田原俊彦とは、トシちゃんの愛称で知られるエンターテイナーである。
概要
1961年2月28日生まれ 神奈川県横須賀市生まれで山梨県甲府市育ち
1979年、ジャニーズ事務所所属でテレビデビュー。その後「3年B組金八先生」第1期に生徒役として出演。同時期にジャニーズから生徒役として出演していた野村義男、近藤真彦らと共にたのきんトリオと呼ばれ人気を集める。
「金八先生」放送終了後から3ヶ月後の1980年6月、「哀愁でいと」で歌手デビューし、日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞。そこから約10年間、38作品連続でオリコンシングルチャートトップ10に名を刻み、1982年にはブロマイド写真年間売上数が男性芸能人でトップになるなど、昭和末期を代表する男性アイドルとして活躍。各局の音楽番組にも高頻度で出演を続け、TBS系「ザ・ベストテン」では、最多出演記念の青い特注ソファーがスタジオに飾られた。
1993年10月の結婚を経て、1994年3月にジャニーズから独立後も、毎年のようにコンスタントに新曲をリリース、またライヴやディナーショーも精力的にこなしている。50歳を迎えても、脚を高く蹴り上げる決めポーズやターンの切れは、見た目に衰えを感じさせないどころか、進化したように見えるときもある。
トシちゃんを語る際には、1994年2月14日の長女の誕生日が外せないエピソードの1つとなりつつある。
結婚発表の前後から、マスコミとの仲が悪化しつつあったこの時期。夫人の出産が近いと聞きつけ、入院していた病院に大挙と押し寄せた記者たちへの皮肉も込めて、“隠密にやりたかったけど、僕くらいビッグになると無理なんすね(笑)”(要約)とコメントを残す。その場にいた大多数はジョークと受け止めていたが、発言を真に受けた記者がかみついたことで空気が悪化。後世における「別に…」状態となってしまい、メディア露出が大幅に減ってしまった。
ちなみに、この日生まれた長女(田原可南子)は、当初は綾乃美花の芸名でスターダストプロモーションに所属。2011年のミスマガジンで準グランプリを受賞した。2024年に結婚し、高良健吾がトシちゃんの娘婿となった。
なお、ジャニーズ事務所所属時代の合宿所での逸話は後輩が各所で話をしているため有名である。部屋は一番広く、冷蔵庫には「104(トシ)」と書かれたものが入れられていた。諸星和己などは「104」と書かれたものを間違って消費してしまって怒られたことがある。
ディスコグラフィー
関連動画
その他
関連静画
関連項目
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