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前田智徳(まえだ とものり、1971年6月14日-)とは、熊本県出身の元プロ野球選手である。現役時代は広島東洋カープに所属した。
概要
OB | |
---|---|
前田智徳 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 熊本県玉名郡岱明町(現:玉名市) |
生年月日 | 1971年6月14日 |
身長 体重 |
176cm 80kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1989年ドラフト4位 |
引退 | 2013年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
かつては俊足が売りで、1992年には18盗塁を記録している。
しかし、1995年にアキレス腱を断裂。それ以降後遺症に悩み続けた。
しかしそこで腐ることなく、今度は打撃でチームに貢献する。
2007年に日本人としては史上38人目となる2000本安打を達成。
地元・熊本県玉名市より市民栄誉賞が送られた。
打撃フォームは素晴らしく、あの落合博満が「前田の打撃フォームはシンプルで無駄がない」「真似していいのは前田だけだ」と絶賛するほどである。
1990年代の広島を支えたかつての戦友が移籍・引退してゆく中で、広島の屋台骨を守り続けた漢(おとこ)。
その姿を見た人は彼のことを「前田神」と呼ぶ。
緒方孝市が引退したことで、生え抜き選手で優勝を経験した最後の一人である。
現在は足の状態などもありもっぱら代打専門ではあるが、ここぞというの場面の代打の切り札として出場している。
最近は昔の前田とは別人のようによく喋る様になった。年齢と共に丸くなったのだろうか。
2012年、代打の切り札としてシーズン中盤まで4割を越す打率を残していた。4月22日の対中日ドラゴンズ戦では、浅尾拓也から史上33人目となる通算350二塁打を記録。7月1日の対横浜DeNAベイスターズ戦での適時打を打ったことで、2012年第7回ジョージア魂賞を受賞した。シーズン打率は.327となり、規定には大きく足りないものの、6年ぶりに打率を3割に乗せた。
2013年4月23日に明治神宮球場で行われた東京ヤクルトスワローズ戦で代打出場時に江村将也から左手首に死球受けた。検査の結果骨折が判明し戦列を離脱。その後はリハビリを続けるも、9月20日に松田元オーナーから引退の了承を得ると、同月27日にマツダスタジアムで引退することを発表した。引退後は評論家として活動する予定。 引退試合は本拠地最終戦1試合前の10月3日(中日ドラゴンズ戦)に行われた。8回から小窪哲也の代打として出場し、ピッチャーゴロ。9回にはマツダスタジアム開場後初めての守備に就いた。ちなみに引退発表を受け、余っていたチケット約1万枚は当日のうちになくなった。
エピソード
- 高3の夏に出場した甲子園の初戦。前田は1回の攻撃でセンター前ヒットを打ったが、ヒットの内容がよくないとベンチで号泣しながら頭を抱え込んでしまった。実は練習試合でもよく見られた光景だが、まさか本番の甲子園の試合でもこうなるとは思わず、監督は必至に説得して守りにつかせたという。
- 熊本工業の後輩が他校の野球部員に殴られたので、それに怒った前田がひとりで乗り込み全員ぶちのめしたという。しかしこれは噂に尾ひれが付いているとも言われており、実際は抗議しに行っただけとも言われる。しかし獲得を決めていた広島には「暴力事件を起こした前田の獲得をやめろ」という手紙が届いたのは事実。
- 広島のスカウトが獲得の挨拶に前田を訪ねていったら、合宿所の押し入れに閉じこもり号泣して出てこなかった。地元のホークスに指名されなかったのが悔しかったらしい。スカウトは「我々は獲得の約束を守ったのだから、お前も男ならワシに顔をみせんかい!」と思わず一喝したという。
- 同期入団の浅井樹とはガンを飛ばし合ったり、殴り合いするほどの犬猿の仲であったが、時がたち同年代の選手が引退していくにつれて、お互いの蟠りがとけた。そして浅井の引退式の時は花束を渡したとき、人目も憚らず浅井の胸で号泣した。
- 1992年9月13日東京ドームで行なわれた巨人戦。この試合は200勝まであと2勝としていた北別府学が先発であったが、川相昌弘の打球を取り損ねてしまいランニングホームランを許して同点となってしまい、北別府は勝利投手の権利を失った。8回表で前田は逆転となる本塁打を打つも前田は泣いていたという。その理由はミスをした直後にミスを取り返さねばならないのに、直後の打席ではセンターフライに倒れてしまい自分に負けたからという理由である。この試合は広島が勝ち前田がヒーローに選ばれたが「ミスした人間がヒーローになるのはおかしい」と言って固辞した。
