ササフラ 単語


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ササフラ

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ササフラ(Sassafras)とは、1967年生まれの仏フランス生産・調教競走馬である。鹿毛

な勝ち
1970年:ジョッケクルブ賞、ロワイヤルオーク賞、凱旋門賞

概要

Sheshoon、Ruta、*ラティフィケイションという血統。
シェシューンはアスコットゴールドカップ、サンクルー大賞などの勝ち種牡馬としてもササフラやStintino(*スティティノ)などの活躍によりフランスリーディングサイアーとなっている。
ルタは3戦1勝で産駒のうち6頭が勝ち上がっている。産駒の一頭でササフラの半にあたるTypha(タイファ)の子、ササフラから見て姪にあたる産駒クリテリウム・デ・フーリッシュを制したOak Hill(オークヒル)がいる。
ラティフィケイションはコヴェントリーS、リッチモンドS、グリーナムSなど13戦6勝で、イギリスではパッとせず日本輸入されスインホウシュウ(阪神大賞典)やジンデン(中山記念)などを出した。

フランスのダランズタウンスタッドで生産された。気性もよく体もステイヤー気質なところ以外が欠点もない優等生だった。

ハンガリー財界アルパド・プレシュ氏とその夫人エティによって所有された。エティ夫人の所有馬には英ダービーPsidium(シディアム)やHenbit(ヘンビット)がいて、名義貸しと思われるクールモアスタッドのマグナー夫人を除けば女性オーナーとして英ダービー最多勝となっている。

ササフラはフランスの名調教師フランソワ・マテに預けられ、騎手イヴサンマルタンが務めた。

2歳時(1969年)

ササフラは8月5日のヴィシー競馬場ラブルスプ賞でデビューし、2着に10馬身差をつけて圧勝した。
続くシェーヌ賞では4着、エクリプス賞では5着と敗れ、ボルドグランクリテリウムでは2着と好走した。

2歳時の成績は4戦1勝。ヨーロッパの2歳戦のほとんどがマイル以下ではこのの本領がまだ発揮できなかったところか。

3歳時(1970年)

この年はラグランジュ賞で2着に敗れた後アンドロクレス賞、フォルス賞で連勝を飾った。

フランスダービーにあたるジョッケクルブ賞の前戦リュパン賞ではStintinoの3着と敗れたがジョッケクルブ賞では残り200メートルでRoll of Honour(ローオブオナー)やCaro(カロ)などを抜き去りゴールフランス3歳の頂点に立った。

休養を挟みフランスセントレジャーにあたるロワイヤルオーク賞ではHallez(*アレツ)に進路を妨され立て直したがHallezに3馬身差をつけられての2着入線だった。しかし採決ではHallezに2着降着を下し、繰り上がり優勝となった。この結果が凱旋門賞での過小評価につながったともいわれている。

迎えた凱旋門賞では注の的は何と言っても英国三冠馬Nijinsky(ニジンスキー)であった。しかしNijinskyレース前からひどく発し体調はよくなさそうだった。一方ササフラはいつも通り落ち着き払っていた。
レースではGolden Eagle(ゴールデンイーグル)がハナを切り、ササフラはこれを見る形で進み、注Nijinskyはやや後方に構えた。Nijinskyは下りに入ってから徐々に差を詰めたが直線に入ったときには先頭からまだ10馬身差があった。残り400mでササフラが先頭に立つとNijinskyは外から追撃し、残り100mでついにササフラを捉えたかに見えた。しかしここからNijinskyは外によれ失速し、ササフラは勝負根性を見せてアタマ差でNijinskyを抑えゴールを駆け抜けた。
レースではNijinsky敗北ばかりが語られ、勝利のササフラが語られることは少ないが、Nijinskyに実力で勝ったことはレース結果が示している。実際あまり良くない馬場状態でレコードタイムにあと1とハイレベルな決着だった。マテ調教師凱旋門賞勝利は1950・51年にTantieme(タンティエーム)で勝利して以来3回となった。
マテ調教師は66年にサンマルタン騎手をこう評価している。「レース中に騎手と交信できたらいいと思ったことは何度もある。しかしサンマルタンに関してはその必要はない。いつも好位置につけてくれるからね。を手のうちに入れるのが実に巧く、どんな神経質なでも彼の手にかかればおとなしくなるんだ。冷静で反射神経もよく本当にいい騎手に成長したよ。」

ササフラはこのレースを最後に引退した。通算11戦6勝。

種牡馬として

引退後はアイルランドのバリーリンチスタッドで繋養されたがマリー病にったこともあって思うような結果が出せなかった。1980年アメリカケンタッキーレキシントンにあるピラースタッドに輸出された。ササフラはその地で1988年12月死亡した。享年21歳。
ササフラの直系子孫は南米にわずかに残っているらしい。

血統表

Sheshoon
1956 栗毛
Precipitation
1933 栗毛
Hurry On Marcovil
Toit Suite
Double Life Bachelor's Double
Saint Joan
Noorani
1950 栗毛
Nearco Pharos
Nogara
Empire Glory Singapore
Skyglory
Ruta
1960 鹿毛
FNo.8-c
*ラティフィケイション
1953 鹿毛
Court Martial Fair Trial
Instantaneous
Solesa Solario
Mesa
Dame d'Atour
1955 鹿毛
Cranach Coronach
Reine Isaure
Barley Corn Hyperion
Schiaparelli
競走馬の4代血統表

クロス:Hurry On 3×4(18.75%)、Gainsborough 5×5×5(9.38%)

主な産駒

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参考文献

凱旋門賞歴史 1865~1982 著:A.フィッツジェラルド 訳:草野純 刊行:(財)競馬際交流協会

下商品は英語版

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