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「南方航路は危険がいっぱい…。
鎮守府も危険が…いっぱい?
ふぅん…、ふふふ。」
対馬(つしま)とは、大日本帝国海軍所属の択捉型海防艦7番艦〈対馬〉をモチーフとした、ブラウザゲーム『艦隊これくしょん~艦これ~』に登場する艦娘(かんむす)である。
CV:今村彩夏、イラストレーター:赤坂ゆづ
海防艦娘「対馬」は、2017年11月に行われたイベント『捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)』の第二海域以降のドロップとして実装された。例によって取れるときは簡単に取れるが取れないときはとことん取れない艦娘である。その後もイベント以外の期間限定で邂逅の機会があり、そちらで出合えた提督も多い。
択捉型姉妹の七女にあたる。
択捉型共通の、白と青のセーラー服に水色のスカーフタイ、そして同じく白と青のベレー帽を頭に乗せている。髪の色はブルーグレーから毛先に行くにつれて明るい黄色のグラデーション。姉の松輪や佐渡も髪は(色は違うが)同じくグラデーションなので、択捉型姉妹の特徴なのかもしれない。
性格はというと、おっとりとした口調で提督を誘う小悪魔系だがややダウナー。誰かが如月と荒潮と早霜を足して三で割った後にロリ化させた、とのたまったが、まぁそんな感じである。
なお、セリフの中に「うくる」という名が出てくるが、これは鵜来型海防艦のネームシップ「鵜来」である。対馬実装から約5年後の2022年8月に実装された(→鵜来(艦これ))。こちらもわりと波瀾万丈な艦生を送り、訓練のときは呂五〇〇潜水艦(言わずと知れたろーちゃん)を教官としていたりする、エピソードに事欠かない海防艦である。
実装直後の17年12月末には「年末大掃除mode」が実装。和服姿に三角巾とエプロンに箒を持った姿と本格的であり、意外としっかりした様子を見せている。
年が明けて2018年1月1日には「晴れ着mode」に衣替え。しっかり大掃除modeとは違う柄の着物姿に白薔薇のかんざしで海防艦どころか一部の駆逐艦娘より明らかにお洒落かつ大人びている。
18年4月23日の艦これサービス5周年には並行開催されていた「第二次瑞雲祭り」の法被姿を披露。同時実装されていた佐渡様(のコラ画像など)と比べるとやや影は薄かったが、海防艦組では数少ない参加組だった。
18年11月に秋限定私服mode実装。チェック柄のワンピースに黒のベレー帽、白毛糸のカーディガンとこちらも品が良いお嬢様という趣でコーヒー片手に優雅な姿を披露。
19年2月末のアップデートで桃の節句mode実装。お内裏様の福江と共にお雛様を担当。同日家具にもひな壇が追加される。
総じてセンスがお洒落であり、上記のセリフから男性提督は勿論、女性提督からはファッションモデル(静画対象)としても歓迎されている
択捉型海防艦については、「択捉(艦これ)」の記事を参照されたし。
択捉型7番艦〈対馬〉は日本鋼管鶴見造船所にて、1943年(昭和18年)7月28日に竣工した。「占守型海防艦」から続く島名からの命名となる艦名は、九州の北西、韓国との間にある対馬より。ちなみに海軍省の艦艇類別等級では「占守型海防艦11番艦」である。
竣工後は択捉型の姉妹同様に海上護衛と哨戒任務で南洋を駆け巡った。
1944年3月には、護衛任務中に輸送船徳島丸と衝突、艦尾をスクリューと舵ごと喪失しさらに爆雷が誘爆して死者6名を出してしまう。このときは曳航されてなんとか九死に一生を得た。
同年10月には、船団護衛専任の戦隊である第101戦隊が編成された。旗艦は練習巡洋艦〈香椎〉で、その一艦に〈対馬〉もいた。
そして同年12月、第101戦隊は、シンガポールから内地へと石油を輸送するヒ86輸送船団の護衛任務に就く。〈対馬〉もその一員として護衛任務に就いていたが、途中で別の場所(海南島)へ向かう輸送船を護衛するため船団から分離、無事に輸送船を送り届けた後、離れてしまった船団を追いかけていたが、その途中B24爆撃機に攻撃され、浸水するほどの損傷を受けてしまう。結局、修理のために海南島に戻る羽目になった。
そして、ヒ86船団は〈対馬〉を置き去りにして日本への帰途の途中、米機動部隊の襲撃を受けて旗艦〈香椎〉を含め壊滅してしまった。
海南島の〈対馬〉も米艦載機の攻撃を受けるがなんとかそれをくぐり抜け、日本へ戻ることが出来た。
ヒ86船団、さらにヒ87船団(〈神威〉や〈時雨〉がいた)が次々と壊滅し、大型タンカーをほぼすべて失い、何より南シナ海の制海権を完全に失った日本が大型輸送船団を諦めざるを得なくなったため、その護衛任務も無くなってしまった。
〈対馬〉も本土に迫るアメリカに対抗するため、室蘭の警備などを行い、そして小樽港にて終戦を迎えた。
戦後は復員任務に従事した後、1947年7月31日、上海において中華民国に賠償艦として引き渡された。中国では「接11号」(日本から引き渡された艦の仮の名称。ちなみに「接1号」が〈雪風〉)、そして正式名〈臨安〉と名前が変わった。
1958年11月1日、除籍。
なお、「対馬」の名を持つ艦としては2代目……だが、初代「対馬」は日露戦争に参加した防護巡洋艦で、名前は「対馬国」からとられている(当時は命名基準がちゃんと決まっていなかった)ので、島の名前をとった艦としては海防艦〈対馬〉が初代となる。
戦後は、掃海艇のやしま型掃海艇AMS-255〈つしま〉が1978年3月20日に除籍するまで活動していた。ちなみにこのやしま型掃海艇は元はアメリカのブルーバード級掃海艇で、日本がもらい受けた4隻を運用していた。
そして次は純国産のやえやま型掃海艇の2番艦MSO-302〈つしま〉が1993年3月から活動していたが、こちらも2016年7月1日をもって無事に退役した。
少数であるが、台湾在住の提督(後に「御蔵」の公式絵師として艦これに参加)から臨安時代の姿(⇒オリジナル艦娘)も投稿されている
択捉型海防艦 |
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2017年秋イベント 「捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)」新規実装艦娘 | |
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最終更新:2024/11/09(土) 00:00
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