禁酒法とは、
1.については時限的、地域的、宗教的な理由から設定されている事が多い。一般に“禁酒法”と言った場合、2.について述べている事が殆どのため、本稿については2.について主に記述する。
概要
消費のためのアルコールの製造、販売、輸送を禁止する法律で、大抵の場合はアメリカで1920年から1933年までの間[1]に施行された法律の事を言う。
Wikipediaにも記載があるが、「高貴な実験(The Noble Experiment)」とも揶揄される近代史上稀に見る悪法である。→Wikipedia:アメリカ合衆国における禁酒法
成立から廃止までの出来事
元は宗教的や諸々、厳格な習慣と規律を重んじる連中が草の根運動から開始し、婦人系団体の支持を集めつつ各宗教派閥も巻き込んで、州ごとに禁酒法を成立させる。尚、州法での制定後、バーに乗り込んでは瓶や酒樽を斧で叩き割るといった、宗教家によるパフォーマンスが行われた。キチガイか?この際、労働者の生産性向上を目論んだ企業家や、アルコールを含まない清涼飲料水の生産企業も活動に賛同し、当時の大統領により一時拒否されるも議会がひっくり返し、1919年、最終的に連邦禁酒法を成立させるに至る。その後、翌年1920年の1月16日に施行された[2]。
結果といえば…周辺諸国では普通に酒が作れるので、アメリカ人が旅行で沢山訪れ、米国以外の醸造所は大いに栄えた。米国内においても不法な酒場SPEAKEASY(スピーキージー/もぐり酒場)が物凄く多く営業、たまに工業用アルコールを飲ませて失明させるとか、色々やらかす。大衆は遵法精神無く隠れて酒を楽しむのが基本の状態に。因みにバーボン等の平べったい酒のボトルは、隠し持ち易いようにとこの時代に広まったそうな。
そして、禁酒法時代といえばギャング。これまでの資金源に加え、酒は大きな収入の柱になった。違法にアメリカ国内へ持ち込まれる密輸酒は莫大な利益を上げ、裏社会のマフィアたちの豊富な資金源となったのである。
アルコールを無くして(人が働けば)生産性が向上する!こっちの産業が儲かる!(酒が原因の)暴力も犯罪も無くなる!という皮算用は、結果的にギャングの跋扈と酒絡みの犯罪率の上昇、アメリカでのワイン生産の壊滅(絶滅)を招き、他のアルコール関連産業も生産技術の壊滅的な技術遺失を招くなどして大幅に遅れを取り、アメリカの富を海外と裏社会へ大量に流出させることになった。
1932年は禁酒法自体が大統領選の争点となり、当選したのはフランクリン・ルーズベルトである。1933年で連邦法では廃止となった。現在は州法などで一部、その名残があるに留まっている。
歴史から考える禁酒法と法律
酒なんてのは過ぎれば毒なのは誰しも解ってる事。西洋においては、酒を嗜む場以外で酔っ払う姿を晒す事はかなりみっともない姿であるとされる。東洋人と異なり西洋人の多くがアルコールに耐性を持つだけに、「場をわきまえない+自制できずに酔っ払って彷徨くのは人としてどうよ?」というような考えが主流である。
「どうしてこうなった?」「…いや、はじめから解ってただろ常考」「法律の制定の際、俺には関係ないから、なんて言ってた結果がこれだよ!?」・・・というのが米国禁酒法の総括だそうな。
一度の摂取が危険な薬物(麻薬・覚せい剤等)とは異なり、酒は人の文化と寄り添って作られ発展してきた物であり、過ぎなければ良いのである。本能(快楽)に近いものは影響を考えて法律と教育でコントロールすべき事(禁酒法制定前の時点で、酒の乱用は既に宗教意識的にも抑制されていた)であって、ましてや大昔からあり大衆に広まったものをわざわざ禁止するから歪みが生じるのである。
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関連項目
脚注
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