パーソロン(Partholon)とは、1960年生まれのアイルランド産サラブレッド。
種牡馬として1970~80年代の日本競馬界を牽引した大種牡馬である。
名前はアイルランド神話に登場する、アイルランドに初めて上陸したパーソロン族から。
前半生
父Milesian、母Paleo、母父Pharisという血統。
父のマイリージャンは早熟のスプリンターで、種牡馬として2歳リーディングになった事がある。母は不出走だが生産者はフランスの名馬産家マルセル・ブサックであり、近親にはフランスの重賞馬が複数いる。母父は3戦3勝ながらジョッケクルブ賞(仏ダービー)、パリ大賞典を快勝した優駿にして名種牡馬である。6代母に世界的名牝系の祖であるフリゼットがおり、総合すると結構な良血馬である。
因みに3代母コロニスは父にトウルビヨン、母にそのトウルビヨンの母ダーバンの全姉妹であるエルディファンを持ち、ダーバン=エルディファンの3×2という強烈な近親配合を有する。コロネーション同様、マルセル・ブサックが行った近親配合の一つである。
アイルランドで競走入りし、2着2回を経て3戦目にアイルランド屈指の2歳戦であるアイルランドナショナルS(芝7F)に参戦。ここを勝って初勝利を挙げ、英国へ遠征しタイムフォーム金杯(芝8F)で2着に入った。
2歳時は4戦1勝2着3回の成績を残し、アイルランドの2歳馬の中で屈指の評価を得ていた。
しかし3歳になってからクラシックを意識すると成績が落ち、愛2000ギニーを前哨戦大敗を受け回避。愛ダービーは6着、愛セントレジャーは4着と成績を残すには至らず。3歳シーズンはエボアH(芝14F)を勝ち、12F戦2つを2着に入るなど中長距離でそこそこ頑張っていた。
通算成績は14戦2勝2着5回。距離延長でも頑張っていたが、本質的には仕上がり早の短距離馬だろう。
種牡馬入り後
引退後、シンボリ牧場総帥の和田共弘とメジロ牧場総帥の北野豊吉によって購買され、日本へ輸入。
本馬はシンボリ牧場にて繋養され、種牡馬生活を送ることとなった。
実は、本馬は当初購買される予定は無かったが、和田共弘が買おうとしていたジョッケクルブ賞馬ヴァルドロワール、英セントレジャー馬ヘザーセットが交渉で折り合いが付かず、結果パーソロンを発掘してきたという事である。後にヴァルドロワールは仏種牡馬リーディング3回、ヘザーセットは英ダービー馬ブレイクニーを送り出すなど、種牡馬として活躍した。
初年度産駒から京成杯3歳Sを制したヤマトダケを出し、種牡馬入り6年目に、2年目の産駒であるメジロアサマが天皇賞(秋)を勝利。その翌年以降にはカネヒムロ、タケフブキ、ナスノチグサ、トウコウエルザと4年連続でオークス馬を輩出する大活躍を見せた[1]。
パーソロンは長きにわたり活躍馬を輩出し続け、1975年産からはダービー馬サクラショウリ、1981年産には無敗の三冠馬シンボリルドルフと桜花賞馬ダイアナソロンを送り出した。メジロアサマの安田記念から、マティリアルのスプリングSまでの18年連続で産駒の中央重賞勝利を成し遂げている。
初期には「パーソロンは早熟の短距離種牡馬で、フィリーサイアー寄り」という評判があった。後のサクラショウリやシンボリルドルフの活躍を知る我々からすればおかしいように見えるが、実際サクラショウリが出てくるまでは牝馬に活躍馬が多く、かつ産駒は旧3歳、旧4歳限定重賞での活躍が目立っている。メジロアサマが天皇賞(秋)出走までに安田記念等マイル~中距離を軸に走っており、出走時には大橋巨泉がオーナーの北野豊吉に対して「パーソロン産駒じゃ無理だよ」と話した事は有名な話である。
母父としての活躍も特筆もので、平地ではGI5勝のメジロドーベルや、シリウスシンボリ、カネミノブ、ビンゴガルーといった八大競走優勝馬、更にシンボリクリエンスやポレールなどの名ジャンパーを送り出しており、1987年にリーディングブルードメアサイアーとなっている。
更に特筆すべきは活躍した牡馬が種牡馬としても活躍を収めた事か。メジロアサマからはメジロティターンが、サクラショウリからはサクラスターオーが、シンボリルドルフからはトウカイテイオーが出た。特にメジロティターンからはメジロマックイーンが、トウカイテイオーからはGI馬が3頭出ている。
1971年、76年にリーディングサイアーに輝き、それ以後も日本を代表する種牡馬として活躍を続け、22年目(1985年)も49頭種付けし42頭が誕生するという老いてなお盛んな精力を誇っていたが、この年の10月に悪性腫瘍が原因で死亡。享年25歳。
