リッジウッドパール 単語


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リッジウッドパール

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リッジウッドパール(Ridgewood Pearl)は、1992年生まれのアイルランド競走馬である。

豊富スピード武器マイル路線で活躍し、の4ヶGIを制して1995年カルティエ賞年度代表馬に選ばれた。

概要

血統

Indian Ridge(インディアンリッジ)、Ben's Pearl(ベンパール)、Tap On Wood(*タップオンウッド)という血統のイギリス

インディアンリッジ競走馬としてはスピードに任せてぶっ飛ばすだけという不器用レースぶりが災いしてGIを勝てなかったが、種牡馬としてはその快速プラスに働いて短距離マイルの活躍を多く送り出した。

ベンパールは8戦2勝で、繁殖牝馬としてはリッジウッドパールの全リッジウッドベンアイルランドGIIIを勝ち、また2000ギニーで3着となったが、それ以外の近にはほとんど活躍なし。相当遡れば現代のGI級に当たるレースを勝ったがいないこともないが、その辺りはもはや近とは言いがたいレベルである。

*タップオンウッド2000ギニーの勝ちだが種牡馬としては均的な成績で、そうしているうちに日本種馬協会に購入されて輸出されていった。日本ではこの後に横山典弘騎手の初GI制覇のパートナーであるキョウエイタップを輩出したことの方が有名かもしれない。

前半生

アイルランドジョンオックス調教師に預けられたリッジウッドパールは、2歳9月リステッド競走デビュー。ここは3着に敗れたが、騎手となるジョニー・ムルタ騎手が初めて騎乗した2週間後のウェルドパークS(GIII)では既に3勝していたを抑えて1番人気に支持され、人気に応えて2馬身半差で勝利して初勝利となった。

3歳時はまず始動戦のリステッド競走アサシSを単勝1.73倍の圧倒的人気に応えて7馬身差で圧勝。英1000ギニーを勝ったハライールに並ぶ二強の一として1000ギニーに臨んだ。ここではムルタ騎手トライアルを3馬身半差で勝った同厩のカイタダに騎乗するため、デビュー戦でも騎乗していたクリスティ・ロシェ騎手が騎乗した。

スタートが切られるとリッジウッドパールとハライールは好位につけて競馬を進めた。そして先にリッジウッドパールが仕掛けて残り2ハロンで先頭に立ち、一方のハライールは伸びを欠いた。こうなるともはや敵はおらず、ハライールが5着に敗れるのをに、最後方から末脚に賭けた2着ウォーニングシャドウズに4馬身差をつけて圧勝した。

続けてムルタ騎手上に戻って英国王室催のロイヤルアスコット開催に向かい、伝統の3歳限定マイルGIコロネーションSに挑戦。ウォーニングシャドウズハライールに加えて、マルセル・ブサック賞(GI・2歳限定)の勝ちマクーンバ、カルティエ賞最優秀2歳ゲイギャランタなどが相手となった。

ここではまたしてもハライールに人気を譲ったが、中団でハライールやマクーンバと同じような位置から競馬を進めると、仕掛けどころでいの一番に抜け出して、2着スモレンスクを2馬身差で退け優勝欧州の3歳マイル女王の座を手にした。

古馬への挑戦、そして引退

同世代のの頂点に立ったリッジウッドパールは、フランスで古混合のマイルGIであるムーラン・ド・ロンシャン賞に挑戦。勢いを買われて1番人気に支持されたが、その下はジャック・ル・マロワ賞を勝った同世代の3歳ミスサタミクサ、同年のサセックスSなどGI5勝の5歳サイエダティ、前年のプール・デッセ・デ・プーラン(2000ギニー)と同年のイスパーン賞を勝ったグリーンチューンなど5頭が単勝オッズ10倍を切る混戦ムードだった。しかしレースでは好位から残り200mで抜け出すとブービー人気の*シャンクシーを3/4馬身抑えて5連勝を達成した。

次は再びイギリスクイーンエリザベスII世Sに出走。セントジェームズパレスSを勝ったがGIで2着と3着が2回ずつあった善戦マンのバーリくらいしかめぼしいはおらず、単勝1.62倍の圧倒的な支持を受けた。
レースではスタート直後にいきなりバーリ外側にぶっ飛ぶのをに先行。途中で失速したペースメーカーを交わして先頭に躍り出たが、そこへ外からいきなり1頭切れ込んできた。

