ほんわかレス「推奨」です。 |
この記事中には「死ね」の語が使用されていますが、これは単に過去存在した記事名、及びニコニコ大百科上で使用可能な用語を制限しようとする議論のあり方について考察する目的で使用しています。 |
ニコニコ大百科は、「(有)未来検索ブラジルが運営するあらゆる言葉についての記事を閲覧・編集したり、コメントをしたりするサイト」であるが、そこには運営による規約(に抵触するとの判断)に基づく削除や、ユーザによる自主規制・配慮などが存在する。
ニコニコ大百科における記事編集の一つの原則は「面白くて迷惑をかけなければOK」であるが、「面白い」「迷惑をかけない」と言う基準が主観に基づくものに過ぎないと言う点も同時に了解されている。
本記事では、大百科を利用するユーザの間でしばしば起こるこうした主観の衝突(「面白い」かどうか、「迷惑≒不快」でないかどうか)について、それがどのような場合に起こるのか、どのような問題点があるのか、及びそこに運営がどう介入しているあるいはどう介入すべきであるのか等を考察するためのいくつかの事例を提示する。
本記事がユーザ各位が大百科をいかに利用し楽しむかを考える上での一助となれば幸いである。
不快な単語を含む記事名:「東方厨は死ね」及びその改名経緯について
「東方厨は死ね」とは、東方projectに関係するネットコミニュティでまれに見られる罵詈雑言の一種であり、「東方厨はピチュれ」への改名を経て「東方厨」に統合された記事のもともとの記事名である(同時に、この記事の初版の記事名でもある)。
詳細な経緯は当該記事の編集履歴及び掲示板ログを参照してもらうこととして、以下に事態の経緯を要約する。
- (恐らく)東方projectについて余り好意的でない編集者による記事が立て逃げされる。
- 複数の編集者の努力により、ある程度記事としての体裁を整えることに成功。
しかしながら記事名及び記事立ての経緯からか、掲示板において余り友好的ではない発言が散見される。 - 記事名そのものが「死ね」という攻撃的な単語を含むこともあり、「削除しました」または「東方厨」にリダイレクトすることが提案される。
- 複数のユーザの合意によって記事名の変更(「死ね」の「ピチュれ」への呼びかえ)が決定・実行される。
- 改名及びその決定プロセスに異論を持つユーザの独断によって記事「東方厨は死ね(トウホウチュウハチネ)」が改名後の「ピチュれ」と別個に作成される。このとき作成された「東方厨は死ね」が本記事の前身となる。
- 記事名変更後、しばらく内容そのものは放置されるが、「削除・リダイレクトすべき」という議論が掲示板にて継続する。
- 或る編集者による「削除しました」リダイレクト、別の編集者による差し戻しを経て議論が再燃。再びの議論を経て記事「東方厨」にリダイレクト・統合される。
問題点
- 「死ねは不快だから」という予防的な理由での自主規制がユーザ自身による検閲となり、表現の幅を狭める可能性がある。現状では大きな動きとなってはいないが、「東方厨は死ね」の改名を前例とした改名提案が、他の「死ね」を含む名称の記事でも見受けられた。
- 掲示板での多数決による合意を形成することは困難であり、主導的な編集者の合意(妥協)、または掲示板に継続した主張によっても議論の流れが決しうること。一部のユーザの独断、或いは強硬な主張による自主規制への圧力が抑止できなくなる危険性。
- 当該記事掲示板で作為的に生み出された(≒記事外部では通用しない)語である「東方厨はピチュれ」と言う語を説明する記事がどれだけの意味を持つのか、という記事の価値そのものの問題。
- 単なる逐語的な置き換えが、どの程度不快感を減少させられるのか、実証的な主張に乏しい。「ある言葉を使わない」ことが「ある言葉を使ってしまいがちな状況を改善する」わけではないこと。実際に「死ね」と言う単語が記事名から取り下げられた後も記事を削除すべきと言う要求が継続していた。
- 同時に改名以後も削除すべきという議論が継続し、一定の圧力として作用し続けたことは、別の形で改名(によって記事を健全化すること)の合意とそれについての議論がきちんと成立していなかったことを示唆する。ある意味で、削除しましたへのリダイレクトを行った編集は9/1の改名に至った「合意」とは相容れない性質のものであった。
おおまかに言えば、これらの問題点は「ピチュれの記事が充実することで改善される部分」と「大百科全体で考えるべき問題」、または「特定単語の自主規制(言葉狩り)による記事の健全化を行うことが”妥当か”」と「そのような健全化を言葉狩りによって行うことが”可能か”」という問題に区分されよう。
性的な内容を含む記事について:「アナルセックス」「オナニー」
「アナルセックス」「オナニー」等の記事において、「性的な内容はニコニコにはふさわしくない」と主張する編集者による記事内容の改変に端を発する編集合戦が起きたことがある。
こちらも詳細は当該記事編集履歴及び掲示板を参照してもらうこととして、主要な問題点について考察する。
なお、この件においては「オナニー」掲示板の>>79にてグニャラくんの見解として「当サイトでは性に関わる話題は禁止しておりません。」とのコメントがでている。
未成年者に配慮した検閲(自主規制)を行うべきか?