名言集
- 「いや、来た球を打つんですよ」
当時の達川光男・広島東洋カープ監督が練習中に「お前はどんな球を待ってるんだ?」ときいてきたときの答え。
達川をして「こいつは天才だ」と唸らせた一言。 - 「前田智徳という打者はもう死にました」(1996年)
アキレス腱断裂により、憔悴していた時の一言。
走攻守において完璧なプレーを信条としていた前田にとって、ある程度の後遺症は免れないアキレス腱断裂はよほどショックだったらしく、これ以外にも「今打ってるのは、前田の弟なんです」「もう前田はいないんです」などと発言している。 - 「お前に言われんでも分かっとる!」(1998年)
「頑張って」という女性ファンの一言にキレた時の怒号。実際はマスコミやファンの誇張がかなり入っており、どこまで本当かは不明だが、インパクトが強いため前田の代名詞となっている。
野球関連、特に広島や前田関連の動画には、お前に言われんでもマイリストというタグがつけられる。 - 「今日という日は一生忘れないと思います」(2007年)
2000本安打を達成した日のインタビューにて。 - 「この広島で、広島東洋カープで一途に野球ができたことを誇りに思っています。カープは16年ぶりにAクラスに入ることができました。監督さんを始め、コーチ、裏方さんが力を合わせて若い選手を、ベテランを指導してここまでこれたと思います。自分がこの中にいないというのは非常に悔しいですが、この節目をこれから強いカープとなって、未来のカープが明るいことを願って、今日をもって引退します。応援してくれたファンの皆さん、支えてくれたすべての方々に感謝いたします。長い間、本当にありがとうございました。」(2013年)
引退セレモニーでの、最後の言葉。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
広島 | 応援歌のピコカキコ一覧#233 | 8919 |
年度別打撃成績
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990年 | 広島 | 56 | 45 | 43 | 15 | 11 | 3 | 0 | 0 | 14 | 5 | 4 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | .256 | .273 |
1991年 | 129 | 465 | 395 | 54 | 107 | 21 | 4 | 4 | 142 | 25 | 14 | 30 | 4 | 31 | 5 | 57 | .271 | .329 | |
1992年 | 130 | 585 | 493 | 82 | 152 | 23 | 3 | 19 | 238 | 89 | 18 | 30 | 6 | 54 | 2 | 51 | .308 | .375 | |
1993年 | 131 | 568 | 499 | 85 | 158 | 33 | 2 | 27 | 276 | 70 | 10 | 10 | 2 | 61 | 3 | 63 | .317 | .392 | |
1994年 | 123 | 554 | 492 | 66 | 158 | 26 | 0 | 20 | 244 | 66 | 4 | 4 | 2 | 57 | 0 | 56 | .321 | .389 | |
1995年 | 25 | 99 | 86 | 15 | 22 | 4 | 1 | 4 | 40 | 11 | 3 | 3 | 0 | 10 | 2 | 12 | .256 | .343 | |
1996年 | 105 | 435 | 396 | 54 | 124 | 20 | 2 | 19 | 205 | 65 | 0 | 0 | 0 | 34 | 2 | 61 | .313 | .368 | |
1997年 | 100 | 419 | 382 | 55 | 116 | 23 | 1 | 15 | 186 | 68 | 1 | 0 | 7 | 28 | 2 | 35 | .304 | .348 | |
1998年 | 127 | 551 | 504 | 71 | 169 | 36 | 0 | 24 | 277 | 80 | 5 | 0 | 2 | 41 | 4 | 54 | .335 | .388 | |
