ルドルフ1世(Rudolf I)は、ヨーロッパの君主の名前である。
ここでは、神聖ローマ帝国の君主(正式には皇帝ではなく、神聖ローマ帝国の君主号であるドイツ国王)となったハプスブルク家のルドルフ1世(1218年~1291年)について書く。
概要
ヨーロッパ随一の名門として長きにわたり君臨したハプスブルク家も、その出自はスイスの伯爵家であった。
当主ルドルフ3世は、神聖ローマ帝国の皇帝に忠実に仕える与党としてその義理堅さを買われていたが、特にそれ以上でもそれ以下でもない普通の伯爵ではあった。
しかしとある理由で帝国の表舞台に登場することになる。
ドイツ王即位
当時の神聖ローマ帝国は大空位時代といって、簡単にいうと皇帝となるべき人物がおらず、まさに支配下のドイツは混乱の極みにあった。
候補者はいたがどれも一長一短で決め手に欠き、これ以上混乱が続くくらいならば、いっそ誰でもいいので空位は避けようという帝国のドイツ諸侯達は考えるようになった。
この時、有力な諸侯であるマインツ大司教とニュルンベルク城伯が、仲の良いある人物を君主に推挙した。これがルドルフである。
ニュルンベルク城伯は、弱小伯爵だから思い通りになるだろうと踏んだ他の諸侯の賛成を取り付けると、早速ルドルフの所にその知らせを伝えに行った。この後起こったことはこうなる。
,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
(.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
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|l、{ j} /,,ィ//| 『おれはスイスのバーゼルを攻めていたと
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ 思ったらいつのまにかドイツ王に即位していた』
|リ u' } ,ノ _,!V,ハ |
/´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
/' ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ おれも何をされたのかわからなかった…
,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉
|/_/ ハ !ニ⊇ '/:} V:::::ヽ 頭がどうにかなりそうだった…
// 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
/'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐ \ 冗談だとか人違いだとか
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人をバカにするのも大概にしろと訴えると、ニュルンベルク城伯はこのルドルフに真っ先に忠誠を誓い、知らせが本当であることを示した。
こうしてそれまで攻めていたバーゼルと和平を結んで速攻でドイツに向かうことで、ドイツ王ルドルフ1世が誕生した。1273年のことである。
さて戴冠式の時、儀式で使う王笏がなぜか見当たらない。この時ルドルフ1世は近くにあった十字架を手に取り「この世をお救いになる神の象徴が王笏となる」と宣言し、ただの君主ではない機転ぶりを見せつけた。
ハプスブルク家の神君
このドイツ王を快く思わない人物に、ボヘミア王オタカル2世がいた。次の神聖ローマ帝国の君主は自分だと自負する大物であり、その領土はボヘミアだけでなくオーストリア一体まで及んでいた。オーストリアの所領は、彼が22歳の時に50近いババアの女公爵と結婚して、すぐこれをポイ捨てする事でゲットしたものである。
オタカル2世はルドルフ1世の即位式も呼びかけも無視していた。そのうちオーストリアの所領を没収するという知らせが来たのでこれも無視した所、ルドルフ1世とハンガリー王の挟撃にあってしまい、散々にボコられた。ルドルフはドイツでの君主権力の地盤固めや諸侯との友好関係に専念しており、いつの間にただの君主からしたたかな国王に変貌していたのである。
劣勢を打開するためオタカル2世は反ルドルフ勢力の軍勢を結成するとルドルフを攻めた。戦いはオタカル2世優位に進んだかに見えたが…
あらかじめルドルフは伏兵を仕掛けており、思わぬ攻撃を受けたオタカル2世は大敗どころか自分の命まで失ってしまったのである。この時代の西欧は騎士道精神が幅を効かせており、こんな卑怯な戦法を考える者はいなかったのである。
ルドルフはオタカル2世から奪ったオーストリアを自分のハプスブルク家のものとし、オーストリアにおけるハプスブルク家の発展の第一歩を築いたのである。
ルドルフは、それ以前の神聖ローマ皇帝が行っていたイタリアにちょっかいを出すイタリア政策を行わず、ドイツにおける自家の勢力拡張にひたすら集中した。このため、ローマ教皇から神聖ローマ皇帝に戴冠してもらう手続きも行わず、終生ドイツ王のままだった。
ドイツ諸侯はこんなしたたかなルドルフのハプスブルク家勢力拡大を恐れ、彼の死後は別の人物をドイツ王にしている。ハプスブルク家が神聖ローマ皇帝を世襲化するのは2世紀先の話であるが、ともあれ神聖ローマ帝国はある程度の秩序を取り戻すこととなった。ハプスブルク家はまさにルドルフ1世から始まったのである。
余談
- ルドルフ1世のドイツ王選出に貢献したニュルンベルク城伯フリードリヒ3世は、後にプロイセンの君主となるホーエンツォレルン家の人物である。
- ダンテの『神曲』煉獄篇では、ルドルフ1世は「なすべきことをしなかった」と批判されている。
家族
一般にハプスブルク家は多産の家系だが、その元祖はルドルフ1世である。
- アルブレヒト - 父。ハプスブルク伯アルブレヒト4世
- ハイルヴィヒ - 母。キーブルク伯家の出身
- ゲルトルート - 前妻。ホーエンベルク伯家の出身。4男6女を儲ける
- エリザベート - 後妻。ブルゴーニュ公家の出身。子供はなかった
ルドルフ1世の死後、1代置いて長男のアルブレヒト1世がドイツ王に選出された。アルブレヒトもハプスブルク家の勢力拡張に尽くしたが、代官を通じて治めさせていたスイスの自領で独立運動が起きて支配権を失ってしまう。これが「ウィリアム・テル」の題材である。
アルブレヒトは弟ルドルフ2世の子ヨハンに殺されてしまいハプスブルク家は一時衰退するが、その後も同家はオーストリア等の自領統治に専念したり帝国の表舞台に登場したりして勢力を拡大し、15世紀以降に神聖ローマ皇帝を世襲化するのである。
蒼き狼と白き牝鹿
コーエーのシミュレーションゲーム「蒼き狼と白き牝鹿」では、フビライ=ハーンや北条時宗等と同じシナリオで登場。
チンギスハーンIVではなぜか仇敵のオタカル2世・ヴァーツラフ2世親子を配下に従えている(ただし忠誠度激低)、能力に「伏兵」が無いというツッコミどころはあるが、初めは周囲に強敵がいないのでしばらくはルドルフ無双が楽しめる。高齢なのが欠点。
関連動画
関連項目
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