- 未成年の閲覧者側に閲覧制限がかけられていない限り、ニコニコ大百科のコンテンツが自主規制をしたところでそのような閲覧者が性的な情報を入手することを防ぐことは出来ない。ならば、そのような自主規制は自己満足にしかならないのではないか?
- グーグルやウィキペディアに丸投げした場合、ニコニコ大百科側でその内容の保証をすることが出来ない。不正確な情報や有害な情報(悪質な業者など)が含まれる可能性もある。大百科においてウィキペディアのコピペ以上のものが用意できないわけでもないので、そのような丸投げ行為は責任の放棄を意味するのではないか。
- 性的な情報を未成年者が閲覧することが実際にどの程度「有害」であるのか。それは単に大人側の都合(エゴ)に過ぎないのではないか。
未成年者に対するそのような検閲がどこまで可能か?
- 「ぼかした表現」「言い換え」によって性的なコンテンツを検閲した場合、言い換えただけで内容がそのまま通じるのであれば(たとえば「ペニス」を「男性自身」と呼ぶような)検閲は意味を成さない。逆に、ぼかした表現によって曖昧な意味に取れるような記事内容にするのであれば、コンテンツの正確さが犠牲となる。
- 曖昧な表現を用いた結果、未成年を含めた閲覧者に誤解(誤った情報)やあやふやな情報を与えてしまう危険性。大百科側で閲覧者の選別をしない以上、「可能な限り正確な内容で、誤解のない表現」を心がけるべきではないか。
- 実際「俺の●●が[スペルカード名]」系のネタタグでも本来の意味(勃起、射精、勃起不全など)は通じるし、この程度にぼかした(直接的でない)表現であっても不快だと感じるユーザは存在する。ネタとしての完成度、元ネタとの関連性(リスペクト)は別個に考えるべきか。
運営による掲示板レス削除の基準について
よくある話だが、とあるユーザによって掲示板に投稿されたレスが運営によって削除された。
本件において当該ユーザはレス中に比ゆ表現として「売春婦」の語を用いたことが原因ではないかと推測しているが、レス全文は保存しておらず、削除依頼板内誤爆指摘スレにおける削除理由問い合わせにも現時点(2009/9/17)で回答はない。
この件より推察される問題点をいくつか列挙する。
- 「なぜそのレスが削除されたのか」を説明しない(この件においては「売春婦」が性的だからなのか差別的だからなのか、あるいはほかの理由があるのか)限り、削除理由をユーザ側は憶測に頼るしかない。
- 性的な理由で削除したのだとすれば、「オナニー」掲示板におけるグニャラくんのコメントと矛盾する。
- 他のスレでレスに「売春婦」の語を使用した際には(今のところ)削除されていない。となれば(ユーザにとっての外観として)運営は文脈を踏まえた上で削除基準を判断しているか、禁止用語リストを恣意的に適用しているかである。
- 一つの運営方針として、「削除理由や禁止用語リストを明確にせず、ユーザの自制を促す」ということも可能かもしれないが、根本的な部分で憶測や疑心暗鬼(規約を恣意的に運用されるのではないか、と言う疑念)が存在するならば、ユーザの活動そのものが萎縮しかねない部分がある。
全般的な論点:ユーザ間の合意形成と運営の介入
- 「自分にとってあるモノが不快である」ことと「不快なモノを(未成年者等含め)他のユーザに閲覧させるべきではないと自分が考えているこ と」を何処まで区別することが可能か、またすべきか。前者は単なる主観に留まるが、後者であれば主張にある程度の説得力を持たせなければならない。
- 記事編集において掲示板でそのような議論を行う際、決定はいかにして行われるべきか。不特定多数のユーザが閲覧し、レスをする掲示板では多数決による決定を下すことが出来ないし、ユーザ側にそのような決定を全ユーザに強制するような強制力も存在しない。
結局は編集権限を持つユーザがその責任において行動するしかないのか。その際に編集者は何処までリスクを引き受けざるを得ないのか。 - ユーザ側が他のユーザにとりうる最終手段は現時点では運営への通報(記事・レスの削除、権限停止)である。運営側は通報通りに対応する・しないの判断以外に何らかの形(掲示板へのコメント等)で過熱した議論や堂々巡りの議論に介入することが可能であるか、可能ならすべきか。また、運営から何らかの処分を受けたことのあるユーザが「前科者」として扱われがちな傾向が一部にあることも事実である。
- 「記事の大きな削除などを行う場合には、掲示板で十分議論してから行ってください」と言う部分は何処までの含みを持つか。「大きな削除など」「十分議論して」と言う曖昧な表現に対して、運営が何らかの権威的な裁定を示す必要が(もしかしたら)あるのだろうか。ユーザ間の自生的な秩序(マナー)が形成されるのを見守るに留めるべきか。
- ハンドルを持って活動するユーザ、特に編集者や、あるいはグニャラくんなどサポート要員(いつもありがとうございます)の個性が議論の流れや編集方針、あるいは大百科そのもののマクロな性格に与える影響。
関連項目
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