景気循環(business cycle)とは、経済学の言葉である。関連する言葉は好景気と不景気であり、それらの言葉についても本記事で解説する。
概要
定義
需要ショックや供給ショックによって実質GDPや失業率が変動することを景気循環という[1]。
好景気と不景気
景気循環のなかには好景気と不景気が含まれる。それらについては本記事で後述する。
景気循環についての判断の発表
景気循環についての判断を発表することは様々な団体が行っている。
アメリカ合衆国では全米経済研究所(NBER)が景気循環についての判断を定期的に発表している[2]。
日本では内閣府や日本銀行や日本経済研究センター(JCBR)が景気循環についての判断を定期的に発表している。
経済学者によって重視される
経済学者が国家の経済の状況を測定するときに最も頻繁に使う経済統計は、実質GDPとインフレ率と失業率の3つである[3]。そして経済学者は、実質GDPとインフレ率と失業率の中で実質GDPを最も重視する[4]。1人あたり実質GDPが少ない国と1人あたり実質GDPが多い国を比べると、後者は子どもの栄養状態から1戸あたりのテレビの台数まで何でも満たされている[5]。「実質GDPが大きければすべての国民が幸福になる」とまでは保証できないが、マクロ経済学者の提案できる幸福への最良の秘訣は大きな実質GDPである[6]。このため、「実質GDPは経済学において最も重要な地位を占めている」と表現することができる。
そして、景気循環は実質GDPが変動する現象なのだから、「景気循環は経済学において最も重要な研究対象である」と表現することができる。
実質GDPと失業率の関係
実質GDPは経済全体の状況を測る最も広義の尺度なので、景気循環を調べるにあたっての自然な出発点である[7]。
そして「失業率は実質GDPと負の相関関係があり、失業率が上がるときは実質GDPが下がり、失業率が下がるときは実質GDPが上がる」と考えられている。このことを最初に研究した経済学者はアーサー・オークンであり、失業率と実質GDPの負の相関関係はオークンの法則として知られている。
アメリカ合衆国はオークンの法則が綺麗に発動しているが、日本はオークンの法則があまり綺麗に発動していない[8]。
日本の失業率の変化はアメリカ合衆国の失業率の変化に比べて顕著に小さい[9]。そうしたことがオークンの法則の発動の少なさに影響している。
景気循環の予測
企業や政府の中には景気循環を予測する仕事を行う人がいる。そうした人たちは様々な先行指標(leading indicators)を用いて景気循環を予測している。
人ごとに景気循環の予測が異なることが多いが、その理由の1つは、人ごとに重視する先行指標が異なるためである[10]。
アメリカ合衆国のコンファレンス・ボード(全米産業審議会)は、10種類の先行指標を採用し、その先行指標を独自に分析して先行指標指数を毎月発表している。その10種類の先行指標は次のものである[11]。
- 製造業生産労働者の週あたり労働時間
- 失業保険の週あたり新規申請数
- 消費財・原材料の新規注文
- 非軍事の資本財の新規注文
- 供給者出荷指数
- 新規建築許可件数
- 株価指数
- マネーサプライ(M2)
- 長短金利差(10年物国債と3ヶ月物国債の利回り格差)
- 消費者信頼指数
いずれの先行指標も、実質GDPや失業率を直接的に表すものではない。
好景気
定義
正の需要ショックや有利な供給ショックによって実質GDPが増えて失業率が低下することを好景気という。
名称
好景気の類似語として、好況、活況などがある。
景気拡大局面と見なされる条件
実質GDPは、ある期間における国内の財・サービスの生産量を総合した数値である。
そして、1年を1月~3月の第1四半期と4月~6月の第2四半期と7月~9月の第3四半期と10月~12月の第4四半期の4つに分割し、それぞれの四半期における実質GDPを前年の同じ四半期の実質GDPと比較し、それぞれの四半期における「実質GDPの対前年同期比」を計算する。
それまでの複数の四半期で連続して実質GDPの対前年同期比が減り続けていたのに、四半期Aにおいて実質GDPの対前年同期比が前の四半期よりも増え、四半期Aの次の四半期Bで実質GDPの対前年同期比が四半期Aよりもさらに増えたとき、四半期Aを「景気循環の谷」と表現して「四半期Aから景気拡大局面に入った」と表現することが多い。
日本の好景気
日本の好景気の中で有名なものとして以下のものを挙げることができる。
- 大戦景気 1914年~1918年にかけて欧州で行われた第一次世界大戦の特需
- 朝鮮特需 1950年から1953年まで朝鮮半島で行われた朝鮮戦争の特需
- 神武景気 1954年から1957年まで
- 岩戸景気 1958年から1961年まで
- オリンピック景気 1964年 この年に東京オリンピックが開催されている。
- いざなぎ景気 1965年から1970年まで
- 平成景気 1986年から1991年まで。バブル景気の典型例とされる。
不景気
定義
負の需要ショックや不利な供給ショックによって実質GDPが減って失業率が上昇することを不景気という。
名称
不景気の類似語として、景気後退とか不況とか恐慌などがある。
N・グレゴリー・マンキューの経済学の教科書では、不景気という表現が使われず、景気後退と不況という表現が使われている。
英語での名称
英語では不景気のことをrecession(リセッション)とかdepression(デプレッション)とかslump(スランプ)という。
recessionはGDPの成長率が極めて低い状態の期間が少なくとも数か月間は続く状態をいう。depressionはrecessionより深刻な場合に用いられ、年単位で続く不況を指す。slumpはこの2語のくだけた言い方である[12]。
