足利揚足(あしかがようそく)は、室町時代の武将、僧。父は3代将軍足利義満、母は加賀局。揚足は法名であり諱ではないが、現在では「足利揚足(あしかがあげあし)」の名で広く知られている。
生涯
加賀局にはすでに公卿 中山雅史との間に子をもうけていたが、筝の名手として義満にたびたび管弦の席に呼ばれるうちに見初められてそのまま愛妾となり、1381年(永徳元年、弘和元年)正月11日に義満の長男となる男児(揚足)を産み落とした。義満の長男ではあったが母親の身分と誕生の経緯が問題だったため当初から嫡子とはみなされず、1392年(明徳3年)に命蓮院の尊足法親王のもとに弟子入りし、翌1393年(明徳4年)に出家、、「揚足」と号するようになり、応永2年(1395)4月に尊足を戒師として受戒。
義満は南北朝合一を果たし、政治的に対立していた後円融上皇が病に倒れ、自己の権力を確固たるものにし隠居を決める。後嗣の足利義持は若年(8歳)であり義満とは不仲であったため、管領 細川頼之らは揚足を還俗させて4代将軍にと企図する。揚足自身も長子でありながら寺に居る境遇を善しとしておらず、有力守護や公家に自身を将軍職に推すように多くの文を送っている。しかしながら、細川頼之が1392年に死去し有力な後盾を失い、管領に就いた斯波義将が義持を支持したため、将軍は義持に決まる。
1425年(応永32年)、4代将軍足利義持の子である5代将軍足利義量が急逝し、義持も1428年1月に重病に陥った。義持が後継者の指名を拒否したため、群臣達の評議が行われた。結果、石清水八幡宮でくじ引きを行い、義満の子で僧籍に入っていた者の中から将軍を決めることになった。揚足は洛中の寺社を詣でて自身が将軍に選ばれるように祈願した。『満済准后日記』には、揚足が貴船神社で水占神籤をした際に3回続けて大凶を出したとある。1月17日、関白 九条満家が石清水八幡宮でくじを引き、翌日の義持死亡後に開封され、義円(足利義教)が後継者に定まった。このことから彼は籤引き将軍とも呼ばれる。揚足は神仏にも見捨てられたと酷く落胆するが、この結果を暗示していた貴船神社に信を寄せるようになる。
義教は幕府の権威復興のために、有力御家人や寺社の内事に強引に介入した。そのため、不満を持つ者も多くかった。義教と不仲であった幕府宿老 赤松満祐を将軍が討とうとしているという噂が流れていた。そして、1441年(嘉吉元年)6月24日、赤松氏の館で行われた祝宴で義教が暗殺されるという事態が起きた(嘉吉の乱)、赤松側は次期将軍として揚足ら義満の遺児達を担ぎ出そうとするが、管領 細川持之らが義教の子・義勝(9歳)を擁立、揚足らは鹿苑院に集められ監視下に置かれる。9月に幕府軍に赤松氏が討たれ乱は終息。揚足は香厳院に移る。
1443年(嘉吉3年)7月21日、義勝が死去。享年10(満9歳没)。在任わずか8ヶ月であった。死因は落馬とされるが、暗殺や病死など諸説ある。後継は弟義政(8歳)が有力であったが、幼少の将軍が2代続く事に対しての不満・不安が燻っていた。そのため、義政の将軍就任は元服まで見合わされた。揚足は還暦を過ぎており、将軍職に就く最後の機会であった。義政が元服するまでの期間だけでもと、幕臣、有力貴族を駆けずり回ったとされる。揚足が高齢である事、60年間無位無官であった事などで反対する者が多かったが、悉く論破していった(『建内記』)。将軍不在による幕政の停滞を憂う者達の中に揚足を推す勢力が出来つつあった。しかし、禁闕の変により内裏から三種の神器の剣と鏡が、後南朝派に奪われるという事態が起こる。朝廷は後継将軍の指名などに応じれる状態ではなく、また御所の警護をすべき幕府も面目を失い強く言う事はできなかった(神器を奪還するのに14年を要した)。その間に義政が元服し、朝廷の怒りも収まり8代将軍に就いた。
義政は政治を疎み、幕政はを正室の日野富子や細川勝元・山名宗全らの有力守護大名に委ねて、自らは数奇の道を探求した文化人であった。そして後継問題から応仁の乱を引き起こし、幕府の衰退を決定づけた。揚足は相国寺住持に任じられ、応仁の乱が起きる前年の1466年(文正2年)に息を引き取った。
揚足をとる
足利義勝の死後の8代将軍を決める際に、揚足の就任を反対する幕臣や貴族を説き伏せていった。数度の後継争いを経て、老境の者の巧みな弁舌もあり次々に論破していったとされる。この際に、相手の言の誤りを捉えて非難する事により萎縮させ(有職故実が尊ばれる時代において、言葉を操れない事は恥であった)、自身に有利になるように仕向けた。この事から、人の言い間違いや言葉尻、ちょっとした失敗をとらえて、非難したり、からかったり、責めたりする事を『揚足をとる』というようになった。四度の将軍就任の機がありながら、義満の嫡男という血筋以外に決め手がなく、将軍としての器ではなかったとされる事から、『揚足“劣る(おとる)”』という皮肉も含まれている。
関連動画
公式動画がYouTubeから見られますので、こちらからどうぞ。
- 16
- 0pt