2000年中期まではメジロマックイーン、トウカイテイオーが健在でそこそこ活躍馬を送り出していたが、サイアーラインを繋げるには至らず、現在では直系は風前の灯火である。辛うじて、血統保護のためにメジロマックイーンの仔のギンザグリングラスとトウカイテイオーの仔のクワイトファインがいたが、2023年にギンザグリングラスが、次いでクワイトファインが2025年に死亡し、その産駒らが残っているのみとなっている。
[2]。しかしながら、昭和より続く牝系の中にパーソロンを含むものは多く残り、母系に入り日本競馬を支えている。シンボリ牧場と、和田家に縁の深い物部神社に銅像が建立されている。
八索ロン
和田共弘や野平祐二(ルドルフの管理調教師)が麻雀するときのハウスルールとして、「八索でロンした時は一翻アップする」というものがあったそうな。「パーソーロン」。
血統表
| Milesian 1953 鹿毛 |
My Babu 1945 鹿毛 |
Djebel | Tourbillion |
| Loika | |||
| Perfume | Badruddin | ||
| Lavendula | |||
| Oatflake 1942 鹿毛 |
Coup de Lyon | Winalot | |
| Sundry | |||
| Avena | Blandford | ||
| Athasi | |||
| Paleo 1953 鹿毛 FNo.13-c |
Pharis 1936 黒鹿毛 |
Pharos | Phalaris |
| Scapa Flow | |||
| Carissima | Clarissimus | ||
| Casquetts | |||
| Calonice 1940 鹿毛 |
Abjer | Asterus | |
| Zariba | |||
| Coronis | Tourbillion | ||
| Heldifann |
クロス:Pharos 5×3(15.63%)、Tourbillion 4×4(12.50%)、Blandford 4×5(9.38%)
主な産駒
- メジロアサマ(1966年産 牡 母*スイート 母父First Fiddle)
- カネヒムロ(1968年産 牝 母カネタチバナ 母父ヒカルメイジ)
- ナスノカオリ(1968年産 牝 母ナスノホシ 母父Faux Tirage)
- タケフブキ(1969年産 牝 母ハヤフブキ 母父*タリヤートス)
- トクザクラ(1969年産 牝 母トクノコギク 母父モリマツ)
- ナスノチグサ(1970年産 牝 母ナスノホシ 母父Faux Tirage)
- トウコウエルザ(1971年産 牝 母ベニサイ 母父*ゲイタイム)
- サクラショウリ(1975年産 牡 母*シリネラ 母父*フォルティノ)
- シンボリルドルフ(1981年産 牡 母スイートルナ 母父スピードシンボリ)
- ダイアナソロン(1981年産 牝 母ベゴニヤ 母父ヒカルタカイ)
関連動画
関連項目
- 競走馬の一覧
- バイアリーターク
- メジロアサマ - メジロティターン - メジロマックイーン
- サクラショウリ - サクラスターオー
- シンボリルドルフ - トウカイテイオー - (ストロングブラッド、トウカイポイント、ヤマニンシュクル)
*パーソロン 1960
|メジロアサマ 1966
||メジロティターン 1978
|||メジロマックイーン 1987
||||オリエンタルアート 1997
||||ギンザグリングラス 2005
|カネヒムロ 1968
|メジロゲッコウ 1968
||メジロアンタレス 1979
|ナスノチグサ 1970
|ヤマブキオー 1970
|カーネルシンボリ 1971
|タケユタカ 1971
|サクラショウリ 1975
||サクラスターオー 1984
||サムソンビッグ 1991
|ベストブラッド 1977
||サザンフィーバー 1982
|ウインザーノット 1980
|シンボリルドルフ 1981
||トウカイテイオー 1988
|||トウカイポイント 1996
|||ストロングブラッド 1999
|||ヤマニンシュクル 2001
|||クワイトファイン 2010
||アイルトンシンボリ 1989
||ツルマルツヨシ 1995
|ダイアナソロン 1981
|マティリアル 1984
脚注
- *4年連続で同一クラシック競走の勝ち馬を出した種牡馬は現時点で他にディープインパクト(桜花賞のマルセリーナ、ジェンティルドンナ、アユサン、ハープスター)のみ。
- *それどころかパーソロンが属するヘロド系(さらに遡れば三大父祖の1つであるバイアリーターク系)自体がかなり衰退しており、世界的に見ても3桁の種付けを行ったのが障害用種牡馬のDiamond Boyくらいという状態である。
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