ノルウェー沖海戦とは、第二次世界大戦中の1940年6月8日に生起したドイツ海軍vsイギリス海軍の戦闘である。強大な戦力を誇るイギリス海軍が完敗した珍しい事例。
概要
背景
1940年4月9日から始まったドイツ軍のヴェーゼル演習作戦は、ドイツ軍の勝利で終わろうとしていた。デンマークは即座に降伏、残ったノルウェー軍は英仏連合軍の助力を受けながら抗戦していた。連合軍は潤沢な戦力と物資を送り、一度ドイツ軍に奪われたナルヴィクを奪還するなど優位に戦いを進めていた。しかし5月10日、本国のドイツ軍がフランスへの侵攻を開始。ノルウェーの支援どころではなくなった。英仏は協議し、5月24日にノルウェーを放棄すると決定。ノルウェーは見捨てられる形となった。連合軍は6月初旬にアルファベット作戦を発動。英仏連合軍が押さえていた要衝ナルヴィク、トロムソ、ハーシュタからの退却を始めた。イギリス海軍は、撤退する部隊を収容する輸送船団を派遣。護衛に空母アーク・ロイヤル、軽巡洋艦サウサンプトン、防空巡洋艦コヴェントリー、駆逐艦8隻をつけてハーシュタに急行させた。それとは別に、バルドゥフォスに進出中の戦闘機隊を収容すべく空母グロリアスと駆逐艦アカスタ、アーデントを派遣。本隊とは別行動を取っていた。
ヴェーゼル演習作戦の緒戦で損傷を負った大型艦の修理を終えたドイツ海軍は、未だ北部の要衝ナルヴィクを占領している連合軍への攻撃を支援するため、ユーノー作戦を発動。艦隊司令には病気が平癒したヴィルヘルム・マルシャル大将が着任した。6月4日、ナルヴィクに近いイギリス軍ハーシュタ基地を攻撃する任を帯びてキールを出撃。投入された戦力は巡洋戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウ、駆逐艦4隻だった。道中で重巡洋艦アドミラル・ヒッパーと補給艦1隻が加わった。
ユーノー作戦
6月7日、マルシャル艦隊はハーシュタの西方に到着。無線傍受部隊からの報告で、この海域には多数の連合軍艦艇が集結している事が分かった。このとき連合軍は撤退中だったが、その事をドイツ軍はまだ把握していなかった。この日の夜、作戦中のUボート数隻から「ハーシュタとトロムゼの沖合いで、輸送船を含む大船団が3つ確認された」と報告が入った。不思議な事に敵艦隊は皆ノルウェーに背を向けているとの事。最初は撤退中だと思わなかったが、次第に撤退を示す証拠が集まり始めたのでマルシャル艦隊は撤退を疑うようになった。敵が逃げ腰であれば殲滅する絶好の機会である。マルシャル大将は西部方面艦隊司令部に輸送船団攻撃を具申したが、にべもなく叱責を受けてハーシュタ攻撃を再度命じられた。そこでマルシャル大将は独断で、ハーシュタ攻撃から輸送船団攻撃に変更。指揮下の艦艇にそう伝えた。
6月8日午前、マルシャル艦隊はイギリスの小船団と遭遇。まずアドミラル・ヒッパーの狙いすました射撃でノルウェータンカー「オイルパイオニア」を撃沈。護衛の武装トロール船「ジュナイパー」はグナイゼナウが仕留めた。続いて軍隊輸送船「オラマ」と遭遇し、ヒッパーの20cm砲弾によって海底に送り込まれた。次に病院船アトランティスと出会ったが、ジュネーヴ協定を遵守して無傷で素通りさせた。するとヴィルヘルムスハーフェンの西部方面艦隊司令部から「輸送船団攻撃はヒッパーと駆逐艦群に任せよ。主要目標地点はハーシュタとする」との命令が届いた。だがマルシャル大将はこの命令を無視し、燃料不足となったヒッパーと駆逐艦群をトロンヘイムに向かわせると、自身はシャルンホルストとグナイゼナウを率いて北方に進出。輸送船団撃滅に腐心した。この独断専行が、マルシャル艦隊を意外な大物と引き合わせるのだった。
