375
241 ななしのよっしん
2018/09/17(月) 20:18:07 ID: //d/8yI5M/
桶狭間時点で、無理ゲー通り越して負けイベントだったのか…
なろうなら、なろうならきっとなんとかしてくれる…
242 ななしのよっしん
2018/09/25(火) 23:41:25 ID: GEPeu0VGUI
大志だと一桁台が無くなったせいか数値上は大幅パワーアップしてるな
243 ななしのよっしん
2018/10/03(水) 11:08:26 ID: k9d30Kb27n
岡崎松平の離反が無かったらまだ持ちこたえたかもしれないが
その家康だって今川からの援軍無ければ単独で織田と戦わなけりゃいけないとかいう無理ゲー
そして三河まで遠征するには隣の北条と武田が不穏すぎる
244 ななしのよっしん
2018/10/06(土) 11:09:07 ID: pwc3uUBJwf
というか性格的に秀忠ポジで、親父の代で戦国時代の終わりが来ないとキツい
たとえ桶狭間の戦いがなくて義元ひとりが病死しただけだとしても、義元が死んだ時点で詰んでる
245 ななしのよっしん
2018/10/06(土) 11:48:30 ID: ySJ15V1noX
義元から氏真への権限委譲は三国同盟以前から段階的に行われていて、
横死後の王位継承自体はスムーズだったんだが、同時期に重臣クラスが
ばたばた死んだのが非常にまずかったんだな
上が抜けたわけだから下から誰かを引っ張り上げないといけないんだが、まだ
若い氏真には誰を使うべきか判断できなかったようだ、こうなると誰もが
自分で良いのではないか?と考えてしまうようになる、その間隙を武田が突いた
246 ななしのよっしん
2018/10/07(日) 21:35:27 ID: Yq6PXKPT9Z
>>足利義輝の兄弟子に当たる。後に研鑽を重ね今川流を興す。
↑これ氏真じゃなくて、今川義真という遠縁が興したらしいから
断定する感じに書くのは微妙な希ガス
>>245
最後の方の文を見て思ったんだが、桶狭間で重臣達を失った今川の、隙を突いて攻めて来た武田が
長篠で重臣達を失って、今川と同じく滅亡するのは因果応報感があるな
247 ななしのよっしん
2018/10/08(月) 10:05:01 ID: eb49boRNcN
ただ氏真は義元存命時から駿河と遠江の支配権も与えられていて、特に浜名湖周辺の復興事業には物凄く力入れたのでこの地域の人々は氏真贔屓になり今川末期でも徳川軍に頑強に抗戦した
謀反した家康を一度は追い詰めたりもしてる
そのタイミングで遠江で反乱頻発したのだが、氏真が下手打ったというより家康の人脈が凄かったのでは
武田信玄が裏切ったのは織田と上杉に挟まれたので織田と手を結んだという今川家とは関係ない事情から始まったことなので氏真が下手打ったからとは言えない
まあ桶狭間の敗戦や徳川の台頭がなかったら違う展開になった筈なので今川家は無関係ではないが
248 ななしのよっしん
2018/10/27(土) 00:18:06 ID: PQYU1DiOO/
信玄のアレぁ結局自分のとこの首絞めちゃってるからな
北条も蹴っちゃったし息子ヤったせいで(本人悪くないっつーかまあ原因はやっぱり信玄なんだが)落ち目作った勝頼が後継ぐ羽目になってるし
249 ななしのよっしん
2018/10/29(月) 23:47:25 ID: EybvPmeCPR
>>237
どうしてそうなった系の話なのに最終選考まで残ってる辺りスゲェわな……
そこからゴブスレときて無用剣発売しますとなる辺りも中々
250 ななしのよっしん
2019/01/06(日) 09:19:44 ID: QISYRdlr2a
さらっと駿府を追われと書いてあるけど、
攻め口が断崖絶壁の隘路に限られ、東の親不知と言われる薩た峠に1万5000で待ち構えて、守備側が圧倒的有利な状況にした上で、同盟している北条方との挟撃を待ったものの、戦う前に既に信玄が重臣を20人以上調略していて、
不穏な動きを見せたので身の危険を感じて、
氏真本人が駿府に逃げたことで総崩れになった薩た峠の戦いが大きなターニングポイントになってる。氏真は家康も信長も時流からして仕方が無かったから恨みなく思っているが、信玄とその時裏切った家臣だけは終生恨みを忘れなかった。
駿府って当時は東は薩た峠、西はこれまた断崖絶壁の大崩海岸か宇津ノ谷の蔦の細道(急峻な隘路)でちゃんと興津城、丸子城、持舟城で詰められるようにしてあったから普通に戦えばそうそう落ちないハズなんだけど、家臣の裏切りだけはどうしようもなかった
251 ななしのよっしん
2019/01/06(日) 09:22:16 ID: v9dxh0ibhe
こいつガープスでビルドしたら
「個人戦闘だけは強いが政略・戦略は技能無しの腕っぷし野郎」ってことかな?