切れ込んできたのはバーリだった。木陰だったためをほとんど受けていなかった外ラチ沿いを進んでアドバンテージを稼いでいたのだ。そしてそのままバーリはぐんぐんと逃げリードを広げていき、リッジウッドパールは3着に5馬身差をつけたものの、バーリには6馬身差をつけられて2着に敗れた。

次走はアメリカで行われるブリーダーズカップ・マイルとなった。ここでも1番人気に支持され、その他の上位人気にはモーリス・ド・ギース賞とスプリンカップGI2勝を含む4連勝後の前走アベイ・ド・ロンシャン賞を2着としていたチェロキーローズなど対戦経験のないが続いた。

ゲートが開くと、いつも通りリッジウッドパールは好位を先行。途中で少し行きたがる素振りを見せたが群の内側で慢し続け、3コーナー逃げが交わされるのを見ながら進撃を開始。先に先頭に立っていたファストネスと並んで後続を大きく離しながら直線に入ると、残り100m付近で全にファストネスを振り切り、ファストネスに2馬身差、3着以下には更に7馬身も差をつけて勝を収めた。これを最後に、カルティエ賞最優秀3歳・同年度代表馬タイトルとともに引退した。

年度代表馬

さて、リッジウッドパールがマイル路線で活躍している頃、12ハロン路線ではとんでもない大物世界を賑わせていた。その名は*ラムタラである。英ダービーキングジョージVI世&クイーンエリザベスダイヤモンドS凱旋門賞を含めて4戦4勝で引退した*ラムタラに高い評価を与える意見は当然根強かった。

しかし、先述の通りこの年のカルティエ賞年度代表馬はリッジウッドパールで、このことで異論が噴出した。中には「*ラムタラドバイの王族のマクトゥーム一族の所有馬だから敬遠されたのではないか」という意見まで飛び出したが、前年にGIブリーダーズカップ・マイルを1勝しただけの戦績で年度代表馬となったバラシアがマクトゥーム一族のシェイク・モハメド殿下の所有馬だったことを考えると、王族々は決定的な要因ではなさそうである。

ついでに書くと、カルティエ賞JRA賞のような単純な記者投票ではなく、レースごとのポイントの合計(40%)、記者投票(30%)、レーシングポストデイリーレグラフ読者投票(30%)の合計で決定され、そしてこの年戦績のポイントが高かったのはリッジウッドパールの方だった。欧州有数の大競走3つを敗で駆け抜けた*ラムタラをもってしても、記者読者投票で4ヶGIを勝って衝撃を与えたリッジウッドパールを逆転するまでには至らなかった、というのが最も正解に近いところだろう。日本と違ってあっちはマイラーでもバンバン年度代表馬になるし。

早世

繁殖入りしたリッジウッドパールはアメリカアイルランドを行き来しながら繁殖生活を送り、5頭のをもうけたが、活躍を出すことはできなかった。2002年にはマイルで土をつけられたバーリと交配されたが、翌年5月にそのを流産した際に出血多量に見舞われ、11歳の若さ世した。牝系現在でも細々と残っているので、そこからリッジウッドパール級の名が出るか注である。

血統表

Indian Ridge
1985 栗毛
Ahonoora
1975 栗毛
Lorenzaccio Klairon
Phoenissa
Helen Nichols Martial
Quaker Girl
Hillbrow
1975 栗毛
Swing Easy Delta Judge
Free Flowing
Golden City *スカイマスター
Skymaster
West Shaw
Ben's Pearl
1985 鹿毛
FNo.14-a
*タップオンウッド
Tap on Wood
1976 栗毛
Sallust Pall Mall
Bandrilla
Cat o'Mountaine Ragusa
Marie Elizabeth
Joshua's Daughter
1973 鹿毛
Joshua Welsh Rake
Charybdis
Legal Love *キングベン
King's Bench
Mareeba
競走馬の4代血統表

クロスDiscipliner 5×5(6.25%)

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