1999年 | 108 | 428 | 392 | 53 | 118 | 17 | 0 | 12 | 171 | 65 | 1 | 2 | 5 | 25 | 4 | 36 | .301 | .345 | |
2000年 | 79 | 284 | 262 | 32 | 62 | 14 | 0 | 13 | 115 | 44 | 0 | 1 | 3 | 18 | 0 | 39 | .237 | .283 | |
2001年 | 27 | 30 | 27 | 1 | 8 | 2 | 0 | 0 | 10 | 7 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | .296 | .367 | |
2002年 | 123 | 462 | 422 | 50 | 130 | 11 | 1 | 20 | 203 | 59 | 0 | 0 | 2 | 37 | 1 | 38 | .308 | .364 | |
2003年 | 128 | 473 | 427 | 50 | 124 | 14 | 2 | 21 | 205 | 71 | 2 | 5 | 3 | 35 | 3 | 45 | .290 | .346 | |
2004年 | 121 | 438 | 407 | 45 | 127 | 28 | 1 | 21 | 220 | 70 | 2 | 1 | 2 | 23 | 5 | 38 | .312 | .355 | |
2005年 | 146 | 590 | 540 | 77 | 172 | 25 | 1 | 32 | 295 | 87 | 1 | 0 | 0 | 44 | 6 | 43 | .319 | .376 | |
2006年 | 134 | 522 | 472 | 66 | 148 | 22 | 1 | 23 | 241 | 75 | 2 | 2 | 3 | 40 | 5 | 42 | .314 | .371 | |
2007年 | 124 | 446 | 414 | 41 | 118 | 17 | 0 | 15 | 180 | 71 | 1 | 0 | 4 | 20 | 8 | 31 | .285 | .327 | |
2008年 | 84 | 186 | 174 | 11 | 47 | 4 | 1 | 4 | 65 | 29 | 0 | 0 | 2 | 8 | 2 | 24 | .270 | .306 | |
2009年 | 0 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | .--- | .--- | |
2010年 | 68 | 86 | 77 | 5 | 17 | 3 | 0 | 2 | 26 | 19 | 0 | 0 | 2 | 6 | 1 | 19 | .221 | .279 | |
2011年 | 52 | 51 | 44 | 0 | 11 | 3 | 0 | 0 | 14 | 13 | 0 | 0 | 1 | 5 | 1 | 8 | .250 | .333 | |
2012年 | 56 | 56 | 49 | 1 | 16 | 4 | 0 | 0 | 20 | 19 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 5 | .327 | .375 | |
2013年 | 12 | 12 | 11 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | .364 | .417 | |
通算:23年 | 2188 | 7785 | 7008 | 929 | 2119 | 353 | 17 | 295 | 3391 | 1112 | 68 | 95 | 20 | 586 | 57 | 765 | .302 | .358 |
表彰
表彰 | ||
---|---|---|
ベストナイン | 4回 | 1992年-1994年、1996年 |
ゴールデングラブ賞 | 4回 | 1991年-1994年 |
月間MVP | 4回 | 1992年9月、1998年4月・8月、2000年4月 |
カムバック賞 | 1回 | 2002年 |
オールスターMVP | 1回 | 2005年 |
広島県民栄誉賞 | 1回 | 2007年 |
ジョージア魂賞 | 1回 | 2012年 |
関連動画
球界を代表した打者だけあって動画の数もかなりのもの
関連商品
関連項目
- プロ野球選手一覧
- 広島東洋カープ
- お前に言われんでも分かっとる!
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