南太平洋海戦 単語

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ミナミタイヘイヨウカイセン

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南太平洋海戦とは、1942年10月26日に生起した日機動部隊による戦闘である。
アメリカ側の呼称はサンタクルーズ戦。

概要

ガダルカナル島を巡る日の争奪戦は、二ヶが経っても終結の兆が見えなかった。しかし潤沢な物資と戦力を持つ連合軍は着実にの支配権をモノにし始めており、日本側の攻撃を受けても時に回復するタフネスさも兼ねえていた。有効策を見出せない陸軍は大規模な攻勢による占領でしか打開できないと判断し、現地の第17軍に「10月22日に総攻撃」をするよう命じた。これを支援すべく海軍空母5隻を派遣し、その揮を南雲忠一中将に取らせた。総力を集めた日本機動部隊は、サンタクルーズ北方して南下を開始した。前方に囮になる戦艦重巡空母隼鷹を配備し、その後方220kmに空母翔鶴瑞鶴瑞鳳を置いた。

対するアメリカ軍は、ガダルカナル島に猛将ハルゼー中将率いる第17任務部隊が警についていた。間もなく到着したトーマス・C・キンケイド少将率いる第16任務部隊と合流し、揮権はキンケイド少将に移譲。度重なる日本側の艦砲射撃を警してガ北方に布した。10月25日午前10時カタリナ飛行艇南雲機動部隊を発見。急降下爆撃機41機を発進させたが、空振りに終わる。その晩には魚雷装備のカタリナ陸軍機が夜襲を仕掛けたがこれも失敗に終わった。

日本側の研究

ミッドウェー海戦で大敗したのを教訓に、帝國海軍は様々な改善と研究を行った。ミッドウェーでやった先鋒に空母、後方に戦艦を置く従来の配置をし、虎の子の空母を守るべく前衛に囮の戦艦を置く新たな形を編み出した。大艦巨砲主義の頃では考えられない全く新しい形であった。こうする事で空母と前衛艦隊が同時に索敵を行える利点もあった。

ミッドウェーで体験した敵機の奇襲への対応も用意された。第二次攻撃隊用の機体には爆弾を搭載せず、仮に襲撃を受けても引火しないように工夫。その代わり発進に手間取るデメリットが生じたが、戦訓や反省を活かそうとする姿勢が見て取れる。

両軍の接近

10月26日未明、日の艦隊は盛んに索敵機を発進。先に敵を見つけた方が有利に戦えると分かっていたからだ。この前戦を制したのは日本だった。午前4時50分、南東460kmに機動部隊を発見したとの一報が入った。さっそく翔鶴瑞鶴から第一次攻撃隊65機(半数が護衛の零戦)が出撃。ところが攻撃隊が去った直後、上から2機のドーントレスが奇襲。発進準備中瑞鳳に25kg爆弾を投下し、被弾。ちょうど飛行甲には燃料と爆弾を満載した機が整然と並べられており、ミッドウェーの悲劇が再来するかに思われたが、被弾箇所が何もない艦尾だった事が幸いし引火は避けられた。だが瑞鳳は中破し、戦線離脱を余儀なくされた。

遅れること約2時間、午前6時50分にキンケイド艦隊も索敵に成功。午前7時30分、空母ホーネットからドーントレス15機、アベンジャー雷撃機6機、ワイルドキャット戦闘機8機が出撃。30分遅れでエンタープライズからもドーントレス3機、アベンジャー8機、ワイルドキャット8機が発進。午前8時15分、ダメ押しの第二次攻撃隊がホーネットより出撃した。キンケイド少将エンタープライズホーネットを約18km間隔で離し、艦隊を二群に分けて日本軍機の襲来に備えた。

互いの空母を攻撃しにいく日航空隊が、偶然にも近くをすれ違った。当初は両軍とも無視を決め込んでいたが、最後尾についていた翔鶴所属の零戦9機が突如反転して航空隊に襲い掛かった。この戦により雷撃隊の指揮官機を含む14機を撃墜したが、零戦も2機が撃墜。以降は艦攻隊・艦爆隊の援護に復帰できなかった。

キンケイド艦隊を発見した第一次攻撃隊は、一気呵成に襲撃を開始。だがエンタープライズには最新鋭のレーダーが搭載されており、すでに迎撃機や護衛艦が周囲を固めていた。このため急降下爆撃隊は攻撃を阻まれ、不成功に終わる。一方で低から進入した雷撃隊は敵戦闘機の妨を受けず、障害護衛艦艇の対空砲火だけだった。そんな中、近辺にスコールが発生。攻撃から逃れるべくエンタープライズがその中に逃げ込んだ。1隻取り残される形となったホーネット翔鶴隊と瑞鶴隊から一斉に攻撃を受ける羽になり、雷撃隊に追い回される。必死抵抗で半数を撃墜したが、残り半数が雷撃成功。魚雷2本を左舷に受ける。更に被弾して燃え上がった艦攻が、最期の意地でホーネットの前部エレベーター付近に突入、爆発を起こした。上からは敵機をかいくぐった急降下爆撃機の一隊が高度5200mより落下。猛対空砲火で多くが撃墜されたが、ホーネットに3発の爆弾を喰らわせる。うち2発は飛行甲を貫通して内部で炸裂。致命傷を負ったホーネットは猛火に包まれ、に浮かぶくずに成り果てた。