recessionを景気後退と翻訳することが多く、depressionを不況とか恐慌と翻訳することが多い。
N・グレゴリー・マンキューの経済学の教科書の日本語版では、recessionを景気後退と翻訳し、depressionを不況と翻訳し、the DepressionやThe Great Depressionを大恐慌と翻訳している[13]。
景気縮小局面や景気後退と見なされる条件
実質GDPは、ある期間における国内の財・サービスの生産量を総合した数値である。
そして、1年を1月~3月の第1四半期と4月~6月の第2四半期と7月~9月の第3四半期と10月~12月の第4四半期の4つに分割し、それぞれの四半期における実質GDPを前年の同じ四半期の実質GDPと比較し、それぞれの四半期における「実質GDPの対前年同期比」を計算する。
それまでの複数の四半期で連続して実質GDPの対前年同期比が増え続けていたのに、四半期Aにおいて実質GDPの対前年同期比が前の四半期よりも減り、四半期Aの次の四半期Bで実質GDPの対前年同期比が四半期Aよりもさらに減ったとき、四半期Aを「景気循環の山」と表現して「四半期Bから景気縮小局面に入った」と表現することが多い。
ある四半期において実質GDPの対前年同期比が前の四半期よりも減っているのなら、その四半期は「景気縮小局面の四半期」と表現することが多い。
2つの連続する四半期において実質GDPの対前年同期比がいずれもマイナスになったとき、その2つの四半期を景気後退と見なすのが昔からの概算法である[14]。この定義による景気後退は「technical recession(機械的に認定された景気後退)」と呼ばれる。ただし、その条件を満たさなくても景気後退と認定されることがある。2001年のITバブル崩壊のときは、実質GDPの対前年同期比がマイナスになった四半期が存在しないのに、全米経済研究所(NBER)は景気後退と見なした[15]。
景気縮小局面に入っているが景気後退には該当しない四半期というものがある。200X年において、実質GDPの対前年同期比が第1四半期で5%になり、第2四半期で6%になり、第3四半期で4%になり、第4四半期で2%になったとする。この場合、第2四半期が景気循環の山になり、第3四半期から第4四半期までは景気縮小局面になるが景気後退には該当しない。
デフレ不況とスタグフレーション
負の需要ショックによってデフレーションを伴う不景気になることをデフレ不況などという。
不利な供給ショックによってインフレーションを伴う不景気になることをスタグフレーションという。
日本の不景気
日本の不景気の中で有名なものとして以下のものを挙げることができる。
- 戦後恐慌 1920年に発生した。大戦景気の反動とされる。
- 震災恐慌 1923年に発生した。この年に関東大震災が発生し、多くの企業の経営が苦しくなった。
- 昭和金融恐慌 1927年に発生した。銀行の不良債権が多く発生した。
- 昭和恐慌 1930年に発生した。1929年にアメリカ合衆国で世界恐慌が発生しその影響を受けた。
- 鍋底不況 1957年に発生した。神武景気の反動とされる。
- 第一次オイルショック 1973年に発生した。スタグフレーションの典型例とされる。
- 第二次オイルショック 1979年に発生した。スタグフレーションの典型例とされる。
- 平成不況 1992年に発生した。平成景気の反動とされる。銀行の不良債権が多く発生した。
関連項目
脚注
- *『マンキュー マクロ経済学Ⅰ 入門編 第3版(東洋経済新報社)N・グレゴリー・マンキュー』255ページ、280ページ
- *『マンキュー マクロ経済学Ⅰ 入門編 第3版(東洋経済新報社)N・グレゴリー・マンキュー』257ページ
- *『マンキュー マクロ経済学Ⅰ 入門編 第3版(東洋経済新報社)N・グレゴリー・マンキュー』5ページ、26ページ
- *『マンキュー マクロ経済学Ⅰ 入門編 第3版(東洋経済新報社)N・グレゴリー・マンキュー』65ページ
- *『マンキュー マクロ経済学Ⅰ 入門編 第3版(東洋経済新報社)N・グレゴリー・マンキュー』65ページ
- *『マンキュー マクロ経済学Ⅰ 入門編 第3版(東洋経済新報社)N・グレゴリー・マンキュー』65ページ
- *『マンキュー マクロ経済学Ⅰ 入門編 第3版(東洋経済新報社)N・グレゴリー・マンキュー』257ページ
- *『マンキュー マクロ経済学Ⅰ 入門編 第3版(東洋経済新報社)N・グレゴリー・マンキュー』260~261ページ
- *『マンキュー マクロ経済学Ⅰ 入門編 第3版(東洋経済新報社)N・グレゴリー・マンキュー』261ページ
- *『マンキュー マクロ経済学Ⅰ 入門編 第3版(東洋経済新報社)N・グレゴリー・マンキュー』262ページ
- *『マンキュー マクロ経済学Ⅰ 入門編 第3版(東洋経済新報社)N・グレゴリー・マンキュー』262~263ページ
- *『ジーニアス英和辞典第5版(大修館書店)』のrecessionの項目
- *『マンキュー マクロ経済学Ⅰ 入門編 第3版(東洋経済新報社)N・グレゴリー・マンキュー』293ページ、296ページ、352ページ
- *『マンキュー マクロ経済学Ⅰ 入門編 第3版(東洋経済新報社)N・グレゴリー・マンキュー』258ページ
- *『マンキュー マクロ経済学Ⅰ 入門編 第3版(東洋経済新報社)N・グレゴリー・マンキュー』259ページ
- 1
- 0pt
- ページ番号: 5722866
- リビジョン番号: 3380566
- 編集内容についての説明/コメント:

