真如苑とは、日本の新興宗教であり、真言宗系の在家仏教教団である。
概要
略歴
1936年2月8日に伊藤真乗が立教し、3月に立照閣という宗教団体を立ち上げた。
1938年に伊藤真乗が東京都立川市柴崎町1丁目2番13号に真言宗醍醐派・立川不動尊教会という寺を設立した。
1941年に宗教団体法が施行されて真言宗の全ての宗派が統合されたので、寺名が真言宗・立川不動尊教会になった。
1946年に、真言宗から離れて独立し、寺名が立川不動尊教会になった。
1948年に「まこと教団」という宗教団体を設立し、寺名を立川不動尊教会から真澄寺に変更した。
1950年8月に伊藤真乗が「弟子に対して修行を名目に傷害行為を働いた」として逮捕された。まこと教団の教務総長だったが不祥事で教団から追放されていた人物が、教団から追放された後に「伊藤真乗にやられた」と警察に通報したものである。1審では懲役1年の判決で2審では懲役8ヶ月・執行猶予3年となった。
1951年に真如苑という団体名に改称した。1953年に宗教法人として認証された。
1989年に伊藤真乗が他界したので、その三女の伊藤真聰(しんそう)が真如苑の苑主となり、主導者になった。
教義
かなり長くなるので、本記事の『教義』の項目を参照のこと。
戒律が緩い
在家信者で構成される仏教教団である。このため、苑主(指導者)以下の全員が髪を伸ばしている。また、苑主(指導者)のような高僧も結婚して子どもを作ることが可能である。
教義は真言宗醍醐派を軸として様々な宗教・思想を取り入れたものである事がうかがわれる。そして開祖の伊藤真乗は、父親が曹洞宗の信者であると同時に易学者で、母親が天理教で、自分自身は理系の技術者である。さらに伊藤真乗はキリスト教の教会に通ったこともある。
このため真如苑は、異教徒に対して攻撃的・排他的になることがあまり見られない。「キリスト教系の高校に進学しようと思うんですがどうでしょうか」と相談したら真如苑の霊能者(幹部)から「他宗教のことを学ぶのも良いでしょう」とアドバイスされたという例がある[1]。
選挙の時に「この候補者に投票しよう」と信者に呼びかけることをせず、組織票を作らない(記事)。
このため、総じていうと、戒律・規律が緩めで自由主義なところがある。
人間関係の点では今一つ自由ではなく、縦社会である
真如苑に入信するには、紹介者が必要である。親戚や友人に真如苑の信者がいる場合はその人に紹介者になってもらう。そうでないのなら、まず真如苑の宗教施設に行って、真如苑の信者たちが行う早朝掃除などのボランティアの開催地などを教えてもらう。そしてそのボランティアに参加し、そこで真如苑の信者の友人を作り、その人に紹介者になってもらう。
新たに入信した信者にとって、紹介者は「導き親」となり、自らは「『導き親』の子」となる。導き親と子の関係は継続し、導き親は子の教化の手助けをする。
ある信者にとって、「導き親」は1人だけ存在し、「子」は自らの布教意欲にともなって増えていく。
ある信者が熱心に布教しているかどうかを教団が判定するときは、その信者の「子」の数を見る。「子」が多い信者ほど熱心に布教していることになる。つまり、真如苑の中で霊位(階級)を上げて出世していくには「子」の数を増やす必要がある。
信者にとって、「導き親」や「子」が気の合う人なら良いのだが、気が合わない人なら望ましくないことになる。「導き親」や「子」との人間関係に疲れて真如苑を退会する例も見られる。
信者にとって、「導き親」や「子」以外の信者と交流を持つことはあまり多くないという。このため真如苑は縦社会といわれることが多い。横に広く交流を持ちたい人にとっては今一つの宗教団体といえる。
霊位(階級)と接心(アドバイス)
真如苑では信者の階級のことを霊位という。霊位は4つあり、下から順にいうと、大乗・歓喜・大歓喜・霊能(霊能者)である。布教して人を勧誘しつつ相乗会座という修行に参加して条件を満たすと、霊位を上げることができる。
大乗・歓喜・大歓喜は霊言というアドバイスを受ける立場であるが、霊能者は霊言を与える立場になる。このため「霊能者はキリスト教の神父・牧師のような存在」と考えてよい。
真如苑では、接心と呼ばれる瞑想修行を行う。接心は、日常生活における自分の心の在り方を見つめ直すものである。まずは霊能者を通して霊言というアドバイスを受ける「有相接心」を受け、そのあとに霊言について考えて日常生活の中で実践していく「無相接心」を行う。
そして、信者は好みの霊能者を選ぶことができない。この点でも自由度が低い宗教団体という印象がある。
経営姿勢
お手頃の安い価格のサービス・グッズ・書籍をチョコチョコとこまめに販売してくる宗教団体としても知られている。つまり、なかなか商売上手な宗教団体ということである。「真如苑への少額献金を繰り返す家族がいて、『塵も積もれば山となる』という状態になっており、ちょっと困っている」という例もしばしば見られる。ただし、「真如苑被害者の会」というような団体が結成された例は今のところ見られていない。
