プレクラスニー 単語


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プレクラスニー

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プレクラスニーとは、JRAGIレース、そしてグレード制導入前は八代競走の一つとされる、

104回天皇賞()を逃げ切りで制した天皇賞である。

な勝ち
1991年:天皇賞(秋)(GI)、毎日王冠(GII)、エプソムカップ(GIII)

概要

クリスタルパレス トモオー ヴィミー

仏ダービーで、シービークロスフォルティノが海外で供養されている際に輩出したCaro産駒種牡馬としては日本では不振だったものの、フランスでは1985年リーディングサイアーになっていたりする。新潟記念を筆頭に53戦8勝の成績を残した無事是名馬の見本のような

アイネスフウジンメジロライアン日本ダービーで死闘を繰り広げ、メジロマックイーン菊花賞を制してスターダムにのし上がろうとした頃、プレクラスニーはデビューの遅さもあってかまだ条件戦ばかりを6戦2勝の成績でその年を終えただった。

しかし、古になってから一変、準オープン勝ちから勢いに乗り、エプソムC(GIII)で重賞初制覇、その後休み明けの毎日王冠(GII)では「まともに走った時の強さは随一」と言われるダイタクヘリオスとの先行同士の叩きあいを制して重賞を連勝し、堂々と天皇賞(秋)へ駒を進めた。

天皇賞(秋):勝者の屈辱

しかし天皇賞(秋)舞台には絶対的大本がいた。菊花賞天皇賞(春)を制しているメジロマックイーンである。しかも、勝ちから垣間見えるステイヤーの資質だけでなく、2200mの宝塚記念でもメジロライアンの2着に入ったり、後には京都大賞典(GII)で2:22:7という驚愕レコードを出す等、スピードも兼ね備えていた。

そしてその宝塚記念を制したメジロライアンが故障でいない今、もはやタマモクロスに次ぐ天皇賞春連覇は確実と思われていた。もちろん単勝1.9倍で断然の1番人気である。プレクラスニーは8.7倍の3番人気メジロマックイーンとは初対戦のうえ、さすがにメジロマックイーン自体は京都3200m程得意な距離とはいえないだろうから、打倒メジロマックイーン補としてはそこそこ期待されていた。

しかし当日は不良馬場、こうなってはパワーに勝るメジロマックイーンの独壇場か。プレクラスニーは他に有力な先行不在となったために逃げることになったが、直線でメジロマックイーンがプレクラスニーをあっさり捕えるとそのまま突き放し、やはり当初の予想通り6馬身差でのぶっちぎりの1位入線。プレクラスニーは後続の追撃こそ抑え2位入線はしたものの得意距離でのこの差はメジロマックイーンからは実力の差を見せつけられたといったところであろう。上の江田照男騎手もこれにはメジロマックイーンの強さを称えるしかない、と思っていたのだが・・・

ウイニングランを終えて帰ってきたメジロマックイーン上の武騎手を迎えたのは他の騎手からの祝福ではなく、叱責・怒号・罵だった。武騎手がパトロールフィルムを見ると、なんと2コーナーで内に入れようと切れ込んだが、その切れ込み方が、多数の他に対してすさまじい妨になっているではないか。特に18位入線のプレジデントチーなんか良く落しなかったなぁ、と誉められるレベルである。

審議の結果、この年から始まった降着制度がGIはおろか、重賞競走において初めて採用され、メジロマックイーン被害の中で最も下位のプレジデントチーの下、すなわち18着降着の処分が言い渡された。メジロマックイーンという存在が消えたため、104回天皇賞()はプレクラスニーの逃げ切り勝利となったのである。ちなみに、これ以降に天皇賞(秋)逃げ切ったはいない。

当然武騎手はこれによって屈辱を味わったわけであるが、それは自分の騎乗ミスのせいなので、屈辱を味わっても仕方ない立場である。本当に悲惨だったのは勝者とされたプレクラスニー上の江田騎手や生産者の嶋田氏の方である。

結果確定後、当然表式が行われたのだが、そこには周囲のファンの戸惑いと、江田騎手や生産者の嶋田氏のばつの悪い表情があった。メジロマックイーンに6馬身ちぎられた天皇賞」。ある意味し者であり、屈辱と言える状態であった。嶋田氏は「正直言って表台に立っているのがつらかった」といい、祝勝会も開かなかった。江田騎手「次は先頭でゴールしますよ」という、とても天皇賞の表とは思えないコメントばかりが出てくるのであった。

その後

その後、打倒メジロマックイーンを誓って距離が合わないことを承知で有馬記念に出走したが、やはりメジロマックイーンの後を拝し4着。レース自体はダイユウサクメジロマックイーンを差し切る衝撃的な結末であったがプレクラスニーには関係のない話である。その後脚部不安を発症し、引退

種牡馬となったものの、天皇賞の初年度産駒10頭というのはいくら内種牡馬冷遇の時代とは言え酷い扱いを受ける。ここまで来るとサンデーサイレンスがどうとかもはや関係なく、後継どころか繁殖牝馬すら残せずに1998年種牡馬引退、その年の内に事故安楽死となった。クリスタルパレスとしてタニノギムレットを、としてデイラミ・ダラカニ兄弟を輩出していることを考えると残念な話である。

まともに走ったダイタクヘリオス毎日王冠で下していることから、中距離での安定した強さはかなりの物であったはずであり、もし天皇賞(秋)がそのままの入線順位だったなら、理に有馬記念に出走してメジロマックイーンを負かしに行くようなことはせず、マイルCSに参戦してあのダイタクヘリオスダイイチルビー対決に割って入ってくるなど、ニッポーテイオーのようなマイル戦と中距離戦で活躍するになれたかもしれない。このに関してはなんとも惜しい話ばっかりでてくる。

江田騎手自身がその後GI勝利の美味わうのは9年後の2000年スプリンターズSでのダイタクヤマトであった。まさかの最低人気勝利ではあるが、今度こそ繰り上げなしの勝利であり、この時の江田騎手インタビューでは9年前にはなかった、ようやく訪れた笑顔があった。ダイタクヤマトはプレクラスニーと毎日王冠叩きあったあのダイタクヘリオスであり、彼が件の天皇賞(秋)にちゃんと登録して出ていれば全く違う結果になった可性を考えると面い奇縁とも言える。

血統表

*クリスタルパレス
Crystal Palace
1974 芦毛
Caro
1967 芦毛
*フォルティノ Grey Sovereign
Ranavalo
Chambord Chamossaire
Life Hill
Hermieres
1958 栗毛
Sicambre Prince Bio
Sif
Vieille Pierre Blue Peter
Vieille Maison
トモオー
1971 鹿毛
FNo.5-j
*ヴィミー
1952 黒鹿毛
Wild Risk Rialto
Wild Violet
Mimi Black Devil
Mignon
ロイヤルリツキ
1964 鹿毛
*ロイヤルチャレンヂャー Royal Charger
Skerweather
キングセカンド シマタカ
トウセイ
競走馬の4代血統表

クロスRialto 5×4(9.38)

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