イソノルーブル 単語

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イソノルーブル

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イソノルーブルとは、1988年生まれの日本の元競走馬繁殖牝馬である。

不運で滑り落ちた舞台へ自力で這い上ったシンデレラ

な勝ち
1990年:ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス(GIII)
1991年:優駿牝馬(GI)、報知杯4歳牝馬特別(GII)

事中年齢は原則旧表記(実年齢+1)。

概要

桜花賞まで 快速の灰被り

*ラシアンルーブルキテイテスコ、*テスコボーイという血統。は当時大量に輸入されたNijinsky産駒の一頭。御多分に漏れずこのの競走成績も7戦2勝と立つものではなかったが、本のほか帝王賞シアンゴールドを輩出するなど一定の実績は残した。は5戦未勝利英国種牡馬として来日。トウショウボーイサクラユタカオーなど数多くの快速として名高い。はいずれも出走できずに終わっており、血統的には特筆すべきことはない。

3歳9月デビュー戦は1番人気で、出遅れながらめ先頭から突き抜け3歳レコードを打ち立てる大勝利。2戦は中間に膜炎を発症するなど順調さを欠いたこともあり5番人気にとどまったが、逃げて3身半突き放し楽勝。3戦にはGIIIラジオたんぱ杯3歳牝馬S(後にラジオNIKKEI杯2歳ステークスを経て現在GIホープフルS)に出走。しかし前走圧勝したのに8番人気低評価だった。その大きな理由がこのの出自にある。

実はイソノルーブル、生産者も小規模な牧場で血統も地味だったためか、2歳まで買手がつかなかった。そこで6月の特別市場JRA最低価格500万円で購入。JRA所有の牧場で育成され、当時存在した抽籤制度(JRAが育成した希望者にウェーバーに近い方式で分配する制度。2004年止)によって磯野俊雄の所有馬となった。つまりイソノルーブルは抽籤、いわゆる「クジ」だったのである。クジはどうしても売れ残りのイメージがつきまとい、通常の取引をされたよりワンランク下の評価を受けることが多い。イソノルーブルも例外ではなく、本が勝ってきたのが抽籤限定の競走だったこともあり、力関係に疑問を持たれていたのである。
もっとも人気が低かった理由はそれだけでなく、この世代のがとにかく実力いだったこともあった。このレースにも相手に重賞を勝ってきたミルフォードスルースカーレットブーケが出走しているほか、ノーザンドライバーGIIデイリー杯3歳Sを勝っていた。当時は3歳(現2歳)重賞競走が東西一つずつしかなく、当時はに明確な力の差もあったため、この時期のが3頭も4頭も重賞を勝つということがあまりなかったのである。

閑話休題。このレースもイソノルーブルは逃げを打ち、直線も人気を置き去りに3身半差の圧勝。クラシックの有力補に成り上がる。この勝ちっぷりで最優秀3歳受賞も期待されたがノーザンドライバーの次点に終わっている(当時はGI阪神JF混合の阪神3歳Sとして開催されていた)。

4歳初戦はOPエルフィンSを選択。ここは断然人気に応えて逃げ切り勝ちを収める。しかしこレース上の五十嵐忠男とやや折り合わない場面があったためか、続くGII報知杯4歳Sで若手の有望だった松永幹夫スイッチ。このレース逃げて3身半差の勝。5戦敗、重賞2勝の実績を引っ提げ堂々と桜花賞に出走する。

桜花賞 脱げ落ちた靴

桜花賞は1番人気に支持されたが2.8倍と存外割れたオッズだった。というのも、先述の通りこの世代のは非常に評価が高く、最優秀3歳ノーザンドライバーと先述のミルフォードスルースカーレットブーケが4歳になってさらに重賞勝ちを加えて桜花賞へ参戦し、重賞2勝が4頭も集結。さらにチューリップ賞で圧勝し3戦敗の新勢力シスタートウショウも現れ、5頭が単勝オッズ一桁で拮抗。「史上最高」と謳われるほどハイレベルな混戦模様を呈していたのである。また、この年の桜花賞が当時小回りでの有利不利がしかった阪神競馬場が改修中のためワンターン京都競馬場での代替開催であり、ハイレベルな出走ガチンコ勝負が見られるという期待感もあったとされる。

しかしその桜花賞で期待を砕くようなトラブルが発生。その不運を被ったのがあろうイソノルーブルであった。
事の発端はイソノルーブルが馬場入り後、観衆の大歓奮して右前脚に落鉄を発生したことにある。落鉄自体はよくあることで、通常レース前に落鉄した場合は装蹄師が打ち直してレースに出るのだが、この時の問題はイソノルーブルがとにかく暴れ、装蹄が出来なくなったことであった。実はイソノルーブル、デビュー前から非常に気性が荒く、調教中から騎手を振り落とす、示を無視して前のを追い抜くなどやりたい放題レース逃げていたのも上の示というより先頭を走っていないと気が済まない性格からだったそうな。

そんなこんなで10分以上ったがイソノルーブルは暴れ続け、結局JRAは蹄の打ち替えを諦め、イソノルーブルは右前脚が裸足の状態で出走することになってしまう。イソノルーブルはスタートダッシュがつかず、松永が押して2番手を確保する強引な競馬を余儀なくされた。それでも直線まではったがその後ずるずると後退し、結局5着に敗戦。勝ったのはシスタートウショウであった。上の松永は「もう一生GIなんて勝てないんじゃないか」と考えてしまうほど酷く落ち込んだという。