「Shinnyoアプリ」をケータイに入れて使うと、「真如苑予約サイト」に接続して接心の予約を取ることができる。このように、現代の時流にしっかり乗ったビジネス感覚あふれる宗教団体である。
2022年現在の日本は、人口減少の波に飲み込まれており、そしてSNSが普及している。このためさまざまな宗教団体において信者数が減少している。しかし真如苑は信者数が増え続けており、「宗教業界の勝ち組」などと表現されている。
行事とボランティア活動
真如苑の行事の中で有名なものは灯籠流しである。5月にハワイで行い(動画)、8月の旧盆の送り盆に富士河口湖で行われている(動画)。
また、真冬の1月2日の大寒から2週間ほどかけて寒修行を行う。開祖の伊藤真乗・伊藤友司夫妻が行った寒修行を真似るものである。お経を読んで瞑想する。最終日は2月4日の節分になり、みんなで豆まきをする。
真如苑は早朝奉仕と呼ばれるボランティア活動を重視している。これは公共の場所の清掃をするものである。
拠点
総本部は親苑とも呼ばれていて、東京都立川市柴崎町1丁目2番13号にある(地図)。JR立川駅から歩いて15分ほどのところにある。
JR立川駅からさらに北に離れたところには、日産自動車村山工場跡がある。真如苑はその土地の一部分を買い取っており、真如ヤーナ体育館という施設を作っている(地図)。
ちなみに、真如苑の信者は、真如苑の施設に行くことを「帰る」「帰苑する」という。自宅にいる信者が「よし、帰るか」とか「帰苑しよう」と言いつつ真如苑の施設へ行くことがある。
真如苑の信者が施設に入るときは、紫色の襟袈裟を首に掛ける(画像)。
教義
経典と本尊
最も重視する経典は大般涅槃経であり、その他に妙法蓮華経や大般若経も重視する。これら3つの経典を真如三部経と呼ぶ。
本尊は、開祖の伊藤真乗が自ら削って作った大涅槃尊像で(動画)、床に横になって寝そべっている釈迦牟尼仏(お釈迦様)の様子を表した像である。
真如苑といえば、金色のゴロ寝したお釈迦様の像を連想する人が多い(画像)。
異教を取り入れている
真言宗醍醐派を受け継いだ儀式をするが、キリスト教や易学やスピリチュアリズムの影響を受けている事がうかがわれる。
そもそもの話をいうと、「真言宗というものは本来の仏教にバラモン教の要素を取り入れたものである」と言われることがある[2]。
「霊」という表現を好む
真如苑というと、「霊」という漢字を好み「霊界」「霊言」「霊能」という用語を使う宗教団体である。
一方で、真如苑が重視する経典の1つは妙法蓮華経であるが、この経典には「霊」「霊魂」という表現が全くと言っていいほど見られない。妙法蓮華経を重視する仏教の僧侶には「霊という言葉を極力使わないようにしている」という人もいるほどである。
このため真如苑は、「仏教経典だけにこだわらず『霊』という概念も取り入れている団体」と表現できる。
ちなみに、日本では、真如苑のように「霊」という概念を導入する仏教団体もいるし、「霊」という概念を導入しない仏教団体もいる(記事)。
両童子の抜苦代受
真如苑では、開祖の伊藤真乗・伊藤友司夫妻の夭折した2人の息子を両童子と呼んでいる。そして、「霊界にいる両童子が信者の苦しみを身代わりとなって引き受けてくれる」としている。これを抜苦代受と呼んでいる。
これはキリスト教の教義と非常に似た考えである。キリスト教では「イエス・キリストは死ぬことによって全人類の原罪を浄化した」などと説いている。
仏教の教団に広く見られる共通点は、「苦悩の原因は煩悩である」とか「苦悩の原因は無明(無知)である」と説いてから「煩悩を滅ぼしたり知恵を得るために修行をしましょう」と奨めてくるところである。そして「修行をすると苦悩から解放されます。修行をしないと苦悩したままです」と論理が展開されていく。そのため、「誰かが苦悩を身代わりになって引き受けてくれます」と論理を展開することは、仏教教団においてあまり行われないのであるが、真如苑は仏教教団としては珍しく「誰かが苦悩を身代わりになって引き受けてくれます」という。
輪宝マーク
真如苑の紋章というと輪宝マークである(画像)。輪宝とは転輪聖王の七宝の1つである。転輪聖王は古代インドの伝説上の理想的帝王とされ、仏教の経典にもしばしば登場する。
関連リンク
公式
富士河口湖灯籠流し
Wikipedia記事
関連項目
脚注
- *『「神様」のいる家で育ちました〜宗教2世な私たち〜』の第6話は真如苑を題材としたお話である。その105ページで、真如苑の信者の中学生が「英語の勉強をしたいのでミッション系の高校に行きたいんですが」と霊能者に問いかけて、それに対して霊能者が「他の宗教を学ぶのもいいでしょう」と返答するシーンが描かれている。
- *司馬遼太郎は「真言宗は仏教ではあるが、やはりどこか違う」「バラモン教が強い時代に、バラモン教から迫害されないようにするため仏教教団がバラモン教の要素を取り入れて作った経典があったのだろう。その経典を支持したのが真言宗なのだろう」という見解を示している。未公開講演録愛蔵版Ⅲ 司馬遼太郎が語る日本(朝日新聞社)250~254ページ
- 3
- 0pt