一国の利益のみを主張せずに
政治経済を道徳と一致せしめて
真正なる世界の平和を招来せんことを
真心を込めて切り開いた彼ら道の先を歩んでいるのは
諸君と共に努めたいのであります
概要
渋沢栄一(1840~1931)は明治・大正期の日本で活躍した実業家で、約500社の企業を設立した日本近代資本主義の父である。社会事業や国際親善にも貢献した。
2019年、数年後の紙幣刷新に伴い、新一万円札の肖像に選出されたことが発表された。2024年7月から渋沢の肖像画が描かれた一万円札の流通が始まった。
略歴
1840年(天保11年)2月、武蔵国血洗島(現:埼玉県深谷市血洗島)に大農家の長男として生まれる。栄一は若い頃幕藩体制に疑問を抱き尊王攘夷運動に参加。一時は高崎城乗っ取りも計画した。しかし、栄一の才能に気がついた一橋家の用人、平岡円四郎の勧めもあり尊王攘夷から一転、一橋家に仕えた。1867年(慶応3年)、栄一は徳川慶喜の名代・徳川昭武に随行して渡欧。パリ万博も見学。約1年半にも渡る滞在によりヨーロッパ社会の文化や思想に影響を受ける。
1868年(明治元年)11月に帰国後、静岡に謹慎中の慶喜に仕官を要請されるも固辞。日本で最初の合本(株式)組織「商法会所」を静岡に設立する。翌年、大隈重信の強い説得により明治新政府の大蔵相に仕え、明治政府初期の税制・貨幣・銀行などの国家財政・経済の確立に取り組む。しかし、財政運営で大久保利通らと意見が合わず辞職。以後は自ら経済界に入り、日本を経済の面で欧米諸国に引けを取らない国にしようと邁進する。そして第一国立銀行(現:みずほ銀行)など約500社の設立・運営に関与した。
栄一は社会事業にも熱心に働いた。東京市養育院(身寄りのない孤児や老人を養う施設)、東京慈恵医院(現:東京慈恵会医科大学付属病院)、財団法人聖路加国際病院、日本結核予防協会など600もの社会事業に関与する。晩年には救護法の制定にも尽力した。また、実業家の養成も重視し、東京商法講習所(現:一橋大学)の経営や日本女子大学校(現日本女子大学)の創設委員にもなっている。
設立に関わった主な企業・団体
- 第一国立銀行(現:みずほ銀行)
- 東京海上火災保険(現:東京海上日動火災保険)
- 王子製紙(現:王子製紙・日本製紙)
- 田園都市(現:東京急行電鉄)
- 秩父鉄道
- 京阪電気鉄道
- 東京瓦斯
- 秩父セメント(現:太平洋セメント)
- 帝国ホテル
- 東京証券取引所
- 麒麟麦酒
- サッポロビール
- 時事通信社
- 共同通信社
- 一橋大学
- 東京経済大学
- 日本女子大学
- 東京女学館
- 日本赤十字社
関連動画
関連項目
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