時おり思い知らされる
この世界にはいくつもの
不思議が散らばっていることをたとえば魔法は実在する
彼が呪文を唱えると
たちどころに海は割れ
森の木々はひざまずくのだ
シャダイカグラ(1986年3月23日生~2005年4月4日没)とは、日本の元競走馬・元繁殖牝馬。武豊騎手の『わざと出遅れ伝説』で有名な競馬界の一つの伝説を騎手と共に作った馬である。
主な勝ち鞍
1989年:桜花賞(GI)、ローズステークス(GII)、ペガサスステークス(GIII)
※当記事では、シャダイカグラの活躍した時代の表記に合わせて、特に記述が無い限り年齢を旧表記(現表記+1歳)で表記します。
血統概要
父リアルシャダイ、母ミリーバード、母父ファバージという血統。父リアルシャダイはライスシャワーの父でもあり、中長距離の晩成の血統ではあるが、シャダイカグラやイブキマイカグラ(阪神3歳ステークス(GI)勝ち馬)のように早い段階のマイルのレースで走った馬も出しており、スピードも仕上がりの早さも一流のものを伝えることのできる種牡馬である。
母ミリーバードは伊藤雄二調教師が目をかけており、ミリーバードとリアルシャダイとの交配は伊藤師の提案によるものである。
ちなみにシャダイカグラという名前ではあるが、社台グループの持ち馬ではない。単に父リアルシャダイから名前を取っただけである(リアルシャダイの方は社台の持ち馬)。桜花賞勝利時には勘違いされて社台に祝福の電話が鳴ったという珍事があったとか。こんな珍事はこの馬くらいかと思ってたら・・・→セイウンワンダー
牝馬戦線の不動の主役へ
デビュー戦は太め残りもあって2着。2戦目で20kg減でダート戦ながら勝利する。その後ソエにより3カ月の休養を余儀なくされるが、復帰初戦のりんどう賞でデビュー3年目ながら既に若手No.1の誉も高い武豊騎手を鞍上に据えると、初の芝のレースでも問題なく快勝。さらに京都3歳Sでも後に阪神3歳S(GI)を勝つラッキーゲランを4馬身差で圧倒し連勝。
しかし最優秀3歳牝馬の座を狙って中1週で臨んだラジオたんぱ杯3歳牝馬S(GIII)では連戦の疲れが出たか2着に惜敗。最優秀3歳牝馬の座はシャダイカグラではなくデイリー杯3歳S(GII)を勝ったアイドルマリーの手に渡った。
連戦で疲れを出してしまった3歳のローテーションを反省し、4歳は余裕あるローテーションを組んだ。初戦のエルフィンSでは2着ライトカラーに5馬身差の圧勝。ペガサスS(GIII)では最優秀3歳牝馬のアイドルマリーと後にスプリングS(GII)を勝つナルシスノワールを相手に快勝。桜花賞の舞台である阪神芝1600mの牡牝混合戦での快勝劇に桜花賞での主役の座はシャダイカグラで不動のものとなったのである。
桜花賞を目前にシャダイカグラの仕上がりも絶好。武騎手からは「9割方勝てる。大外枠でもなければ」という自信のコメントが聞かれるようになった。
伝説の桜花賞
しかしシャダイカグラが桜花賞の枠順抽選で引き当ててしまったのは、その大外18番枠であった。当時の阪神芝1600mのコースはいきなりカーブから入るため、大外がかなり不利とされていた。(現在は解消されている)
それでも2.2倍の1番人気に支持されたシャダイカグラであるが、不幸は重なるもので、桜花賞当日のシャダイカグラは仕上がりの絶好ぶりが逆に仇となったのか、激しくイレ込んでしまったのである。
まさかの調整失敗に頭を抱える伊藤師。祈るようにスタートを見つめていた彼の瞳には、やはりというかなんというか出遅れているシャダイカグラの姿があった。場内から上がる本命党の悲鳴と穴党の歓喜の声。ところがその後のレースは、先述のカーブの不利を解消するために先行馬勢がコーナーに殺到するため、いわゆる『魔の桜花賞ペース』と呼ばれる程のハイペースでレースが進んだため、後方待機の馬が有利になった上、シャダイカグラは出遅れたため苦もなく後方でコースの内に陣取る事が出来た。
そして先行勢がバテるのを尻目に進出を開始すると、最後は前で粘るホクトビーナスとの一騎打ちとなり、わずか頭差ながらシャダイカグラがホクトビーナスを交わして桜花賞を制したのである。
さて、この日の結果をみると「ハイペースのレースで後方待機から勝利」「後方から苦もなく内に入れる」と、出遅れがまるで好結果をもたらしたようにも見える。そのため