他方、南雲機動部隊して飛行していた航空隊は数々の災難に見舞われた。ウデヘル少佐率いるホーネットの第一次攻撃隊は機動部隊を発見できず、また護衛の戦闘機隼鷹零戦隊に捕まってどやられてしまった。やむなく囮として配置されていた前衛艦隊を攻撃。魚雷が欠陥品だったためアベンジャー隊は戦果を挙げられなかったものの、ドーントレス1機が重巡筑摩を大破させる戦果を挙げた。前衛艦隊を攻撃したあと彼らは前進を続け、遂にお当ての翔鶴炎上中の瑞鳳を発見。J・E・ポース大尉率いるドーントレス隊が翔鶴に450kg爆弾を3発喰らわせ、大破炎上へと追いやった。格納庫が破壊されて戦闘力が喪失したものの、すでに艦載機は発進した後だったため大爆発は起きなかった。機関事だったので、速力21ノットで離脱。9ヶ間、前線に復帰できない深手を負わせた。だがその代償として零戦隊に襲われ、ドーントレス1機が撃墜、2機が撃破され、ウデヘル少佐機も撃墜された。

戦闘はまだ終わらなかった。翔鶴被弾前(午前8時22分)に放たれた第二次攻撃隊44機が機動部隊のもとへ辿り着いた。相変わらずホーネット炎上中だったため、攻撃は傷のエンタープライズに集中。ちょうどエンタープライズ伊21潜からの雷撃に気を取られており、上手く不意を突けた。2発の命中弾を与え、前部エレベーターを使用不能にしたが致命傷には至らなかった。さらに隼鷹隊29機が襲い掛かったが、こちらは不成功だった。代わりに戦艦サウスダコタ巡洋艦サンファンにそれぞれ1発の命中弾を与えた。

ホーネットの放棄

襲後、キンケイド少将は致命傷を負ったホーネットを救おうと努力した。巡洋艦ノーザンプトンが燃え盛るホーネット航し、どうにか安全地帯まで引っっていこうと試みる。が、そこへ日本の雷撃機6機が飛来。1本の魚雷ホーネットに命中し、一縷の望みは全に絶たれた。とうとうホーネットの放棄が決断され、準備に取り掛かった。その準備中にも隼鷹所属機10機が現れ、2回の急降下爆撃を受けて被弾。傾斜こそさせたもののホーネットは浮かび続けた。

息も絶え絶えなホーネットを楽にすべく、駆逐艦魚雷と12.5cm弾を撃ち込んだが沈没せず。やがて日本艦隊が追撃にやってきたため、キンケイド艦隊はホーネットを残して撤退した。すっかり暗くなった近藤中将率いる前衛艦隊が、かがり火のように燃え上がるホーネットを発見。このホーネットは約半年前にドゥーリットル襲を行った憎き艦であり、可であれば航して持ち帰り、多摩川に浮かべて見世物にしようと考えた。駆逐艦巻雲秋雲に命じ、綱をかけようとするが、あまりにも火勢が強いため近寄る事ができなかった。当時の様子を物語言として「の塊がここまで燃えるものなのか」というのがある。結局航は諦め、雷撃処分を決定。巻雲から放たれた4本の魚雷ホーネットの残骸に命中し、ついに中へとした。

こうして南太平洋海戦は終結。日本側の損翔鶴大破、瑞鳳中破に対し、アメリカ側の損ホーネット及び駆逐艦ポーター沈没(エンタープライズ所属機の魚雷誤射)、エンタープライズ中破であった。

結果

南太平洋海戦は日本が戦術的勝利を収めた戦いとなった。しかし以降はしばらく空母vs空母戦は生起せず、次は彼の戦力差が絶望的になったマリアナ沖海戦のため、事実上日の機動部隊が互に戦えた最後の戦いになってしまった。

この熾航空戦で、日本側は航空機216機中130機を喪失。さらに戦前から育ててきたベテランを含む多数のパイロットを失い、小空母2隻分の人員にまで減少してしまった。かろうじて戦には勝利したものの、その代償は非常に大きかった。対するアメリカ無視できない損を受けていた。ホーネット沈没エンタープライズ戦線離脱により太平洋で活動できる空母が一時的にゼロとなり、10月27日に「史上最悪の海軍記念日」と嘆いた。だがアメリカにはヘンダーソン飛行場という不沈空母があり、そこから放たれる数の米軍機が、日本側の作戦を妨げ続けていく事になる。

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