252 ななしのよっしん
2019/02/14(木) 12:18:20 ID: Ur0iqnMy1S
大量の家臣に裏切られる時点で魅力がない将来性のない人物
求心力がないからどこの大将も安心して受け入れてくれる
取り入るわけでもなく離反が続出してる時点で上に立つものとしてはすぐわかる致命的欠陥があったんだろう
それゆえ義元は氏真の補佐をしっかりできるように家康にいろいろ教え込んだら最悪の形で裏切られてしまったのかもしれない
253 ななしのよっしん
2019/02/21(木) 18:57:46 ID: 6rzOytY2lq
信長の野望・覇王伝で采配値が高かったのは前作の魅力の概念に近いものがあったらしいけそね
254 ななしのよっしん
2019/02/23(土) 14:48:50 ID: eb49boRNcN
大量離反は遡ると義元時代に原因の一つがある
今川義元は勢力拡大の際、各地の武家それぞれの構成員から一人を選んでその人物をトップとして扱った
当然それまで緩やかな合議制に近かった武家の親族や、代表に選ばれなかった対立候補は不満を抱いた
で義元時代はその連中の反乱が相次いだが、それを義元は彼が選んだトップたちを支援することで叩き潰し、義元に選ばれ勝者となった人々は義元に忠誠を誓った
三河だと松平広忠、奥平貞勝などだね
しかし敗者側を族滅したわけではないから各武家内の問題は解消されなかった
勝者が今川義元の武力を借りて抑えつけていただけ
義元が亡くなってから反乱がまた続いたのは当然の結果だった
255 ななしのよっしん
2019/02/23(土) 14:58:12 ID: eb49boRNcN
この各武家の御家騒動に家康を手を貸したことで内乱が拡大
ただしこれが原因の反乱は1564年頃にはほぼ鎮圧されたとみられる
反乱鎮圧に注力した今川氏真は三河を失う羽目になったが、ここから今川家と徳川家の戦力が拮抗し、睨み合いが始まった
そのタイミングで北では織田信長が東美濃へ侵攻し、武田信玄が織田信長と同盟
三国同盟はこれで実質破綻し、武田家の駿河侵攻の可能性はこの時点で生じたため、今川氏真は武田家への警戒と戦力の張り付けも行った
そこから3年、今川家は家康の侵攻と武田家の圧力に晒され続けた
しかも家康には織田信長からの支援もあり、また上方との交易の成果かその後の徳川家は鉄砲を大量使用するようになった
武田信玄の側からすると、軍役負担と自家存亡の危機に耐えかねた北駿河衆を取り込むには十分すぎる時間があった
256 ななしのよっしん
2019/02/23(土) 15:11:31 ID: eb49boRNcN
今川氏真個人の資質で今川家の存亡が左右されるくらい今川家が強大だったならまだマシだったが、そうではなかったわけ
強力な周辺勢力の動向に振り回され、その対処に追われ続けた
>>254
氏真の補佐役というなら由比などでしょう
義元が家康に期待したのは、義元存命中に家康が任されたポジションからしてあくまで三河西部の旗頭
もちろん当時の最前線を支える極めて重要な役割だったけどね
家康は桶狭間の敗戦後も一年程この役割を担い続けた
その間、三河西部は織田軍や水野家の侵攻に晒されたが、敗戦のダメージでこの間に今川氏真は大規模な後詰部隊を現地へ送ることができなかった
そうこうしている内に遂に家康が離反したのだが、その1年後には今川氏真や今川家の官僚たちの働きで今川家は大規模な軍勢を三河へ派兵できるようになった
そして今度は家康が彼に味方した国衆を見捨てる羽目になった
家康の謀反に初期から参加した西郷家などを見殺しにした
その直後に遠州錯乱が始まり、家康は危機を脱した。すぐ後に三河一向宗に喧嘩売ってまたピンチになったけど
257 ななしのよっしん
2019/02/23(土) 15:27:46 ID: pwc3uUBJwf
自己レス吹いた
揚げ足取りは置いといて、他の低評価君主にも同じことが言えるけど「アホで暗愚だ」と「有能とは言えなかった」は全く次元の違う話
今川の滅亡を氏真のせいにして氏真を前者に寄せるのはどうかとは思うが、後者を拭い去れるほど非凡なエピソードがあるかと言うと…
258 ななしのよっしん
2019/03/04(月) 10:20:51 ID: lM7RJANhjH
アホじゃないが有能でもないって感じで「人の上に立つ器じゃない」とが彼に一番ふさわしい評価だと思うよ
個人として動くのが適正の人間で組織は動かせない
259 ななしのよっしん
2019/03/14(木) 20:52:01 ID: CjKYYlosnN
残した句を見る分に将としての器は無く自他ともに「生まれた時代を間違えた」なんだろうなぁ
ただ個としてはそうでもないというか、憎めない人物だったんだろうか
晩年まで付き合いのあった家康とか、最期まで連れ添った早川殿、少数ながら付いてきた配下といい、天下への野心のある人は離別し一人の人間として生きていて欲しいという人が残ったとか…