「武騎手は大外の不利解消とレースのハイペースを読んだために意図的に出遅れさせたのではないか」
という伝説が流れ始める。当時の武騎手も意味深長なコメントばかりを言うので伝説の流布に拍車をかける結果となった。
・・・冷静に考えれば2着ホクトビーナスとの差はわずか頭差。勝ったからこそ良かったものの、この着差では何かの展開のアヤで入れ替わっていてもおかしくない着差である。もちろん負けていれば痛烈な批判が出たのは間違いない。そう考えるとガチ出遅れだった、と考えるのが自然であり、武騎手も近年「ガチ出遅れでした」と述べたようである。ただ、後方待機にすること自体は最初から決めていたようで、本当はスッと出てスッと下げるという位置取りが理想だったようだ。
もちろん、ガチ出遅れであっても出遅れをカバーした武騎手の好騎乗、シャダイカグラの能力を貶めるものではない。
その後
シャダイカグラは牝馬2冠を目指しオークスに出走。そこで単勝1.8倍と桜花賞以上の圧倒的1番人気となるが10番人気の伏兵ライトカラーに足をすくわれ2着。
エリザベス女王杯を目指し秋はローズS(GII)で復帰。そこでオークス馬ライトカラーと再び激突するが8着に沈んだライトカラーを尻目に単勝1.6倍の1番人気に答え快勝。再び牝馬戦線不動の主役の座につく。
しかしこの辺りから強い調教がかけられていないシャダイカグラの様子、「エリザベス女王杯を最後に現役引退」という伊藤師の言葉などから
「シャダイカグラに脚部不安があるのではないか」
との噂が上がり、エリザベス女王杯では単勝2.2倍と依然圧倒的1番人気ではあるがオークス・ローズSよりは支持を落としていた。
そしてこのレースで(馬券はともかく)的中したのはそれでもシャダイカグラを支持したファンではなく、不安の方だった。シャダイカグラは4コーナーで右前脚の繋靱帯断裂を発症、武騎手はレースを止めようとしたが、シャダイカグラは最後まで完走する意地を見せた。しかし結果としては最下位20着の惨敗。レース後にシャダイカグラには競走能力喪失の診断が下され、当初の予定通りとはいえ、残念な形での引退となった。(予後不良を免れたのは不幸中の幸いであるが・・・)
ちなみにシャダイカグラが故障したエリザベス女王杯の勝ち馬は単勝430.6倍、20番人気のサンドピアリスである。桜花賞に匹敵する伝説となったこのレースで圧倒的1番人気であったシャダイカグラは悪い意味で伝説に一役買うこととなってしまった。
引退後の繁殖牝馬としては2年目の産駒エイブルカグラがデビュー戦をレコードで快勝したものの故障で底を見せずに引退。その後は仔出しの悪さもあっていい産駒を残せず、2005年に動脈瘤破裂で死亡した。
しかしエイブルカグラが牝馬三冠戦線に駒を進めたアスクコマンダーを輩出しており、シャダイカグラの血は今もつながっている。
血統表
*リアルシャダイ 1979 黒鹿毛 |
Roberto 1969 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Bramalea | Nashua | ||
Rarelea | |||
Desert Vixen 1970 黒鹿毛 |
In Reality | Intentionally | |
My Dear Girl | |||
Desert Trial | Moslem Chief | ||
Scotch Verdict | |||
ミリーバード 1976 栗毛 FNo.16-a |
*ファバージ 1961 鹿毛 |
Princely Gift | Nasrullah |
Blue Gem | |||
Spring Offensive | Legend of France | ||
Batika | |||
*ラバテラ 1970 栃栗毛 |
Le Haar | Vieux Manoir | |
Mince Pie | |||
Begonia | Buisson Ardent | ||
Lobelia | |||
競走馬の4代血統表 |
2歳下の半妹タイセイカグラ(父*モーニングフローリック)の子孫にオースミブライトやオースミコスモ、ストレイトガールらがいる。
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
外部リンク
- 3
- 0pt