32戦10勝[10-5-2-15](うち国内27戦7勝[7-5-2-13]、海外5戦3勝[3-0-0-2])
主な勝ち鞍
1999年:朝日杯3歳ステークス(GI)
2000年:ニュージーランドトロフィー4歳ステークス(GII)、アーリントンカップ(GIII)
2001年:香港マイル(G1)、毎日王冠(GII)、北九州記念(GIII)
2002年:クイーンエリザベス2世カップ(G1)
2003年:クイーンエリザベス2世カップ(G1)
概要
父:Green Dancer 母:Warranty Applied 母の父:Monteverdiという血統の外国産馬。血統的にはやや父は1991年フランスリーディングサイアーだが、古臭くマイナーな感じを受ける構成である。父の孫のスーパークリークが走っていたのすらこの馬がデビューするより10年も前の話である。
デビュー二戦目で勝ち上がると三戦目に朝日杯三歳ステークスに挑戦。一番人気の公営馬笠松所属レジェンドハンターが早仕掛けから粘り込むところをきっちり差し切りGI初制覇を達成。この勝利は所属していた北橋修二厩舎にとっても初G1勝利となった。
翌年はきさらぎ賞こそ惨敗したが重賞を連勝しNHKマイルカップを本命として迎える…はずだったが骨折が発覚し休養に入った。
幸いにも軽度の骨折で秋には復帰できたものの、ここから泥沼の8連敗を喫する。ダートに挑戦して惨敗、1400mに挑戦し惜敗、得意のマイルでも2着まで…と、朝日杯勝ち馬によくある早枯れ馬なのでは?という疑惑が浮上したが、米子ステークスと北九州記念(当時1800m)を連勝、関屋記念3着を挟み迎えた毎日王冠をこれまた快勝し完全復活して迎えたマイルチャンピオンシップではゼンノエルシドに屈したものの2着に入る。
そして、前走の結果から香港マイルに追加招待を受け受諾、初の海外遠征にして後の安住の地となるシャティン競馬場へと向かった。
追加招待ということもあり6番人気と人気こそなかったが、大外から一気に突き抜け2着に3馬身1/4差をつける大楽勝でGI2勝目を挙げた。この2001年の香港国際競走デーは日本馬が大暴れしたことであまりに有名だが、最も鮮やかに勝ったのはエイシンプレストンの香港マイルである。どうしてもステゴのドラマやデジタルの変態っぷりに隠れがちだが。
翌年は中山記念から始動するも5着、続くレースは香港の春の国際競争クイーンエリザベス2世カップへ遠征。2000mがどうかと思われたがあっさり克服し快勝。アグネスデジタルとワンツーフィニッシュを決めた。
しかし国内では5着、2着、8着、2着と勝ち切れず、活路を見出すべく三度香港、今度は香港カップへ向かったが香港勢や欧州勢も今回は彼のポテンシャルを最大限に警戒しており、完全マークに遭い伸びあぐねて5着に終わる。
翌年は賞金的に使えるレースがないという理由でフェブラリーステークスに出走したがゴールドアリュールから6.2秒離される大惨敗を喫し、ダートがまるでダメであることを再び示してしまった。
次走には連覇を目指しクイーンエリザベス2世カップへ向かうと発表された。時折しもSARS騒動で香港へは行きづらい情勢となっていたが、なんとか出発リミットまでに危険度が下がり出国。 無事出走し見事に連覇を達成した。
2003年はこれがハイライトとなり、 以後は大した見せ場もなく負け続け、年末の香港カップでファルブラヴの7着に敗れ引退した。
余談だがデビュー以来すべてのレースで福永祐一が騎乗した。プレストンのデビュー時まだ若く未熟だった福永にとってもプレストンとのコンビで学んだことはきっと多いはずである。
2004年より種牡馬入りしたが、父が1972年生まれのニジンスキー系種牡馬という古臭い血統な上牝系も強調材料に乏しく、さらに産駒の出来も芳しくなく苦戦、種牡馬場をすぐに出ていくハメになった。香港での実績が高かったため、香港の馬主からも産駒の出来は注目を集めていたが、イマイチだったため購入オファーは来なかった。
オーナーの所有する栄進牧場で細々と種牡馬業をしつつ悠々自適に暮らしていたが、2019年に種牡馬引退。引退名馬繋養展示事業の対象となり、栄進牧場で引き続き余生を過ごす。 種牡馬期間に生産して血統登録に至った頭数は87頭(うち80頭が出走。なお、生産頭数は89、種付け総数は132)。2021年11月時点で現役の競走馬は、佐賀競馬で走っているエイシンリベルタス(2018・牝馬)のみである(後継種牡馬は0、繁殖牝馬になった産駒はいる)。代表産駒はケンブリッジエル(2006・牡馬、主要勝鞍は勝浦特別(3歳以上1000万下)で準オープン止まり)であった。
2025年2月4日、2月2日に亡くなっていたことが報じられた。享年28歳。
折しもかつての相棒の福永祐一が師匠の北橋修二厩舎があった跡地に自らの厩舎を構えた直後であり、それを見届けたのかのようなタイミングであった。
血統表
Green Dancer 1972 鹿毛 |
Nijinsky II 1967 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Flaming Page | Bull Page | ||
Flaring Top | |||
Green Valley 1967 黒鹿毛 |
Val de Loir | Vieux Manoir | |
Vali | |||
Sly Pola | Spy Song | ||
Ampola | |||
Warranty Applied 1986 栗毛 FNo.3 |
Monteverdi 1977 栗毛 |
Lyphard | Northern Dancer |
Goofed | |||
Janina | Match | ||
Jennifer | |||
Implied Warranty 1979 栗毛 |
Blood Royal | Ribot | |
Natashka | |||
Garden Fresh | Better Self | ||
Rosy Fingered |
クロス:Northern Dancer 3×4(18.75%)
関連動画
関連項目
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