ビーマイゲスト(Be My Guest)とは、1974年生まれの
アメリカ生産
アイルランド調教の競走馬・種牡馬である。
通算成績7戦4勝[4-1-0-2]
主な勝ち鞍
3歳(1977年):クリスタルマイル(
GII)、ブルーリバンドトライアルステークス(
GIII)、デズモンドステークス(
GIII)
父:Northern Dancer、母:What a Treat、母父:Tudor Minstrelという血統。
父ノーザンダンサーは世界の血統地図を塗り替えた大種牡馬。
母ホワットアトリートは30戦11勝で1965年アラバマS優勝などを挙げその年の全米最優秀3歳牝馬になった名牝。
母父テューダーミンストレルは10戦8勝で伝統のマイル重賞2000ギニーステークス、セントジェームズパレスステークスの優勝馬。
スイスの事業家ウォルター・ハフナーが生産し、ゴフズの1歳馬セールで12万7000ギニーという当時のヨーロッパ記録でダイアナ・ゲスト・マニングに取引され、アイルランドの名調教師ヴィンセント・オブライエン師に預けられた。
ビーマイゲストは2歳時にカラ競馬場で2走だけ走り、10月の未勝利戦を勝利した。
この年は4月のエプソム競馬場のプルーリバンドトライアルS(
GIII)を初戦に選び、2着に3馬身差をつけて快勝した。
続いてレパーズタウンのニジンスキーS(
GII)で2着になったあと、伝統のレースのダービーステークス(
GI)では11着に敗れた。母父Tudor Minstrelを引き継いだ宿命かもしれない。
8月にはデスモンドS(
GIII)、クリスタルマイル(
GII)とマイル重賞を連勝したが、脚部不安のためこの年限りで引退した。
通算7戦4勝。
引退後クールモアスタッドで種牡馬入りした。80万ポンドのシンジケートの期待に応え、78頭のステークスウィナーを輩出し、1982年には2世代の産駒のみで英愛リーディングサイアーとなった。そしてクールモアスタッドを世界的ブリーダーとして育て上げた種牡馬の1頭となった。
ビーマイゲストは2002年で種牡馬を引退し、2004年2月に30歳という高齢で死亡した。
| Northern Dancer 1961 鹿毛 |
Nearctic 1954 黒鹿毛 |
Nearco | Pharos |
| Nogara | |||
| Lady Angela | Hyperion | ||
| Sister Sarah | |||
| Natalma 1957 鹿毛 |
Native Dancer | Polynesian | |
| Geisha | |||
| Almahmoud | Mahmoud | ||
| Arbitrator | |||
| What a Treat 1962 黒鹿毛 FNo.8-c |
Tudor Minstrel 1944 黒鹿毛 |
Owen Tudor | Hyperion |
| Lady Turor | |||
| Sansonnet | Sansovino | ||
| Lady Joror | |||
| Rare Treat 1952 栗毛 |
Stymie | Equestrian | |
| Stop Watch | |||
| Rare Perfume | Eight Thirty | ||
| Fragrance |
クロス:Hyperion 4×4(12.50%)、Pharos 4×5(9.38%)
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/06(土) 01:00
最終更新:2025/12/06(土) 01:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。