バイアリーターク(Byerley Turk)とは、サラブレッドの三大始祖の1頭である。
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「バイアリーターク(ウマ娘)」を参照してください。 |
概要
三大始祖の中では最も早い1680年前後に、現在のトルコで生まれたらしい。アラブ種ともトルコ馬とも言われるがよくわからない。なにせ300年以上も前の話である。それでも始祖の中では記録が残っているほうである。
元々オスマン帝国の軍馬であったが、1688年のブダペスト包囲戦(資料によっては1683年の第二次ウィーン包囲戦)でイギリス騎兵隊のロバート・バイアリー大尉が捕獲したという説が有力。優雅さ、勇敢さ、速さを兼ね備えた馬だったそうで、バイアリー大尉はこの馬を気に入って自身の所有馬にしたという。
ブダペスト包囲戦後に大佐に昇進したバイアリーの騎乗馬として、バイアリータークは数々の戦いに参戦し多くの武勲を立てた。世界史の教科書にも載ってるアレな名前で有名なボイン川の戦いにも参戦し、その俊足を生かして敵軍の包囲を突破しバイアリー大佐を助けたという逸話が残っている。
三大始祖の中では唯一競走の資料が残っており、1690年に北アイルランドで行われた競走に参加して勝利したという。なんでも道中は後方にいたが、終盤に翼が生えたかのような末脚を炸裂させたんだとか。
バイアリー大佐の退役と共にバイアリータークも軍馬の任を解かれ種牡馬となった。繁殖牝馬の数は少なく、質も非常に悪かったため、生涯で輩出した勝ち馬は僅か6頭と、同時期の種牡馬に比べても少なかったが、玄孫のHerodとその子Highflyerが凄まじい活躍を見せ、一時は世界を席巻するほどの勢いを見せた。しかしその後血の閉塞に伴い一気に衰退。一時Tourbillonの活躍で復興の兆しが見えたがそれも長続きせず、現在三大始祖の中では一番直系存続が危うい状態である。19世紀のLexingtonや20世紀のThe Tetrarchなど、バイアリーターク系から出た名馬が時代や性癖(The Tetrarchは種付けが嫌いだったそうな)でほとんど父系を伸ばせなかったことも響いた。日本でも一時*パーソロンがシンボリルドルフを出すなど覚醒したがあっさりと頓挫している。2021年現在の日本におけるバイアリーターク系の種牡馬はギンザグリングラスとクワイトファインのわずか2頭のみと絶滅危惧種である。マイルの名牝Ridgewood Pearlを出したIndian Ridgeの系統が欧州で残ってはいるがこれもいつまで続くかわからない感じである。
しかしバイアリータークの子孫にはMumtaz Mahal(Nasrullah、Northern Dancerなどの牝系の祖)やFrizette(Mr. Prospector、Seattle Slewなどの牝系の祖)など名牝系の祖となった牝馬が多く、現在のサラブレッドに与える影響は他の系統に勝るとも劣らない。アイルランドの遺伝学者G.A.T.マホンとE.P.カニンガムの研究によるとサラブレッドの血統の遺伝的な貢献度は4.8%とされている。
主な産駒
- Basto(母 Bay Peg、母父 Leedes Arabian) - 1708年~1710年にマッチレースで強い勝ち方をしたとされる。詳細は個別記事を参照。
- Jigg(母 Mare by Spanker、母父Spanker) - バイアリータークの後継でヘロド系の祖先であること以外に特筆すべき記録は残っていない。
- Dam of the Two True Blues(母 不明) - ファミリーナンバー3号族の始祖。
- Byerley Turk Mare(母 Taffolet Barb Mare、母父 Taffolet Barb) - ファミリーナンバー1号族としてバイアリータークの血を現在に伝える。
- Byerley Turk Mare(母 Bustler Mare、母父 Bustler) - 上記の馬とは別(念のため)。ファミリーナンバー8号族としてバイアリータークの血を現在に伝える。
関連コミュニティ
関連項目
Byerley Turk 1680?
|Dam of the Two True Blues 1695?
|Jigg 1701?
||Croft's Partner 1718
|||Tartar 1743
||||Herod 1758 →ヘロドの記事参照
|Basto 1702
- 6
- 100pt