概要
1929年9月3日生まれ、青森県青森市出身。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)卒。
1954年、友人の誘いで特撮映画『ゴジラ』にアルバイトとして参加して以降、映画の美術スタッフとして活動するようになる。
1965年春、円谷特技プロダクションの契約社員となり、特撮テレビドラマ『ウルトラQ』の第2クールから美術監督を担当する。続く円谷プロ作品『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『マイティジャック』でも、キャラクター・メカニックデザイン・特撮セットのデザインを手掛けた。
1968年春、『セブン』『MJ』の現場スタッフとの不和が原因で円谷プロを退社。『セブン』は第29話を以て中途降板となった。
その後は、全国各地で個展を開催したり、多くの映画作品で美術監督として活動した。
大阪万博の「太陽の塔」内部の「生命の樹」のデザインも手掛けている。
ウルトラシリーズについて
とにもかくにも初代ウルトラマンと、それと戦う多様な怪獣・宇宙人のデザインを手掛けた事で知られ、半世紀も続く第一期ウルトラシリーズの絶対的なまでの人気に大きく貢献している。
『ウルトラマン』では、当初怪獣が主人公として設定されており、渡辺明によって烏天狗の様な怪獣がデザインされていたが、企画が進むにつれ「宇宙人」に変更され、円谷プロ企画部の金城哲夫から「いまだかつてない格好のいい美しい宇宙人が欲しい」というオーダーを受ける。
これを受けて、角の生えたダイヤモンドカットの髭の宇宙人(レッドマン)を経て、
- 宇宙服をモチーフとした身体にぴったりフィットしたスーツと、宇宙ロケットを思わせる銀色のボディ
- ヘルメットをベースとし、人の顔から余分なものを徹底的にそぎ落したマスクデザイン
- アルカイックスマイルをヒントにした口元
という特徴を持った、全く新しい宇宙人・ウルトラマンのデザインを生み出した。
「新しいデザインは必ず単純な形をしている。人間は考えることができなくなると、ものを複雑にして堕落してゆく」と語り、斬新ながらもシンプルなデザインに拘っていた。徹底的に引き算を繰り返して生まれたウルトラマンのデザインは、それを象徴していると言えよう。
また、自身のデザインには存在せず、現場の判断で加えられざるを得なかった「カラータイマー」と「覗き穴」を大変嫌っていたのは有名な話。
ヒーローと戦う怪獣についても、奇形や体が破損しているようなグロテスクなデザインは子供番組に適さないと考え、
という三原則を自らに課し、あらゆる生物・無生物をモチーフに自由に融合・変形させ、ユニークで独創的ながらも整然さを併せ持つ、魅力溢れる怪獣たちを多数生み出した。
侵略宇宙人のデザインについて「地球人にとっては悪でも、彼の星では勇者であり正義なのだから、『不思議な格好よさ』がなければいけない」と語っている。
『ウルトラマン』では、諸事情で成田のデザインしたジェットビートルが撮影に間に合わなかったこともあって、次作の『セブン』ではトータルデザインを重要視し、ウルトラホークなどの主力メカや隊員服、ビデオシーバーなどのプロップ、極東基地全体の構造図、基地作戦室のパーマネントセットなどを一貫して手掛け、作品の世界観構築に絶大に貢献した。
以上の仕事ぶりから、ウルトラシリーズにおいて不可欠な存在であったが、当時は円谷プロ社員として参加していた為に著作権が認められず、円谷プロ幹部が度々「初期ウルトラシリーズのヒーローや怪獣、メカのデザインは、当時のスタッフみんなで考えた」と主張していた事もあって、円谷プロとの対立が表面化していた。
円谷英明の『ウルトラマンが泣いている』では、事態が非常に複雑化していた事が語られている。
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