多分人生の選択としては正解だったんじゃないかな
260 ななしのよっしん
2019/03/26(火) 20:27:10 ID: OZCADDyw8K
良くも悪くも回り次第の人なのかな。生まれたのが修羅ばっかの九州なら生き残れないだろ・・・家康が名族好きだったのも恵まれたと思う。
261 ななしのよっしん
2019/03/26(火) 21:03:13 ID: ELk3tsh+GA
多分、人望はあるんだが、軍団を統率するという意味では発揮出来ず、少数の、あるいは一対一での関係で親密圏を築く形で本領を顕す類なんだろうな。頼った相手はまず籠絡出来てる訳で、能力というよりは、気質の問題だろう
ある程度安定した状況なら、家臣らを自室に招くなり、訪問するなりして地固め出来たけど、混乱した状況下だと得意な距離感でコミュニケーションを取れなかったんじゃないかな
おそらく、性格的には内向型だと思う。動乱期より安定期での国力涵養とか、中長期的な陰謀戦とかで強みを出せるタイプ
262 ななしのよっしん
2019/03/26(火) 21:27:11 ID: GcQlwIIxhm
どっかの裏臭いもとい有楽斎よろしく、
あれに口出しこれに茶を出し東奔西走する裸一貫戦国サバイバーとはまた違う性質なんだろうな
頼られることもなかったが警戒されることもなかったようだし
263 ななしのよっしん
2019/04/11(木) 12:03:58 ID: y5e8JBQgup
氏真の行動を見ると、政治戦略も軍事判断も最後まで普通以上にそつなくこなそうとはしているんだよね。
問題は謀略戦に弱く統率力がないので、適切な判断をしているのに実行しきれていないことにある。
初期段階で弔い戦出来なかったのは、蒲原などの駿府東の防衛戦力が桶狭間で壊滅していたところに武田が不穏なので仕方のない部分。
浜松周辺を粛清で抑えにかかったのも、立地的には当然だし、さった峠で迎え撃って、敗戦後は掛川に逃げるのも判断としては正しい。
264 凡人
2019/07/09(火) 23:25:46 ID: u/RtqNDizI
歴史の教科書なんて、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康がベースで明智光秀と今川義元があるか無いかだもんな
だからこそ戦国時代の知識を広める楽しみがあるのだが
265 ななしのよっしん
2019/09/14(土) 17:22:39 ID: eb49boRNcN
信玄と同盟していた家康に方針転換させて、元から味方の北条家も加えた三家連合で武田家に挑んで圧倒し、
大逆転して駿河を奪い返した後に北条家の傘下に入って北条家が駿河を防衛せざるを得ない状況を作り出し、その際に北条家に養子に出した息子は北条家一門衆の中でも最上位グループに所属
(北条氏照、氏邦より上)
桶狭間合戦の後から信玄と家康に一度潰されるまでは国人たちの御家騒動や領国で回すための銭の工面に忙殺されてしまったけど、
一度大名今川家が潰されてそれらのしがらみから解放されてからの機敏さが凄い
その諸問題を氏真から押し付けられた北条と徳川がグダグダになったところを信玄に突かれて、また駿河を失ってしまうが
266 ななしのよっしん
2019/09/19(木) 21:15:21 ID: Yq6PXKPT9Z
>>北条家に養子に出した息子は北条家一門衆の中でも最上位グループに所属
範以か高久を北条家に養子に出してたっけ
267 ななしのよっしん
2020/01/05(日) 22:08:31 ID: t5tjRHu+17
268 ななしのよっしん
2020/01/05(日) 22:14:40 ID: ItbfY6s9oq
269 ななしのよっしん
2020/01/22(水) 14:45:57 ID: 2TZN7aVLLm
武田氏滅亡の際に、家康が占領した駿府城の留守居役に氏真を任じたり、
北条徳川同盟締結に尽力した朝比奈泰勝を動かしていたのは氏真ではないか(ここらへん大河直虎でも触れられてた)との説もあったり、
氏真は勝頼滅亡の段階まで、駿河奪還を諦めていなかったのでは?ともとれるのでは
270 ななしのよっしん
2020/03/27(金) 23:11:27 ID: R3VHxpTGO/
この人、一個人なら優秀なんだと思うよ。
その時ならば
統率80武勇90知略88政治85
位は出てるんじゃあないかな?
ただ、「よし、じゃあこれだけ優秀ならどっか城や国を任せるか」と将に据えると
統率10武勇6知略8政治70
位まで下がるんだよきっと。
平たく言えば「部下として扱えば優秀だけど、部下を扱う立場にさせるとデバフが掛かる」お人なんじゃあないかな?
ほめた!
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