そして問題はこれで終わりではなかった。イソノルーブルの装蹄をめぐる対応についてJRA批判が殺到したのである。
レース後、担当スタッフ落鉄を敗因として挙げ、一度厩舎に戻して装蹄させてほしいと申し出たが却下されたとコメント。この判断について、JRAは後に「装蹄が長時間に及んだ場合の他へのを考慮した」「落鉄しても競走力に大きな減退はないと判断した」と説明したが、「TV中継が終わるまでに発走させることを優先したのではないか」という憶測を呼び批判の的になった。
さらに、イソノルーブルが落鉄したことは観客に知らされていたが、装蹄しないまま出走することは周知されていなかった。これがさらに大きな批判を呼び、ついに馬券を買っていたある人物が「事実を知らされなかったことで損を受けた」としてJRAを提訴するという事態に発展した。原告は敗訴したものの、JRAはその後、発走前の事故は放送で告知することとしたほか、馬場内につなぎ房を設置するなどの対策を行っている。

そしてこの敗戦でイソノルーブルにつけられた呼び名が裸足シンデレラ。名ではなかった出自、実力で大舞台まで駆け上がり、そして靴を失くしを果たせずに大舞台を去った桜花賞彼女の歩みがその物語ダブったがゆえのネーミングであった。

オークス プリンセスへの疾走

再起を期したオークスだったが本は4番人気。気性のしさから距離不安が囁かれたこと、逃げには断然不利な大外20番を引いたこと、桜花賞の勝ち方が振るっていたシスタートウショウが断然人気を集めたことなど要因はいくつかあるが、その底流には「所詮はクジだし・・・」という冷めた感情もないではなかっただろう。

営は前走の反省から当てつきのメンコを二重に着せ、発走直前に一枚を外すことにした。さらにブリカーも装備して、観客と歓に万全の対策を整えた。

今度は落鉄することなく好スタートを切ったイソノルーブル。上の松永ハナにこだわるつもりはなかったとしながらも、スタンド前で先頭に立ち、1コーナーで内に入る。群は縦長でシスタートウショウは後方、イソノルーブルは1000m617と非常に緩いペースを刻んで逃げる。1身ほどのリードを保って3,4コーナーを回り、直線を向いたところでスカーレットブーケと2番人気インヴォイスが並び掛けてきたため松永もここで仕掛け、3頭のデッドヒートが始まる。一度はスカーレットブーケが前に出たがイソノルーブルが再度並び、もう一枚を発揮して2頭を競り落とし単独先頭に立つ。しかしここで入れ替わるように猛然と追い込んできたのが桜花賞シスタートウショウ。出遅れて後方にいたが直線入り口で外を回って中団に取り付き、そこから凄まじい末脚で大外から追い上げてきたのである。その差はみるみる縮まり、全に並んだところがゴール松永にもシスタートウショウ上の角田晃一にも勝敗がわからないほどの接戦だったが、写真判定の結果ハナ差でイソノルーブルに軍配。クジとしては13年ぶりのクラシック制覇となった。また、オークス逃げ切り勝ちは1975年テスコガビー以来16年ぶりで、以後2021年まで30年間現れていない(ダイワエルシエーロが向正面で先頭に立ち押し切った例はある)。松永幹夫は6年で初GI制覇。口取り撮では上でし、喜びをあらわにした。

一度はガラスの靴を失いを去ったシンデレラが最後には王子と結ばれて妃となったように、蹄を失い舞台を失意のうちに後にしたイソノルーブルが女王の座に就くというできすぎなシンデレラストーリー。なお、上の松永幹夫はこのレースも含めてGI6勝を挙げたのだが、それが全てによる勝利。自身も端正な顔立ちと爽やかな人柄で多くの女性人気を集めた、まさに競馬界のプリンスだったのである。ちなみに称は幹夫からとってミッキーこんなところにもシンデレラに縁があったとは、やはりできすぎである。

その後

オークス後は北海道での出走も検討されたが、取りやめてエリザベス女王杯に出走。しかし後に判明した靱帯炎のか16着に惨敗し、復帰することなく引退した。

繁殖牝馬としては重賞2着のイソノウイナーを産んだのが立つ程度で、シスタートウショウは上回ったが同期スカーレットブーケやタニノクリスタルの活躍にべると大きな活躍は出来なかった。牝系現在も残っており、新潟2歳Sを勝ったモンストールは孫にあたる。ちなみにこのモンストールもJRAが購買・育成し、抽籤制に代わって設立されたJRAブリーズアップセールで購入されたである。

イソノルーブル自身は2011年を最後に繁殖を引退2013年に25歳(旧26歳)で世を去った。

血統表

*ラシアンルーブル
Russian Roubles
1980 鹿毛
Nijinsky II
1967 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
Squander
1974 鹿毛
Buckpasser Tom Fool
Busanda
Discipline Princequillo
Lady Be Good
キテイテスコ
1980 芦毛
FNo.14-a
*テスコボーイ
1963 黒鹿毛
Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Suncourt Hyperion
Inquisition
キテイオンワード
1968 芦毛
ナスアロー Nasrullah
Love Game
*モウテイ Migoli
La Li
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah 4×4(12.50%)Nearco 5×5×5(9.38%)、Menow 5×5(6.25%)

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