6月8日16時45分、旗艦シャルンホルストの見張り員が水平線の向こうから薄く煙が上がっているのを視認。数分後には測距儀がマスト1本を確認した。マルシャル艦隊に緊張が走る。17時2分に戦闘配置を完了し、シャルンホルストを先頭に突撃を開始した。8分後、敵艦は航空母艦だと判定された。数分後にはシャルンホルストの砲術長が護衛駆逐艦2隻を確認。そして17時32分、シャルンホルストの前部主砲2基が吼えた。発射された28cm砲弾は届かなかったが、射程と射角を変更して55秒後に第二斉射が行われた。英空母グロリアスはイギリス空軍戦闘機18機を収容しているところで、飛行甲板は収容した機で混雑していて哨戒機を飛ばせなかった。つまり完全に脆弱な状況を突かれた形となる。艦長のガイ・ドイリー・ヒューズ大佐は南方への退避を命じたが、ドイツ艦に襲われているにも関わらず一切の信号を打たなかった。グロリアスを護衛していた駆逐艦アーデントとアカスタが迎撃に向かい、グナイゼナウを足止めする。その間にシャルンホルストはグロリアスへの攻撃を続け、17時38分に直撃弾を与えた。これにより航空機の発進が不可能になり、ヒューズ大佐が戦死した。8分後には駆逐艦の攻撃を振り切ったグナイゼナウもグロリアスを砲撃。17時52分、グロリアスの飛行甲板は激しい炎に包まれた。
アーデントとアカスタは空母を守るため、煙幕を展開。17時55分より砲撃を一旦中断しなければならなくなった。その間にアーデントが決死の覚悟で雷撃を仕掛けたが、命中せず。むしろグナイゼナウに睨まれ、高角砲と副砲で滅多打ちにされて炎上。ここにきてようやくグロリアスは無電の発信を試みたが、通信機器の故障で文言が途切れ途切れになった。18時19分に二度目の救援要請を発したが、グナイゼナウの無線妨害を受けて失敗。万策尽きたグロリアスは傾斜を深くし、載せていた航空機が次々に海へと吸い込まれていった。18時22分、炎上していたアーデントが沈没した。まともに戦えるのはアカスタただ1隻のみとなった。18時39分、アカスタが放った魚雷がシャルンホルストの右舷艦尾に命中。致命傷には至らなかったが、2500トンの浸水で速力が低下した。だが、これがイギリス艦隊最後の抵抗となった。シャルンホルストから熾烈な反撃を受け、アカスタも炎上。19時10分にグロリアスが沈没し、10分後には後を追うようにアカスタも仕留められた。こうしてイギリス艦隊は壊滅し、マルシャル艦隊はコロネル沖海戦以来の快勝を収めたのだった。
その後
シャルンホルストが中破したため、グナイゼナウとともにトロンヘイムへ後退。イギリス海軍の追っ手から逃れる事に成功した。しかしグロリアスを沈めた事はイギリス軍を怒り狂わせ、6月11日にハドソン12機がトロンヘイムを襲撃しにきた。幸運にも36発の徹甲弾は全て外れた。6月15日、今度はアーク・ロイヤルのスキュア急降下爆撃機15機が襲い掛かってきた。だがドイツ軍の高射砲や戦闘機隊によって8機が撃墜され、やっとの思いでシャルンホルストに当てた爆弾は不発だった。グロリアスの仇討ち合戦も失敗に終わった。
マルシャル大将は独断専行により大戦果を挙げたが、ドイツ海軍の上層部は決して良い顔はしなかった。キールに帰還すればレーダー提督とザールヴェヒター大将から怒りをぶつけられると分かっていたマルシャル大将は、病気(病名は明かさなかった)を理由に司令を辞任。ギュンター・リュトイェンス中将が後任となった。だがレーダー提督は辞任したマルシャル大将への叱責を続けた。何故オラマのような貴重な船を沈めた?何故タンカーやトロール船を拿捕しなかった?と責任を追及。グロリアスと駆逐艦2隻の戦果についても「単なる射撃演習に過ぎない」と斬って捨てた。
ともあれ、ヴェーゼル演習作戦は成功に終わった。ドイツの鉄鉱石輸送路は確保され、連合軍はスカンジナビアから追い出され、ノルウェーという広大な海軍基地までも手にした。
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